1962年、東京生まれ。大学卒業後、日本料理の道へ進む。「山崎」(東京・赤坂)をはじめ、東京と京都の料理店で研鑽を積み、94年に独立。青山に「えさき」を開店。05年に外苑前に移転。今年で12年目を迎える。「お客様に喜んでいただくため、時間を見つけては天然の魚や安全でおいしい有機農法の野菜を求めて旅に出ております」
 

美味しい野菜を「凛とした」和食で食べたいとき、「青山えさき」がふさわしい。 アイボリーカラーの明るい店内。右手のギャラリースペース、さらには砂岩でできた重厚なバリ島製のレリーフが目を引く。柔らかな空気に包まれた明るい店内はまるで美術館のよう。すがすがしい気分で料理が楽しめる。ワイルドライス、みらぼう菜、ミラノ蕪、管牛蒡、リーキ、黄金柑。この店で供される野菜はご主人自ら畑や山に行き探し求めた“本物の有機野菜”だ。また日本在来種の野菜にもこだわりがある。その濃く滋味あふれる野菜を堪能したい。

東京都渋谷区神宮前3-39-9
ヒルズ青山地下1階

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  僕が飲食店(当時は特に喫茶店)に興味をもったのは中学の時でした。サイフォンから立ち上る湯気や気の遠くなるようなコーヒーの香しさ。そんなめくるめく空間でマスターがカウンター越しにお客さんと語らう――そんな光景にとても憧れていたのです。だから当時中学生の僕は、高校生と偽って喫茶店でアルバイトをしました。今思えば、随分とませた中学生ですよね(笑)。
  大学時代にはフランス料理店でギャルソンを4年間経験しました。次第にキッチンの人と仲良くなり、「ちょっとそれ、珍しいから味見させてよ」と試食させてもらうこともしばしば。キッチンでの臨場感を目の当たりにしているうちに「料理ってこんなに奥深いんだ」と思うようになりました。
  しかしそのままフレンチのシェフになることには二の足を踏みました。なぜなら、バターをたっぷり使ったまかない料理を、僕の体が受け付けなくなっていたからです。ちなみに当時はまだバターをしっかりと使った重厚感のある味が、フレンチの主流になっている時代でした。だから「毎日食べても飽きない料理。例えば和食はどうだろう?」と思って探っていったのです。そうするうちに板前の魅力にどんどん引き込まれていきました。
  大学卒業後、飲食以外の就職先は引く手あまたの時代だったけれど、僕はそれらに振り向きもせずに自分の意志に従いました。当時はインターネットもまだない時代で、自分で本などを買いあさって主体的に情報収集し、数多くの日本料理店の門を叩きました。しかし当時は、調理学校の卒業生や料理人の息子などしか雇わない狭き門。大卒とはいえ、僕のように和食店での調理経験がゼロの若者なんて、有無を言わさずに門前払いでした。
  しかし窮地を救ってくれたのは東京・赤坂にある日本料理店「山崎」でした。「山崎」のオヤジだけが「お前、やる気があるのか?そうか。大学まで出ているのに…」と受け入れてくれたのです。僕は23歳にしてようやく日本料理店での修行をスタートさせたのです。
  しかし一難去ってまた一難。現場に入ったら年下にいじめられるという屈辱的な生活が待っていました。23歳の僕が、15歳の先輩に顎で使われ、「これ、洗っとけよ」などとぞんざいに扱われるのです。でもこの時すでに、「いつか自分の店を持ちたい」という夢を描いていたので、ぐっとこらえて苦難を踏破しました。そして約10年間の下積み生活を経て、32歳でようやく独立したのです。

   10年間も日本料理界にいると、時代の流れのようなものが自然と見えてきます。例えば昔は魚料理がメインで、それに旬の野菜を添えるという料理が多かったのに、近年は魚と野菜の両方がメインになっています。野菜の存在感が増してきたのです。僕はこの傾向に12年前(独立当初)から着目し、「有機野菜」という言葉も世の中に認知されていない頃から有機野菜や無農薬野菜を積極的に使ってきました。
  また当店のメニュー表には、聞きなれない西洋野菜の名前がカタカナで表記されています。日本料理ながら、西洋野菜も積極的に使うのが当店の特徴のひとつです。また当店では「安全なものを安心していただいて欲しい」という思いから、メニュー表に食材の産地をすべて明記しています。「母親が作った料理なら安心して食べられる。だけど飲食店の料理は安全なのか…」というのはおかしいと思っています。お金をいただいている以上、安全であることは前提条件、当たり前のことなのですから。
  僕がこのように食材にこだわるのは、「食べる行為は神聖なもの」と考えているからかもしれません。例えば先日も、生きた鹿を撃つシーンを見る機会がありました。鹿肉は普段から見慣れている食材だけに、その残忍なと蓄シーンを実際に見ると衝撃を受けました。「食べるとは、命をいただく行為そのものなのだ」と改めて実感しました。「野菜だって生きているし、魚だって生きている。だから魚の骨まで使い尽くさないと申し訳ない」と一層強く思うようになりました。
  僕が目指している料理は“伝統的な日本料理が基本にあるけれど、着地点には「江崎料理」がある”というもの。日本料理のスタンダードを打ち破ることがオープン当初からの私の目標でした。だから内装も僕の大好きなバリ島をイメージしました。水牛の皮を張ったマホガニーの椅子や、大理石の床、バリの職人技がお客の目を釘付けにする砂岩の壁面レリーフ…など、料理と同じように天然素材を重視したしつらえにしてあります。また僕自身、とてもワインが好きなので、ワインとのマリアージュも楽しめるように品揃えしています。
  僕は中学の時、喫茶店のコーヒーの香りに誘われて飲食業界に入りましたが、今では昆布とかつおのまろやかな香りにいつも包まれています。優しい香りのある空間は何とも居心地がいい。飲食店には人をやんわりと包む優しさが存在します。そんな素敵な仕事を長年続けながら恩恵にあずかっているのは、きっと「観察」することを続けてきたからだと思っています。
  僕は調理場だけでなく、電車の中でもどこでも、食材や人間、目に入るあらゆるものをじっくり「観察」するタイプ。観察し続けることで、物事の真価が自然に見えてくるのです。これからプロを目指す方は、ぜひ観察力を高めるとよいと思いますよ。あとは情熱さえあれば十分ではないでしょうか。