1964年三重県生まれ。高校卒業後、名古屋観光ホテルに就職。フランス料理の調理場で6年間勤務後、スイスへ。ルッペンの「レブシュトック」などのレストランで修行後フランスに渡る。「コートドゥール」「レベルノアー」「ラムロワーズ」など複数のレストランに勤務し、計4年間の海外修行を経て帰国。1994年に東京青山にビストロ「マルシェ・オー・ヴァン・ヤマダ」、2000年にはブラッセリ「アルモニ」をオープン。2006年に3店目となる一軒家スタイルのフレンチレストラン「コジト(Cogito)」をオープンした。
 

六本木ヒルズの向かいという立地ながら、一本道を入るため驚く程落ち着いた雰囲気。一軒家で営まれるコジト(Cogito)は、ウィーン風の内装が椋材で作り込まれ、暖炉や様々な形のシャンデリアが愛らしくマッチして人を優しく迎え入れてくれる。自ら狩猟もするというシェフによって、11月から2月までは北海道で捕れた鴨や雉子も堪能できる。捕獲と同時に下処理が施され、数時間後には輸送され調理場に届くという。地下と1階のワインセラーにはシェフが“ここに行き着いた”というブルゴーニュをメインとしたワインが常時7000本ストックされている。コジト(Cogito)とは「自我の知的作用」を意味するデカルトの言葉。“本物を求め探し続ける”というシェフの料理への思いが屋号となっている。

東京都港区西麻布3-2-15

 
 
 

  日本での修行時代、勉強のためあるレストランを訪ねた時のこと。ソムリエの人を値踏みするような空気を感じ、料理の味も雰囲気もまったく楽しむことができなかった。そんなトラウマを抱えた青年期の私を変えてくれたのがフランスでした。お金もマナーも充分でない私を「よく来たね」と招き入れてくれる人々。フランスで星の付くレストランはどこも心から人を楽しませようという思いが溢れていてて、「レストランとはこういうのも」「将来こんなお店を作りたい」と夢を描かせてくれました。
  高校の進学クラスにいた私は、ちょっと変わり者でした(笑)。大学には一切興味がなく、モノを作る何かに携わり食べていけたら幸せだなと考えていたんです。実は音楽が好きでバイオリンを作る仕事に就きたいと、メーカーや職人さんを訪ね歩いたほど。しかし景気が良くないとみなさんおっしゃるんですね。そんな時、飲食業を営んでいた父親から一冊の本を手渡されました。『海の幸フランス料理』。ページを開いて驚きです。「この色の美しさはなんだ!」「世の中にこんな料理があるのか!」。それまで料理と無縁だった私は、一気にフランス料理の世界へとのめり込んでいったのです。
  「どうせやるなら一流になれ」という父の勧めもあり、就職した先は名古屋観光ホテルのフランス料理調理場。厳しい環境であることはみんな覚悟の上だったと思いますが、同期13名のうち8名が1年で辞め、その後毎年一人ずつ辞めて行く。結局、6年間の修行を終えた時には同期は全員いなくなっていました。

  ホテルの仕事は組織的。チームワークで一皿を作り上げるという職人技、プロ意識のようなものを学んだため、次は本場で修行してみようと海外行きを決意。24歳でスイス、25歳からはフランスへ。日本の先輩が海外で勤勉に働き学んでくださったためか、当時日本人は受け入れられやすく、料理長の推薦でスイスのルッペンにあるホテルレストラン「レブシュトック」に職を得ることができました。
  海外修行を通して最も印象深かったのは、フランスでの経験です。ブルゴーニュの二ツ星レストランで働いていた時のこと。シェフをまとめるグランシェフでもあった師は、春に実をつけるフランボワーズをバケツ一杯収穫し本当に嬉しそうな笑顔を見せるんですね。どうするんだろ?と思っていると、サッと洗ってただお皿に点々と丸く置いていくんです。で、その間にチョンチョンとクリームを置く。「さあみんな食べよう!」。集まったシェフたちに振る舞うわけです。
  自家栽培しているじゃがいももそう。採れたてを走るように運んで来て、洗ってササッと皮を剥き、バターでソテーしてオーブンで火を通す。「俺の賄いだよ」といって食べさせてくれるんです。そのシンプルな料理が鳥肌が立つほど美味しい。目が覚めました。
  それまでの私は技にこだわり過ぎていた。例えばフランボワーズなら裏ごしするのか?シロップに漬けるのか?パイにするのか?…なんやかんや手を入れることを先に考えてしまう。でもシェフは違いました。「料理人はちょっと手伝うだけでいいんだよ」「自然の力は凄いんだよ」という本当の料理の姿を見せてくれました。奇を衒うのではなく素材を感じるままに料理する。「ここに天才がいた」と思いました。自分がいかに凡人であるかを痛感すると同時に、この時、目指す料理人の像がはっきりと描けました。
  ブルゴーニュのワインも同じです。世代を越えるほどの年月をかけ自然の力で熟成されていく。ラベルがぼろぼろになった古酒を飲んだ時の美味しさは言葉では言い表せないものでした。この時からブルゴーニュワインにはまり、今でもお店のメインラインナップにしています。

  帰国後お店を出したのが30歳の時。みんなに楽しく料理とワインを味わってもらえるお店を作りたいと考えました。レストランにしたいという夢はあったのですが、設備、音楽、スタッフ…。すべてを揃えるには資金面にも無理があり失礼になると思いました。レストランの気持ちでビストロからはじめよう。それが青山にオープンした「マルシェ・オー・ヴァン・ヤマダ」です。
  青年期に日本でのトラウマがあった私は、とにかく人を緊張させない楽しい店にしたかった。料理を極力安く提供することでワインも気軽にオーダーできるようにする。そんな“献立”にこだわりました。そしてお店を応援してくれるお客様が次第に増え、いよいよ体力がつき2006年にコジトをオープンすることができました。
  コジトには「本物を求め探し続ける」という意味があります。野菜、動物といった料理の素材に感謝し、心をこめて調理したものを食べ、飲んでいただく。音楽や内装などの雰囲気も含めて楽しんでいただく。レストランは欲望を満たす館でなければならないと思っているので、それを実現するためのコジトにおいて、これからも勉強を続けていきたいと思います。
  約4年の海外生活を経て分かった中に、実は日本のことを何も知らない、ということもありました。帰国後は能・歌舞伎・茶道などの勉強も開店準備の一つとして本格的に行いました。料理を知るには歴史や文化も知らなくてはならない。でも、やればやるほど難しくなる。様々なことに感謝しながら勉強を続ける。私にとっての本物の追求、そして料理とは、その継続しかないような気がします。