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第1121回 株式会社杉並藪蕎麥 代表取締役 登坂 薫氏

update 25/10/14
株式会社杉並藪蕎麥
登坂 薫氏
株式会社杉並藪蕎麥 代表取締役 登坂 薫氏
生年月日 1968年4月22日
プロフィール 明治学院大学卒。「リクルート」「ルイ・ヴィトン ジャパン」を経て、家業の「杉並藪蕎麥」に入社する。「赤坂Bizタワー店」のオープンをゼロから手がけるなど、創業者でもある父の期待に応える活躍を行い、2019年、社長に就任する。
主な業態 「やぶそば」
企業HP https://r.goope.jp/s-yabusoba/

「やぶそば」オープンと、高校までの話。

茨城県で育ったお父様(現会長)の鬼澤勲さんは、中学を卒業して上京。ワイシャツ1枚、所持金3000円。「神田藪蕎麦」に住込み、丁稚奉公をはじめる。「神田藪蕎麦」は東京・神田にある創業1880年の老舗。
「いわゆる高度経済成長期の金の卵ですよね。神田藪蕎麦さんで7年間、修業して、7年だから21歳かな、1966年に暖簾分けしていただいて、西荻窪に「やぶそば」をオープンします。母がおかみさんで、父が蕎麦職人。今、広島にいる叔父も、蕎麦職人でした」。
蕎麦職人。
その響きがいい。
今回、ご登場いただいた現社長の登坂さんは、父や叔父だけでなく、店ではたらく蕎麦職人さんたちと、小さな頃から暮らしている。
「お店とお家がつながっているタイプだったから。職人さんたちが遊び相手。父が忙しいぶん、キャッチボールの相手も職人さんたちでした」。
初代社長の父は、2019年に会長に就任し、現在は長女の登坂さんが社長を務めている。父から子へ、ここにももう一つの継承の話があるわけだが、先を急ぐことなく、登坂さんの少女時代のお話をもう少し。
登坂さんが生まれたのは1968年。「やぶそば」オープン後、2年目のことである。1968年といえば高度成長期の真っ只中。子どもたちの数も多く、小学校も40人のクラスが4クラスあったという。
「小学校3年までかな。それは、それは大人しい女の子だったんですよ。でも、父親に似て、私も背が高くてね。いじめっ子を、いじめ返すような少女になっていきます」。
「そのころね、テレビで父が好きだった映画「ゴッドファーザー」を観ていて、父に『潰すなら家族全員だぞ』って言われて、いじめっ子のきょうだいまで、いじめ返したの。そしたら、校長先生に『頼もしいけれどちょっとやりすぎだ』って」。
いじめっ子には恐れられたが、彼女の周りにはいつもともだちがいた。中・高は、軽音楽部で部長も務めている。担当はギターだったそう。
「高校は女子高。そこしか受からなかったから」とあっけらかんに、声にして笑う。
高校ではモテた。バレンタインデーには、チョコが山積みになった。
「私の、宝塚時代ね」とふたたび笑う。

リクルート、そして、ルイ・ヴィトンジャパン。進む、エリート街道。

明治学院大学に進学した登坂さん。
「バブルだったんですよ。ディスコブームっていうかね。私も、大学よりディスコ通いがメインだった」。
ディスコのハイテンポなメロディはバブル時代を象徴する狂想曲だった。
「それからね。リクルートさんに就職するの。初めの2年は希望通り求人広告の営業。でも3年目でテレマーケティングの立ち上げへ志願して異動。『え?』って思うでしょ。だって『蕎麦』と関係がないものね。でも3つ下に弟がいたから、家業は彼に任せて、私は、私でやっていかなきゃって思っていたらね。当時からリクルートさんって男女平等。仕事だって先進的で楽しかった。でもね、1998年にフランスでサッカーワールドカップが開催されたときに退職して、フランスまで観戦に行くんです」。
パリ、シャンゼリゼ通り。ルイ・ヴィトン、カルティエ、ゲラン、ディオールと、高級ブティックが立ち並ぶ。
お買い物も楽しみの一つ。
「でもね。ルイ・ヴィトンに行って、ガッカリするんです。だって、接客が傲慢で感じ悪い。でね、帰国してからもモヤモヤしていて。そんなタイミングで、『ルイ・ヴィトン ジャパン』の募集に出会ってね。電話受付の募集。テレマ経験がある私にぴったりでしょ」。
面接では、フランスでの接客の悪さを口にした。
「接客がひどかったって。言ってから、ああ、やっちゃったって思ったんですが、採用されちゃった」。
リクルートを退社して、ルイ・ヴィトン ジャパンに転職。これが登坂さんの色濃いキャリア。ルイ・ヴィトン ジャパンには1998年に派遣スタッフとして就業し、翌年に正社員に登用されている。
「珍しかったんじゃないかな。派遣から正社員ですもんね。その頃には、フランスでの苦い経験は忘れて、『ルイ・ヴィトン』のファンになって、ぞっこんだったんです」。
150年の歴史と、伝統と革新。
「藪蕎麦に通じるものがあるでしょ。たぶん、そこにも惹かれたんでしょうね。けっきょくね。1999年に正式に入社して、2014年まで勤務していました、クライアントサービスの部門で、主にクレーム処理を担当。その部門でサービスマネージャーを務めていました」。

2014年、杉並藪蕎麥、入社。

場面は少しかわり、「神田藪蕎麦」の話。大正時代に建てられた神田藪蕎麦の建物は「東京都選定歴史的建造物」だったが、2013年に火災で焼失してしまう。
翌年、再建され、現在に至るのだが、その再建された真新しい「神田藪蕎麦」に登坂さんの姿があった。
「杉並藪蕎麥は、弟がつぐ予定だったんですが、からだを壊して仕事から離れなくちゃいけなくなったの。それでね。私にお鉢が回ってきたんです。もちろん、大好きなお店ですから断れなかった。それで、ルイ・ヴィトンを辞めて。ちょうど神田藪蕎麦がリニューアルオープンのとき。私は、杉並藪蕎麥をつぐ決意をして、オープン初日から神田藪蕎麦で奉公をはじめます」。
女将さんから藪蕎麦の歴史を直に教わった。
「ルイ・ヴィトンじゃないですが、100年以上の歴史があり、それこそ、伝統と革新です。その歴史を脈々と受け継いで来られた女将さんから、直接、教えていただいて、藪蕎麦の世界に魅了されていきます」。
ルイ・ヴィトンの創業者は14歳で故郷を離れ、パリに出てきて、「トランク職人」をはじめる。蕎麦とトランク。つくるものはちがうが、職人の精神はおなじ。伝統と革新によってはじめて、歴史がつむがれていくのも、また、おなじかもしれない。
「2014年に、杉並藪蕎麥に入社して、社長になったのは2019年です。当時、コロナだったでしょ。代表者名で申請しないといけないことがたくさんあって、とにかくややこしい。父が細かい申請作業はお前のほうが得意だろ、じゃあ、私がっていう話になったんです。ただ、会長の父も代表権をもっていますので、今は2人代表です」。
2014年に杉並藪蕎麥に入社してからの仕事についてもうかがった。
ホームページの写真を指さしながら、「この『赤坂Bizタワー』の『やぶそば』は2018年1月22日にオープンしたんですが、こちらは、私がゼロから手がけました。阪急うめだ本店やミナモア広島駅ビル店も、私が手がけたお店です」と誇らしげにいう。
「赤坂Bizタワー店」の店内は、竹林に囲まれていたやぶそばが現代風にアレンジされている。オープンキッチンとカウンターも、いかにも今風。「伝統」と「革新」といった二つの言葉がうまく融合している。

職人たちを、お世話する。

2019年、社長になった登坂さんに今の仕事を聞くと「職人たちをお世話すること」と笑う。
どういうことだろう。
「ちっちゃな会社だからね。社長がやんなきゃいけないことってたくさんあるのよね。各店のシフトチェックや労務管理もやるし、仲違いの仲裁もやるの。でも、ほら私って小さなときから職人さんといっしょに過ごしてきたでしょ。だからね。職人さんが働きやすい環境がよくわかるの」。
登坂さんは、いったん言葉を切る。そして、つづけた。
「彼らはけっしてコミュニケーションがうまいわけじゃない。いい大学もでてないよ。学歴だけ見たらリクルートやルイ・ヴィトンのときと雲泥の差よ。だからってね。職人をバカにされてたまるもんですか。東大出たからって、あんなおいしいお蕎麦は打てないでしょ」。
「ピュアなものづくりの職人は、ルイ・ヴィトンでクラフトマンシップと接したことで、よりいっそう理解できるようになった」と彼女はいう。
「だから、そういう人のお世話ができたらいいなって。だって、みんなに最高に喜んではたらいてもらいたいじゃない」。
育ってきた環境がちがう。ていねいな言葉遣いができない子もいる。「でも、そこからじゃない」と登坂さんはいう。
そして「面倒みたくて、うずうずしちゃうの。せっかく、うちの会社に来たんだから社会的に通用する蕎麦職人になってほしいじゃない」と言葉を重ねる。
「そのさきに、暖簾分けがあってもいいでしょ。『やぶそば』って、『神田藪蕎麦』からしてそうなんだけど、独立を支援しているんです」。
「職人がつくるお蕎麦は、セントラルキッチンじゃできないの。お店で、蕎麦粉と卵とお水を混ぜてつくっていますからね。だから、うちたて、できたて。しかも、蕎麦粉10に対してつなぎの小麦粉を1とする「外一(そといち)」。喉越しはもちろん、歯切れもいいし、何より、蕎麦本来の香りと風味が際立つんです。おいしいわよ」。
「やぶそば」で修業すれば、蕎麦職人の道はもちろん「独立への道が広がる」という。
「つゆもね。秘伝じゃないの。伝統はオープンにして、みんなに受け継がれていく。だから、独立志望の若い子に来ていただきたいなって」。
蕎麦が旨いと、つゆは少量でいい。だから、蕎麦を箸でもちあげ、つゆにちょんちょんとつけて食べる。「やぶそば」の濃厚なつゆだからできる芸当でもある。
「つゆに少しだけつけて、召し上がっていただくことで、お蕎麦本来の風味と香りが楽しんでいただけます」と彼女。
その食べ方も、伝統文化のひとつ。それを、未来へつむいでいくのも「やぶそば」のミッションなんだろう。それにしても、登坂さんは、よく笑い、よくしゃべる。
その笑い声に、職人さんたちも魅了されているんだろう。「やぶそば」の未来を描きながら、おいしい蕎麦をつくる蕎麦職人を育てる。 たいへんだが、そこに、蕎麦文化の、未来もかかっている。

思い出のアルバム

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職人さん達との社員旅行です(小さな女の子が私) リクルート時代、PCや書類の多さが時代を語っていますね ルイヴィトン勤務時代(大阪心斎橋店の前です)
 

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