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第1152回 株式会社トンボカンパニー 代表取締役 向井正史氏

update 26/06/02
株式会社トンボカンパニー
向井正史氏
株式会社トンボカンパニー 代表取締役 向井正史氏
生年月日 1975年4月12日
プロフィール 調理師専門学校卒。高級海鮮料理店等を経て「楽コーポレーション」で9年修業。2008年に独立し、地元の新所沢に1号店「イザカヤ TOMBO」をオープンする。
主な業態 「イザカヤTOMBO」「ハイカラトンボ」「ハイコロトンボ」他
企業HP https://tombo-company.com/

トンボに出会うまで。

幼少期、短距離走は無敵だった。野球は5番を打ち、ショートかセンター。生まれは1975年だから、生徒数が多い。「中学は10クラスありました。」と向井さん。
「野球は小学3年生からはじめました。記憶に残っているのは、中学の監督やコーチがとにかく厳しくて、むちゃくちゃ尻を叩かれてました。おかげで『やり抜く力』というか、後に役立つ気力体力が身についた気がします(笑)」。
野球は中学まで。高校に進むと「甲子園に行けないのが分かったので、それならばもっと社会に触れたい」とアルバイトを開始する。
「大学進学は指定校推薦で、と思い勉強も頑張っていましたが、うちは貧乏だったので、大学進学は経済的に無理だったんです」。
最初のバイトは西友のお菓子の品出し。
「アルバイトを始めるときに振込用の通帳をつくるでしょ。じつは、通帳をつくって以来、お金に困ったことがないんです。いつも通帳には20〜30万円が入っていました」。
<高校生の時も?>と聞くと「そうなんですよね。たぶん、母親の言うことを無意識に守っていたんですよね」との回答。
お母様は常々「欲しいものがあれば、必ず貯めてから買いなさい」とおっしゃっていたそうだ。
<安易なお金の使い方を注意されたんですね?>
「おかげで自動車免許のお金も自分で貯めました。当時から洋服もぜんぶ自分で買っていました。それでも通帳の残高はそんなに減らなかったです」。
バイトは週に4〜5日。「勉強はそっちのけ?」と思いながら聞いていたが、「成績は悪くなかったですよ。3年間ずっとクラスで2位でした(笑)」と意外な答え。
「大学は、さっき言ったように経済的に無理だとわかってましたから、高校2年くらいには『進路を決めなきゃな』って。成績がよくても、大学には行けませんから。その頃、友達が数枚のCDを貸してくれたんです」。 長渕剛のCDだった。

トンボが舌をだして笑った日まで。

「ハマった」と向井さん。借りたCDを聴きまくった。とくに「とんぼ」に酔いしれた。
「かっこいいでしょ。『コツコツと』で始まる。あの音を聴くと、いろんな思いが頭を駆け回ります」。
頭を駆け回る思いを、「反逆性」と、向井さんは表現する。
実は同じ頃、相田みつをさんにもハマっていたそう。
仏教の世界観を知ったとも言っている。
相田みつをさんといえば、「にんげんだもの」である。
改めて調べてみると、長渕さんと相田さんのメッセージには共通項が少なくなかった。「人間臭さ」や「生きる厳しさや切なさ」である。
「長渕さんや、相田さんの詩が頭のなかでこだますると、小学校の頃の、損得無しなあの無邪気さが無性に欲しくなってくるんです。そして、1人じゃなく、太い人間関係を取り戻したいって」。
その思いの先にあったのが、飲食店だった。
「小さな店でいいから、人の息遣いが聞こえるような店をつくりたいって思うようになったんです。煩わしさばかりを感じていた人間関係をもう一度あの頃のように取り戻したいと思うようになったんです」。
<それも、高校2年の頃の話?>
「そうです。それでですね、」と向井さん。
「高校2年の夏休み。コンビニでラーメン雑誌を買って、読み漁りました」。
<小さい店って、ラーメン店ですか?>
「そう、高校生じゃそれくらいしか思いつかなかったんです(笑)。それで、行ったこともない駅で降りて、旨そうなラーメン店を探す旅が始まります。ようやく1軒いいなって店があって。思い切って、暖簾をくぐるんです」。
向井さんは自身を「内気な少年」という。
「内気な少年がありったけの勇気を振り絞って、店主さんに『ここで働かせてください』って頭を下げたんです。そしたら店主さんに、怒られちゃったんですよ」。
<なんて、ですか?>
「『若いアンタにはまだまだ無限の可能性があるんだから、うちみたいな小さい店で働いちゃだめだ』って。思いやりのある一言なんですが、当時は、悔しくて。帰りの電車のなかで、泣きました」。
とんぼが舌を出して笑ったようだった。

料理人への、はじめの一歩。

「ラーメン屋のおじさんに怒られたからじゃないんですが、飲食店と言ったらラーメン店や定食屋くらいしか思いつかない。『これじゃいけない』『もっと広い世界をみないといけない』と、調理師の専門学校に進みます」。
「その専門学校は首席で卒業しちゃいました」と向井さん。
「調理が巧いっていうより、7割は学科ですし、だいたいみんな真剣じゃないんです(笑)。学費は、100万円以上かかりましたが自分で払いました。講師で来た先生(シェフ)をみて、かっこいいなって、むちゃくちゃ憧れたし、何よりはっきりとした夢があったんで誰よりも真剣だったんですよね」。
校長推薦で、赤坂にあった高級海鮮料理店に就職する。
「中華料理の奥深さにも驚きましたが、何と言ってもあの量です。たとえば、『ネギを切って』って指示されるでしょ。『何本ですか?』って聞くと、『2ケース』って(笑)」。
<2ケース?>
「そう。100本前後です(笑)。これが、専門料理店の世界だったんです。おかげで包丁スキルはめちゃくちゃ付きました」。
年上の料理人が多かったから可愛がられた。労働環境にも恵まれていた。料理は「石鯛や毛ガニ、伊勢海老、鮑など全て国産天然の活けでした。今考えると貴重な経験ですね」。
「ただ、9割がコース料理。創作的な料理はない。決められたメニューばかりをつくるより、料理をクリエイトしてみたかったんです。それで、希望していた世界とはちがうかな、と2年ほどで転職を決意します」。
そのあと、表参道や、阿佐ヶ谷のレストランを転々とした。
「キッチン内の先輩・後輩の関係ですか? 最初のお店は校長推薦でしたから、とくに理不尽なことはなかったんですが、つぎの店ではちゃんと、理不尽な拳骨を食らいました(笑)」。
当時のキッチンは、罵声も、拳骨も飛んだ。今とは大違い。
<楽コーポレーションは、このあと?>
向井さんは、頷く。

宇野社長との出会いと、氷の音と。

<楽コーポレーションで戸惑ったことはありましたか?>
レストランと楽コーポレーションとは、落差があると思ったから聞いてみた。
「楽しかったですね」。
意外な答えだった。
<楽しい?>
「ええ」と、向井さんはきっぱりという。
「楽コーポレーションでは、カウンターのすぐ向こうに、お客さんがいらっしゃるんです。いままではキッチンのなかでしょ。世界がぜんぜんちがいます。料理人にとって、これほど楽しいことはないです」。
「一方で、接客は難しかった」と正直に打ち明けてくれる。
「おやじ、創業者の宇野隆史さんのことですが、おやじがいうんです。料理をつくりながら、氷の音を聞けって」。
<氷の音?>
「グラスのお酒がなくなると、氷が音を立てるでしょ。それがおかわりの合図だって。料理をしながら、氷の音までも気にかける。スーパーマンでしょ。ほかにも、トマトってあるでしょ。冷やして、カットして、お出しすれば、一つ100円のトマトが、300円になる。好きなように味付けできる調味料をいくつかお出しすれば、お客様も喜ぶ。それもまた、料理なんだって」。
たしかに、そうだった。カウンターの向こうと、こちらで、言葉と心のキャッチボールをする。それが、接客の正体だった。
「だから、最初は苦労して、そして、最終的には、それがいちばんの楽しさであり武器になります」。
「楽コーポレーションには合計9年いました」と、向井さん。
「『30歳になったら独立する』って言ってたんです。でもね」といたずらっ子のように笑う。
「30歳のバースデーは、なんとカナダのバンクーバーにいたんです」。

サイレントクレーム。

楽コーポレーションのバンクーバーの店だった。
「『行ってくれ』って言われて。向こうのスタッフからもヘルプのコールがあったので。まぁ、楽しみでもありましたよね。それで、帰国したのが31歳で、最後は渋谷の大きな店で店長をして人を育てて、飛ぶ鳥、跡を濁さないようにして退職しました」。
宇野さんから、もう一つ教わったことがある。
「さっきのトマトの話あるでしょ。トマトを例に挙げると、ぜんぜん冷えてないトマトをお客さんに出したとします」。
<はい>
「ぬるいトマトです。旨くないです。でも、お客さんはなにもおっしゃいません」。
「それが、だめだ」と教わったそうだ。
「サイレントクレームっていうんですが、トマトが冷えてなかったことより、『冷えてないよ』って一言を言っていただけない関係がいけないんだって」。
提供する側と、される側とがイーブンであること。
高級店なら、そうはいかないのかもしれない。シェフの料理は絶対的だ。心のなかで首を傾げながらも、「おいしい」と口にする。
「楽コーポレーションは、そんな商売の原点を教わりました。私が探し求めていた『楽しさ』の正体は、まさにこの人間の関係性の中にあったんです」。
向井さんは、高校生のとき「太い人間関係」と表現した。その言葉の解像度を高めていくと、宇野社長がおっしゃった関係が、現れた。
宇野社長は、もちろん、今も慕う師匠である。

トンボは、前へ、前へ、飛ぶ。

「最初は渋谷で物件を探していたんですが、父親が倒れて、それで、何かあったらすぐに駆けつけられるように、実家のちかくの新所沢に1号店の「イザカヤ TOMBO」をオープンしました」。
調理も、接客も、もう、神レベル。
「12坪で、家賃は13万円です。最初は1日、2〜3組です。ま、それも事業計画通りの想定内でした。軌道に乗ったのは6ヵ月くらいですね。月商でいくと300万円くらいです」。
4年目に拡張する。
「大家さんが『隣が空いたんですが向井さんどうですか』って。それで、躯体壁をぶち抜いて大きな工事をして、倍の広さになって。こちらも6ヵ月後には満席になって、月商は600万円くらいになりました」。
<順調、そのものですね。どんな戦略を取られたんですか?>
「そりゃあ色々ありますが、おかげさまで売上は、今も割と好調です。戦略ですか? 戦略かどうかわからないですが、都内の飲食店で私が感動した料理やサービスを所沢で発信していきたいと思ってやってきました」。
「たとえば、サラダに季節のフルーツをトッピングするとか」と向井さん。
<いままでで、いちばんきつかったのは?>と聞くと、「スタッフに去られたときです」という。「売上は頑張ってなんとかします。でも、人の問題はそう簡単にはいかない」と漏らす。
向井さんと、お客さん、向井さんと、スタッフ。
どちらも、大事。
向井さんは、いずれにも愛情を注ぐ。
「正社員は、今、10名です。アルバイトが39名で、2026年の1月現在で、『イザカヤ TOMBO』をはじめ3店舗、プラス暖簾分けを2店舗オープンしています」。
いずれの店も、グルメサイトで高い評価を獲得している。それ以上に、つい立ち寄りたくなるたたずまいだ。
今後、トンボカンパニーはどこに向かっていくんだろう。
向井さんは、ホームページ「トンボの由来」で、つぎのようなことを語っていらっしゃった。
「トンボは、後ろに進めない生き物なんだそうです。前へ前へ 、上へ上へと行くしかないんです」。
そう、前へ、前へ、高く、高く、トンボは、飛ぶ。

思い出のアルバム

 

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