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第1155回 Global Bridge株式会社 代表取締役 青山祐司氏

update 26/06/23
Global Bridge株式会社
青山祐司氏
Global Bridge株式会社 代表取締役 青山祐司氏
生年月日 1983年1月18日
プロフィール 青森県生まれ。ゴルフ会員権販売、議員秘書を経て飲食の道へ。月300時間の猛烈な現場修業を経て独立し、現在は本格和食「和匠 八仙」等を展開。ベテラン職人の稀有な技術を最大化する経営を実践。現場主義と職人への深いリスペクトを武器に、和食文化の継承と海外進出を見据え、日本の価値を世界へ繋いでいる。
主な業態 「和匠 八仙」「のどぐろ専門店 八仙 秋葉原」「八仙 秋葉原 別邸」「うなぎの鶴松」他

朝礼の最前列と、1ヵ月で3センチと。

今回ご登場いただいたGlobal Bridgeの青山さんは、1983年に青森の八戸に生まれている。住まいがあった是川エリアの周辺には、古代のロマンが詰まった縄文時代の是川遺跡がある。
兄弟は3人。青山さんは次男。
「長男が188センチで、私が184、弟が178。兄は勤め人ですが、私と弟は事業をしています」。
弟さんは、青森で自動車関連の会社をされているそう。
「青森では2番手になってます。うちより売上がいいので、兄としては腹が立ちます」と笑う。
お兄さんとは5つちがい、弟さんとは2つちがい。全員、背が高いが、小学校時代、青山さんは、朝礼では先頭に立っていたそうだ。
「小学校のときは、ちっちゃかったんです。中学に上がるときでも149.1センチしかありません。ただ、それが、中学卒業時には178センチでした」。
「中2のとき、1ヵ月で3センチでかくなった」とのこと。
小学校からバスケットボールをはじめていたから、背丈は大事なポイントだった。
「小学校では、女子がむちゃくちゃつよかったんです。女子と試合をして勝ったことがない。だって、全国大会に行くようなチームでしたから散々でした(笑)」。
小さなからだの青山さんは、どんなふうにコートを走り回っていたんだろう。
<高校もバスケですか?>
「高校は、そうですね、バスケです。兄が先にバスケのスポーツ推薦で進学した高校です。公立ですが、監督が有名で」。
小・中とは弱小だったが、高校はちがった。
1年のときには、練習にもついていけなかったそう。
しかし、3年の終わりにはレギュラーになった。ちなみに、背丈が6センチ高くなったぶん、ゴールがちかくなった。

大学進学と、就職と。

青山さんは大学ではじめて青森を離れた。進んだのは、千葉県の国際武道大学。なんでも権威あるスポーツトレーナーの教授に師事したかったそうだ。
ただ、2年生くらいになるとスポーツトレーナーへの想いが冷める。
ちなみに、大学ではバスケットボールではなく、レスリングをはじめる。<なぜ?>と問うと、「なんででしょう?」と首をひねる。
ほんとに思い出せないらしい。
このとき、お父様が亡くなっている。
「大学辞めるな。母親を守れ」。お父様はそう書き遺した。
優しくて、強くて、怖い父だった。
大学を卒業した青山さんは、冠婚葬祭関連の会社に就職し、その後、ゴルフ会員権の会社に転職する。
合計7年、在籍したというこちらの会社で、「社会人のイロハをすべて身につけた」という。
「高額な会員権は1000万円以上ですから、商談の相手もちがってきます。たいてい上場企業の役員の方です。だから、売買契約書など、書類の知識はもちろんですが、そういった社会的な地位のある方々とのコミュニケーションの方法や、身だしなみも含めて、勉強させていただくことができました」。
青山さんのデスクのすぐちかくに社長のデスクがあった。
「社長にも可愛がっていただいて、ごはんにも何度も連れていっていただきました。いごこちは申し分なく、だから、このときは、独立なんて思っていなかったです」。
だが、人生はわからない。

政治家になるには、金がいる。理想と、現実と。

「ほんとわからない」と、青山さんは笑う。
「小さな頃から経営者だった父親の背中をみてきたからでしょう。私も起業することが一つのゴールだと、じつは学生の頃から経営の本をよみ、のちにお世話になる、株式会社subLimeの代表、花光雅丸さんのブログなども面白くって、勉強になるから、いつもチェックしていたんです。ただ、ゴルフ会員権の会社はいごこちがよくて、独立や起業の思いは霧散していました。ただ、ある人との出会いで、いままで思っていなかった方向へ、進みだすんです」。
<それが政治?>
「そう。ある代議士の第一秘書とたまたま知り合って。感銘を受けて、私も「日本のために、はたらこう」と心を決めたんです。そして、よくしていただいた会社を退職して、ある代議士の秘書になります」。
秘書の仕事は志がないとできない仕事だった。
「とにかく、ハード。選挙になると、朝6時から深夜の0時や1時まで仕事がつづきます」。
講演会の調整、人集め、椅子集めも仕事の一つ。
いつか、日本を動かす政治家に。
「当時、結婚もしていましたから、妻には迷惑をかけました。時間もないですし、じつは給料も半分程度になって、私の収入だけでは食べていけなくなりました」。
<それでも、いつかですね?>
「そう。もちろん、政治家になることがゴールじゃありません。日本のためになる。それがゴールです」。
およそ3年。青山さんは秘書として走り回った。ただ、政治の世界は、ピュアな思いだけではどうにもならないことがわかってくる。
「地盤、カンバン、カバンもない私が、かりに、ある党から立候補させてもらったとして。うまく政治家になれても、カバンも看板もなければ、力が無ければ党の言い分を丸呑みにしなくっちゃなりません。党議拘束がかかれば、党の言うとおりにしなくっちゃいけない世界なんです」。
代議士になっても、お金がないと自由にできない。人から渡されるお金には重い鎖がついていた。
「それがいいことなのか、悪いことなのかわかりませんが、政治家になれても、賛成票や反対票の、その1票にしかなれないんだったら意味がないと思うようになるんです」。
<それで政治家を志すのをやめたんですか?>
「いいえ。私が思う政治家になるために、独立して、代議士になる軍資金をつくろうと決意したんです」。
昔から読んでいた、subLimeの花光さんのブログが灯台になり、花光さんが羅針盤になった。

花光さんとの出会いと、業務委託と。

subLimeの花光さんについては、改めてお伝えするまでもないだろう。ちなみに、この「飲食の戦士たち」にも2回ご登場いただいている。現在は、株式会社beagleの代表だ。
「私がsubLimeに就職したのは、ちょうど『ひものや』をM&Aしたときです。花光さんからメールで『キミ、いいね』っていっていただいて、就職が決まり、もっとも売上が高い店舗を希望し、ひものや渋谷店に配属していただきます」。
月商1200万円をオーバーしていたそう。
「そりゃむちゃくちゃ忙しかったですね。残業含め月に300時間程度。秘書時代とかわんない(笑)。それに、まったくの素人なのに、3日で焼き場を担当させられたときには、びっくりというか。それでも、ひとつでも早く覚えたいと思っていましたので、ビビって断るわけにはいきません」。
10月に就職し、2月には店長に昇格する。
始めて店長になったのも花光さんがキッカケなんだそうだ。
「当時、池袋のロサ会館近くにあるひもの屋が赤字で赤字が月に100万くらい出てました。店長をやりたい!とアピールしていたら、花光さんから『そこの店長やる?3ヶ月で結果出なかったら撤退だよ?』と言われて二つ返事で引き受けました」。
出勤前の2時間はポスト投函、深夜は1人回し、お客様がいらっしゃらなければ鍵を閉めてキャッチに行き、お客様の来店が決まったら鍵を開けて営業と、今では考えられない猛烈な働き方を続けた。
「やる気のあるアルバイトだけでチームを作り、そのアルバイトがイキイキと活躍しだして…着任2ヶ月目で損益分岐を超えて、3ヶ月目から黒字化。売上は2倍になりました」。
黒字化した3ヶ月目の終わりに花光さんから「黒字化してくれてありがとう」というメールをもらって、とにかく嬉しかったのを今でも覚えているそうだ。
「独立して、繁盛店をつくり、政治の世界へ打って出ることがゴールですから、毎日が勉強、全部が勉強でした」。
当時のsubLimeには、青山さん同様、独立希望者が少なくなかった。いい意味で刺激となり、情報の共有もできた。
「業績は、申し分なかったですね。subLimeのスキームは業務委託としての独立です。私が最初に業務委託で運営したのは『相席屋』でした。それからも業務委託で、数店舗を運営します。ただ、私が店にいるときは売上が上がるんですが、離れるとまた落ち込む。そんな繰り返しでした」。
軌道に乗らないなか、コロナになり、複数店舗を手放す。空家賃を払い、数百万がとんでいった。政治家の軍資金どころではなくなった。

和食、職人へのリスペクトと未来と。

<寿司居酒屋という発想はその頃からあったんですか?>
「寿司を食べて、2軒目に居酒屋というのは、定番のコースですよね。それを一つにすればどうだろうか、と。構想自体は、ありました。ただ、居酒屋と比べて寿司のハードルは高いんです」。
寿司職人がいないと話にならない。
「これもたまたまなんですが、ある大手寿司チェーンで勤務している人に出会って、1年かけ口説いて、それでスタートします」。
<今、経営されている「のどぐろ専門店 八仙」などは本格的な和食というイメージです>
「和食は、知人がやっていて、そこで勉強させてもらって、2023年からです」。
<ときわ亭も経営されています>
「こちらはFCです。加盟させていただいて、業績は今もいいです。本部の方もしっかりされていていつもお世話になってます」。
<現在は、和食店3店舗と『ときわ亭」のFC1店舗。今後も両輪ですか?>
「いえ、自社ブランドである和食に注力していきます」。
「和食はむちゃくちゃ面白い」と青山さんはいう。
「長年、和食の世界にいた料理人がつくる本格的な料理には、毎回、目を見張ります。私自身が料理の修業の経験がないので、想像するだけですが、相当な修業時代を経験されてきたんじゃないでしょうか。そう思うと、自然にリスペクトが芽生えます」。
50代、60代、料理人は若くない。ただ、最高のテクニックをもっている。
「和食の料理人は、ベテランになるほど使いにくいという人もいますが、もったいないです。彼らの技術はほかにありません」。
ちゃんと、互いをリスペクトできればいい。政治の世界とは異なる、ピュアな世界。人の手がつくる「料理」という二文字は、作法とテクニックによって美しくつくられていく。
グルメサイトに掲載されている「のどぐろ」の料理写真に、青山さんが言っていることが鮮明に映し出されていた。
「社名にもある通り、『海外へ』というのは、ずっと思ってきたこと。まず、今の和食ブランドを都内にあと複数店舗オープンすることと、海外ですね。これを実現したいです」。
ただし、すぐにということはできないらしい。
「だいたい1店舗オープンするのに、5000万円程度コストがかかります。回収にはそう時間がかかりませんが、2店舗になると1億くらいかかるので、オープンできて年に2店舗くらいなんです」。
料理人の確保は、素晴らしい巡り合わせと持ち前の運もあるらしい。
「たぶん、料理人を私がすごくリスペクトしてますし、リスペクトしてるからこそ結果を正当に評価し給与で還元していきます。
想いがある料理人の方にとってもうちはすごくやりやすいと思うんです」。
いつか、そんな職人といっしょに海外へ。
<ちなみに、政治家は?>と聞くと、「そちらに進むのは、もう考えていません」と一言。
「代わりにしっかり納税して、日本の役に立つ」と笑う。
政治家にならなくても、日本のためにはたらくことはできる。それが、青山さんの、今の回答だ。

思い出のアルバム

 

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