


| キリンシティ株式会社 代表取締役社長 田中賢了氏 | |
| 生年月日 | 1980年5月5日 |
| プロフィール | 2004年キリンビール入社。37歳のとき、最年少で部長に昇進。2021年には外部の「生団連」事務局長に抜擢され、出向し、幅広い視野を養う。2026年3月に現職に就任。「継承と発展」を掲げ、ビアレストラン事業を通じて人々の日常に新たな価値と彩りを提供し、社会に活力をもたらすことを目指している。 |
| 主な業態 | 「キリンシティ」「キリンシティプラス」他 |
| 企業HP | https://www.kirincity.co.jp/ |
今回、お会いした経営者はキリンシティ株式会社の代表取締役社長、田中賢了さん。1980年、宮崎市に生まれている。
お父様は警察官で、田中さんいわく「典型的な九州男児」で、逆らうことができない厳格な人だったそう。
「公務員ですから転勤も多く、いわゆる官舎を転々として生活していました」。
田中さんは指で数えながら「小学校が3回、中学2回、それと、高校進学時に1回」と笑う。
転校の回数だ。
<それはたいへん>というと、「案外、つらくはなかった。スポーツをつづけていたからかもしれません」との回答。
水泳と野球を小学校の6年間。中学からはサッカー。たしかに、一緒に汗を流せばすぐに打ち解けられる。スポーツはそこそこできたから、尚更、コミュニケーションには困らなかったのかもしれない。
ちなみに、田中さんがサッカーをはじめた年に、Jリーグがスタートしている。
「若い頃は派出所にもいたんでしょうが、私が物心ついた頃には刑事になっていました」。お父様は柔道、少林寺にも長けていらっしゃったそう。
「釣りが好きで、私も何度か連れて行かれました。船釣りだから、『げぇげぇ』吐いていた記憶しかないです(笑)」。
刑事はお休みを取るのもたいへんらしく、「家族旅行にはちゃんと行ったことがない」と田中さん。
「たまたま、お休みが取れて家族で出かけるでしょ。すると、決まって父のポケベルが鳴るんです」。
母と子どもたち3人(田中さんの下に妹が2人いる)が顔を見合わす。「ハイハイって、感じで」。
<ひょっとして、事件ですか?>
「そう、当然、Uターンです(笑)」。
大学で、田中さんは、宮崎を離れている。進んだのは横浜国立大学だ。
<「横浜」という響きがいいですね>というと、田中さんが頷く。
「宮崎とちがって大都会だなって。そうそう、横浜に行くとキリンシティの横浜モアーズ店があって。初めて行ったキリンシティが横浜モアーズ店です」。
縁を感じますね?
「ただ、当時はまさか将来飲食業の仕事をするとは夢にも思わなかったですね」。
大学では、ストリートダンスをはじめている。
言いたくはないがと言って「色々と手違いもあって、必須科目を取っていなくて1年、留年もしているんです」と笑う。
5年間の学生生活が終了し、キリンビールに入社する。
じつは、「飲食の戦士たち」では縁をいただき、歴代のキリンシティの社長をインタビューさせていただいている。みなさん、キリンビールのご出身だ。
前社長である波多野さんは、インタビューで「アルコールは苦手だったんですが、ビールは人の喜怒哀楽に寄り添う、そういうイメージがあって」と、キリンビールに就職した動機を話されていたが、田中さんもまた「ビールが好きで。ビールは喜怒哀楽のシーンで飲まれている。そこに惹かれた」とおっしゃっている。
「苦手」と「好き」のちがいはあるが、奇しくもおなじ一言。ただ、好きなだけあって、田中さんは一歩、踏み込む。
「諸説あるんですが、ビールは文明とともにあると言われていて、人類にとって切っても切れない存在だなと」。調べてみると、シュメール人は紀元前4000年にビールをつくっていたそうだ。
「ビール会社っていったら、競合も3社でライバルが明確という点にも惹かれたんです」。
ビール業界を選択した背景に、田中さんの意外な性格が浮かび上がる。どうやら戦闘モードの田中さんの話もおうかがいできそうだ。
入社後の歩みをざっと紹介すると、2004年、キリンビール入社。「首都圏流通部」に配属され、千葉や東京エリアを担当。その後、当時あった「広域流通部」に異動して、大手スーパーなど全国チェーンを担当する。
その「広域流通部」で、37歳のときに当時、最年少で部長に昇進する。
<同期のなかでも、出世頭でしょ?>と、話をふると「どうでしょう。まぁ、そこそこじゃないですか」と笑う。
<挫折はなかったですか?>
少し意地悪な質問には、「ありましたよ」とトーンをあげる。
「首都圏流通部から広域流通部に異動すると、世界がぜんぜんちがうんです。バイヤーの機嫌を損ねて1品目でも『いらない』と言われれば、それだけで軽く30億円が吹き飛ぶ世界です」。
<スケールがでかくて、それでいてデリケートな世界なんですね?>
「しかもね」と田中さん。
「相手はベテランのバイヤーさんばかりで、生半可な商談は許されません。さっきライバルは3社と言いましたが、そんなに簡単な話じゃなかった。競合の営業担当は全員がエース級のベテラン。経験値がまったく違うんです」。
商談相手も、ライバルも、全員百戦錬磨の猛者ばかり。「若造が」という目でみられたときもあったにちがいない。
「最初の2年間は、修羅場だった」と田中さんは表現する。最初は相当なプレッシャーもあった。田中さんはそのときのことを「分かりやすく野球に例えるなら、それまで日本のプロ野球でプレイしていたのに、突然メジャーリーグでプレイしなければいけなくなったような感覚でした」と語っている。
しかし、その修羅場が、いつしか田中さんの晴れ舞台となっていく。
「ハードでしたが、凹まず、媚びず、提案をつづけます。あるとき、キリン、アサヒ、サッポロ、サントリー、それ以外のメーカー全部合わせても、スーパー全体の総売上げのうち、お酒のシェアはたった7%程度だってことに気づくんです。その小さなパイをメーカー同士で奪い合っても、小売店にはなんの意味もない。少なくとも、小売店の価値向上や売上拡大に直結するものではないと考えました」。
たしかに、そうだ。
「だから、そのときから私は従来のメーカー視点にとらわれず、『店全体の売上をアップしていきましょう』と、提案をしていったんです」。
「酒類のカテゴリー全体のマーケットと、そのなかでのキリンのシェアの掛け算」と田中さんはいう。
「だんだんと担当者も私の言葉に耳を傾けてくださるようになり、小売店の売上をメーカーと一緒に協働する中心的役割を担う、(ビールの)カテゴリーリーダーを『キリンさんにお任せします』という言葉までいただけるようになったんです」。
1品目減れば、年間30億円がとぶ。しかし、その逆もある。
シェアを奪うというメーカーの発想を捨てること。この大胆な発想は、若いからできたのか、それとも田中さんだからできたのか。
いずれにしても、若い田中さんを投入したのはキリンビールの英断だった。
2021年、そんな田中さんに、もう一つの指令が下りた。
「緊張しないタイプなんですが、あのときはさすがに」と苦笑する。
じつは、田中さん、2021年にキリンビールを離れ、株式会社ライフコーポレーションの創業者、清水信次氏が中心になって2011年に立ち上げた「国民生活産業・消費者団体連合会(生団連)」の事務局長となった。
「生団連は、食品メーカー、流通、小売、外食、さらには消費者団体やNPOなどが連携し、生活者視点に立って政策提言を行う団体です。多様な立場の組織が連携する中で、社会全体を俯瞰する視点を学ぶ貴重な機会となりました。私が事務局長のときにはゼンショーの小川賢太郎前会長(故)が2代目の会長をされていました」。
生団連のオフィスもゼンショーのなかにあったそう。
「今まで出会ったことのない大手企業の社長、有識者、政治家、官僚にもお会いしました」。
当時の総理や各党党首にも会ったそう。
「何より、ゼンショーの小川会長と密にお話できたことは、感謝しかなく、私のなかで大きな財産になっています」。
<緊張したのでは?>というと。
「そうそう、突然、ちがった世界に放り込まれて。着任6日目で生団連の理事会というものがあって、役員である会社の経営者や団体の代表を前に、その会を仕切らなければならなかったのです。団体活動も始めてて、中身もまだよく分かっていない(笑)」。
<それは、さすがに緊張しますね?>
「もちろん、小川会長の横に座って話をするんです。それだけで、緊張しました」。
小川会長は、小さな弁当店を創業したときから「世界から飢餓と貧困を救う」とおっしゃっていたそうだ。
「まるで私たちと視座も思考の幅と深さもちがった」と田中さん。
その小川会長から「あと1年」(通常は2年だが、田中さんは3年)と異例のオファーを受けたそう。事務局の組織を強化したことが評価されたにちがいない。
メーカー目線から小売目線、そして、消費者目線、国民目線へと、田中さんの視野が広がっていく。
2024年春、出向が解かれ、キリンホールディングス本社に戻る。
<小川会長から贈られた言葉のなかで印象に残ったのは?>とうかがうと「政治は国境を超えられないが、株式会社は国境を超えられる」と「人類共生・世界平和、自らの手で」の二つを挙げられた。
いかにも小川会長らしく、そして、田中さんらしい。
その後、田中さんはキリンホールディングスの経営企画室で活躍する。そして、2026年3月、新たに指令が下りた。
キリンシティの社長という、新たな役割と舞台への異動だ。
「キリンシティ」は、キリンビールが100%出資する本格的なビアレストランだ。全盛期には48店舗あったが、2026年5月現在、コロナの影響もあって27店舗(うち直営24店舗)に減少している。
V字回復の途上でもあるのだろう。
「現在の経営課題は、『来店客数の拡大』と『体験価値の向上』にあります」と田中さんはいう。
「メニューの価格があがっているなかで、客単価を追いかけるのではなく、リピーターを含めた既存のお客様の来店頻度と、新規のお客様の来店数をあげる、そうして来ていただいたお客様にキリンシティならではの体験価値を提供し、また来ていただくのが、中長期的な成長を実現するための重要な鍵」ということだ。
秘策はあるんだろうか。
キリンシティといえば、ドイツ仕込みのビールの3回注ぎが有名だ。1度に注がず3回に分けることで、苦みが抜け、綿のような泡がまろやかな口当たりを演出する。
ビールの種類も豊富。「一番搾り」「ブラウマイスタ―」のほかにも「ラガー」「ハートランド」「一番搾り黒生」「クラフトビール各種」と、グラスのなかが底をつく前から、つぎに何を飲むかとメニューに目を走らせてしまう。
もちろん、ビールだけではない。「職人のソーセージ」や「CITYポテト」など、ビールにあうフードメニューも豊富。ビールを知り尽くしたキリンシティだからこそのメニューもまた看板の一つだ。
ただし、本格的なビールに酔うファンは減少傾向にある。ビールから遠ざかっている若者も少なくないのではないだろうか。
「若い世代のお客様に対しても、新たな価値提案が必要だと考えています。従来の『ビアパブ』のイメージから進化し、より明るく、食事シーンでも気軽に利用いただける“ビアレストラン”としてのブランド確立を進めています。また、ランチ営業の強化により、初来店のきっかけを広げる取り組みも推進しています」。
「継承と発展」。
田中さんは、経営のキーワードに、この2つを挙げる。
「私は、外食経験のない社長です。ですが、経営をやるためにここにいるので、これまで積み上げた当社の歴史を継承し、これから先の未来に向けて発展させていく使命があります。外食未経験の社長が、どこまでやれるのかと思われているかもしれません」。
ただし、その経歴がマイナスになることはないだろう。「飲食」という限られた世界のなかだけではなく、営業や社外出向を通し、広い世界をみてきた田中さんである。
そういう観点からみれば、今のキリンシティにとって、最良の継承者であり、発展を委ねる人物なのだろう。
女性客がふたり、テーブルを囲んで、ビールを飲む。「ビールっておいしいんだ!」「キリンシティのビールなら飲める」。
乾杯のつづきに、そんな会話が聞こえてきたら田中さんの戦略は大当たり。若者のビールをみる目がかわってくる。これが、発展のキー。
「今はまだ東京や大阪などですが、首都圏以外の地方都市への進出も視野に入れていきます。全盛期と比較すると、半分ちょっとですが、キリンシティのポテンシャルは、まだまだあると思っています」。
人生に寄り添う1杯のビール。
その一杯がもたらす笑顔と豊かな時間こそが、キリンシティの提供価値である。
ビールそのものが、ご馳走なのだ。
その体験を、一人でも多くのお客様にお届けするために、これからも彼らは一日一日と磨き続けている。





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