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第1163回 株式会社レゴリス 代表取締役社長 星 幸輔氏

update 26/08/18
株式会社レゴリス
星 幸輔氏
株式会社レゴリス 代表取締役社長 星 幸輔氏
生年月日 1978年3月27日
プロフィール 高校で留年を経験。卒業後、一般企業に入社し、営業職として社会人をスタート。その後、飲食の世界へ。名店「魚金」「越後屋」で修業を積み、37歳で独立。コロナ禍の逆風下で「大衆魚食堂才蔵」を繁盛店へ導く。現在は株式会社レゴリス代表として「サバ専門店」を展開。JALとのコラボを行い「サバのカリスマ」とメディアにも取り上げられている。
主な業態 「大衆魚食堂才蔵」「SABA食堂 小助酒場」「SABA食堂 佐助酒場」他
企業HP 下北沢店
https://saba-shokudo-shimokitazawa.com/
吉祥寺店
https://saba-shokudo-kichijoji.com/
飯田橋店
https://robatayaki-saizo-iidabashi.com/

月の砂と、従姉妹のワンピースと、生きている証と。

「レゴリスは、月の砂のこと」。そう回答してくれたのは、今回、ご登場いただいたレゴリスの代表、星さん。
月と星がいい感じでマッチしている。ロマンチックな話を期待して耳を傾けていると、真逆でリアルな話がはじまった。
「ぼくは、生後すぐに息をしなかったらしくて、生きられたのは奇跡だったそうなんです。その話を聞かされてから、生きていることをちゃんと証明したくて」。
「TVに出たい」と思うようになったそう。「じつは今も出たいんです」と、まじめなトーンでつぶやく。
「ただ、最近になってね。民放全キーに取材されたんです。うちはサバ専門店でしょ。サバが今、むちゃくちゃ高騰しているんです。だから、そのニュースで…」と笑う。
「子どもの頃、お金があったら、絶対役者の養成所に通っていたと思う。でも、なかったから断念するしかありません。うちは、兄弟3人で、5人家族です。とにかく貧乏で、遠足のおやつもなかったし、レジャーといったら海に家族で行くんですが、ぼくは従姉妹のお姉さんのワンピースを着ていたくらいなんです」。
――それは、ちょっときつい――
「でしょ。洋服はすべてお下がりだったし、木造で風呂がなかった。だから、銭湯には2日に1回。でもね。それはそれで楽しかったかもしれない」。
「で、さっきの役者の話のつづきなんですが、昔、新橋の魚金(うおきん)って店で働いているときのこと。自称、ジャニーズと吉本の社員さんがいらして『お兄さん、将来、何かめざしてないの?』なんて言いながら誘ってくるんです」。
「でも、当時の新橋でしょ。ジャニーズの人が来るなんて思わないじゃないですか。酔っ払いが、しつこくからんできてるくらいに思って、あしらっていたらカチンときたんでしょうね。ジャニーズの名刺を差し出されて、『チャンスはこうして一瞬でなくなるから気をつけな』って(笑)」。
――それは、もったいない――
「どうかな」と言って星さんは笑う。

救ってくれた恩人と、恩人を救った星さんと。

星さんが生まれたのは、1978年3月27日。
「じつは4月に生まれる予定だったんです。それが、数日、早くなった。だから、そう、中学までは剣道とかを習うんですが、ちっちゃくて。バレーボールをしていたんですが、中3で144センチしかありませんでした」。
4月1日生まれの生徒とは、たった5日の差だ。学年では、ぐるっと1年離れている。そりゃ、そのぶん、小さい。まだ、砂の一粒だった頃の話。
兄弟についても、聞いてみた。
「兄は宇宙人で、弟はガチのヤンチャ。ぼくは、ちょいワル」。
宇宙人からガチのヤンチャまで、グラデーションの真ん中にちょいワルの星さんがいた。
「ワルといっても、ぼくの場合はガチじゃなくって。学校に行くまでに喫茶店に行っちゃう程度。だべっていると、『あ、5時間目でヤベー』って。それで、単位と出席日数が足りなくなって、高校に4年通っています」。
「留年」。周りは1学年下。だが、5日あとに生まれていたら、同級生。むしろ、こっちのほうがちかい。
「留年は挫折でしたが、後輩といっしょになったこと自体は気になりませんでした。私が進学したときに、留年した人がいたんで、そういうもんかなと、抵抗感がなかったのかもしれません」。
「4年目にいい先生に出会った」という。
「担任の先生なんですが、恩人ですね。その先生のおかげで卒業できたようなもんです」。
ただ、先生にとっても星さんは、恩人だった。
「その先生は、ラグビー部の顧問でした。ぼくが3年生、というか、4年目のときですね。部員数が足りなくなって存続の危機に陥ったんです。先生が困っているのをみて『じゃあ、ぼくが入ります』って手を挙げたんです」。
この話から、星さんのやさしさと行動力と、そして、多少の無謀さが浮き彫りになる。
「ほかの選手とは、からだのサイズからしてぜんぜんちがった」と星さん。
そういや、星さんの3年間は、喫茶店通いがルーティンだった。スポーツとは無縁。
からだの小さな星さんが、グラウンドを駆ける姿を想像すると、先生を恩人と慕う星さんの気持ちと、ちょいワル星さんの意外な、ひたむきさが伝わってきた。
一粒の砂は少しずつ光りはじめた。

「報・連・相」厳禁と、独りで立つ力と。

「学校の紹介もあって、ゴム関連の会社に就職しました。3年半くらい勤めました。仕事ですか? 仕事は父親のアドバイスもあって営業職です」。
――どうでした?――
「3年半、つづけていますから、成績も悪くはなかったんでしょうね」。
――魚金はそのあとですか?――
「そうです。さっきのジャニーズの話は、そのときのことです。当時の魚金は今みたいに有名じゃなかったです。そのあと、越後屋に移るんですが、これもまた私のターニングポイントの一つです」。
「看板は同じでも全店、独立採算制だった」と星さん。
営業利益の30%が店長の取り分。
「最初から45万円くらいありました。最高は、80万円くらいです。社長ともお話することが多く、かなり影響されています(笑)」。
「報・連・相が厳禁だった」と星さんは、突然、切り出す。
「なにをやってもいいんです。メニューも店舗でちがうし、なんなら価格もちがいます。ぜんぶ、フリー。マニュアルも、ルールもない。ただひとつ、報・連・相が厳禁」。
「ふつうその逆でしょ。でも、わかるんですよね。相談はもちろんですが、報告も、連絡も毎回、相手にしていたらキリがない」。
ルールで「報・連・相」が禁止されている。だから、独学で学んでいくしかなかった。ただ、それがかえって、星さんを育てた気がする。
「調理の経験がなかったんですが、それはなんとかクリアできました。困ったのは、スタッフの育成です。そもそも採用が難しいエリアだったし、若気の至りっていうんでしょうか。ちょっときつくあたったときもあって」。
――ほかの店長に相談しなかったんですか?――
「それもなかったなぁ。月1回定例会があったんですが、会社のなかに『共有』っていう概念がなかったんだと思います」。
調理も、採用も、育成も、経営もイチからで、本人は悩んだことも少なくなかったというが、高い給料が示す通り、課題をつぎつぎとクリアし、社長からも高い評価をもらうようになっていく。
そして、37歳で独立。

独立。たった2文字の重みと、コロナ禍での出店と。

「『独立させてください』っていったら、社長が『新店をオープンするんだったら、もう1店舗、業務委託で、今の店をつづけてもいいよ』と言ってくれたんです。今、48歳だから、ちょうど11年前のことです」。
――そのときオープンされた1号店は売却されたそうですが、2号店のオープンは、いつ頃ですか?――
「コロナのときなんです」。
――飯田橋の「大衆魚食堂才蔵」ですね?――
「そうです。コロナが始まる2月に物件を契約して、だんだんと雲行きが怪しくなっていくんですが『オープンする頃には、風邪くらいになっている』って、みんなが口々に言うんです。でも、オープンする6月になってもコロナの猛威はおさまりません。すると、今度は『大丈夫か』『大丈夫か』って。たしかにヤバいですよね。助成金もでなかったから、私だって、大丈夫かって言いたくなります(笑)」。
――でも?――
「そう、でも、なんとか。ランチだけでも2回転しましたから、なんとか乗り切ることができました」。
そのとき、星さんは1号店を売却している。そこで得た資金も運転資金となったんだろう。
今、「大衆魚食堂才蔵」をグルメサイトで検索すると、評価点が高い、高い。星さんの努力がうかがえる。
「独立」。
前職時代にも独立採算制で、経営者のようにふるまっていたが、風景はまったくちがっていたのではないだろうか。「独立」の二文字は、やはり重い。

旨いだけじゃ物足りない。サバ専門店、オープン。

現在、星さんは、この「大衆魚食堂才蔵」のほか「下北SABA食堂 佐助酒場」「SABA食堂 吉祥寺 小助酒場」を経営している。
「SABA食堂」とつくくらいだから、「サバ専門店」である。メニューは、サバ中心。サバを焼き鳥スタイルでいただく名物「サバ串」は、みるからに旨そうだ。
もちろん、しめサバ、みりん、醤油、塩焼きと、様々なサバが堪能できる。「サバ好きには堪らない」との評価にも頷ける。
――ところで、どうして、サバだったのか?――
そう質問すると「サバ自体は、昔から扱っていたんです。専門店でいうと決めたのは、やはりコロナ禍のときです」。
「店なんだから旨いのはあたり前」と星さんはいう。「でも、それだけじゃなく、もっとお客さんに喜んでいただくには、なにがあったらいいか、と」。
「そのとき、からだが喜ぶものってなんだろう?と思って。いろいろ調べてみて、これだと思ったのがサバだったんです」。
――それで、サバ?――
「そうです。下北沢のこの店がサバ専門店のスタートです」と、インタビューにお邪魔した店をぐるりと見渡す。
「下北SABA食堂 佐助酒場」は、坪単価2万6000円で、26坪、44席。
ネオ酒場という位置づけだそうだ。そしてこの店には、じつは、もう一つの「顔」があった。

サバヌーヴォーと星さんの今。

「ここは、1年に1ヵ月『下北SABA食堂 佐助酒場』じゃなくなるんです」。
にやりと笑いながら、星さんが話を進めた。
――どういうことですか?――
「じつはね。JALにジャックされて、店名も『サバヌーヴォー』に変わるんです」。
――え?――
思わず、声がでた。
「いや、ほんとに乗っ取られるんじゃなくて(笑)。JALとのコラボで『サバヌーヴォー』っていう企画をやっていて、今年で4年目なんです。JALの関連会社が、ノルウェーからサバを冷凍しないで運んできます。そして、うちの店で1ヵ月くらい『サバヌーヴォー』を開催するんです」。
「私自身は、同時期に催されるイベントにも出演して、サバを焼いています」。
なんだかTVに出るより、楽しい仕事をされている。
「その1ヵ月は、店内もJAL一色です」。
ちなみに、「サバヌーヴォー」とは、旬の時期(9〜11月頃)に漁獲された、脂乗りと大きさが最高品質のノルウェー産のサバのことらしい。
星さんのいうイベントは東京ソラマチで開催される「ノルウェーシーフードフェス」のこと。 
フェスではサバを焼き、その焼き方まで指導しているそう。「サバのカリスマ」と言われているのも頷ける。
そして、カリスマの店「下北SABA食堂 佐助酒場」は、見事にジャックされる。
「たくさんのお客さんにいらしていただき、極上のサバを堪能していただいています」。
振る舞われるサバは、なんとノルウェーから72時間で到着しているんだとか。
旬の魚が短時間で届くのだから、新鮮で、旨いに決まっている。しめサバではなく、生サバが食べられるそう。
「焼いてもやわらかく、ふっくらしていて。刺身も最高なんです」とサバのカリスマは、頬を緩める。
インタビューさせていただいたのは、2026年6月で、その時点ではやくも「今年もやる」とのこと。
――それは楽しみですね――
「お客様も楽しみにしてくださっています。ただ、サバが去年と比べるともう倍になっていて、ちょっと頭が痛いですね」。
「温暖化をはじめ、乱獲や円安の影響」で価格が高騰しているそうだ。そのおかげでTVに出られたのだから、皮肉な話でもある。
しかし、それもまた、「サバのカリスマ」となった星さんの今を語っている。そういえば、インタビューの冒頭で、社名の話を聞いたときのこと。
星さんは、月のことを語っていた。
「月って、月が光っているわけじゃないんです。月にある一粒一粒の砂が太陽の光を受け止めて輝いているんです」。
「一人一人が、その輝く一粒になれ」。
星さんは、そう言うために「レゴリス」と名付けたのかもしれない。だとすれば、まっさきに光り輝いたのは、星さん自身だ。

思い出のアルバム

 

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