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第346回 株式会社オールマイオウン 代表取締役 佐藤則裕氏
update 13/01/22
株式会社オールマイオウン
佐藤則裕氏
株式会社オールマイオウン 代表取締役 佐藤則裕氏
生年月日 1976年12月13日
プロフィール 千葉県柏市に生まれる。兄弟は1つ違いの弟が一人。中学生時代からアルバイトを始めるなど早くから自立。青山大学の夜学に進み、卒業後は、野心を胸に大手レストランチェーンに就職。最年少店長などのレコードを次々に塗り替える。2010年5月1日、33歳で独立開業。2012年12月現在、鉄板骨付き鶏と本場讃岐うどん「肉屋鶏男」、直売所×鮮魚酒場「鮪/おさかな市場」、「NIKUYAぶた娘」など5店舗を展開している。
主な業態 「肉屋鶏男」「NIKUYAぶた娘」「【鮪】おさかな市場」
企業HP http://nikuyatorio.com/

大家さんの息子は、お金持ち。

父は、ハイヤーのハンドルを握っていた。仕事は至ってマジメだったが、家はそれほど裕福ではなかった。もう、TVゲームもある時代だったが、もっぱら外に出て遊んだ。メンコに、野球に、サッカー…。だがどこかで、TVゲームに熱中する友達をうらやましく思っていた。
「いま思えば、ぜんぜん貧乏じゃなかったんですが、当時は、うちは裕福じゃないと思い込んでいました。大家さんの息子が私と1つ違いだったんですが、彼は最新のゲームも持っているし、ディズニーランドにも頻繁に連れてもらっていた。習い事にも通っていました。そういうのを観てひがんでいたんでしょうね」。
そういった子ども時代の思いが、早くから少年を自活の道にいざなった。

中3生から始まったバイト人生。

「自活」は少年佐藤にとって目標の一つだった。中学3年生から平日はレストラン、休日は引っ越しのアルバイトに励んだのも、そのためだ。高校時代も、大学時代もバイト1本。なかでも引っ越しのアルバイトは6〜7年、続けている。
「いまでも当時の仲間たちとは交流があります。あのバイトのおかげで『段取りや人の付き合い』という社会人の基本が勉強できました。いまがあるのは、あのバイトのおかげだと、スタッフにも言っているんです(笑)」。
バイトは真剣だったが、授業にはイマイチ熱が入らない。それでも中・高では、真ん中より上の成績を残したが、大学では4年生で単位を取りまくり、かろうじて卒業している。
ちなみに大学1年生のバイト代は年間320万円、2年生で280万円。進んだのが青山大学の夜間ということもあったのだが、「学生とバイトという二足のわらじ」というより、バイト一本勝負だった学生時代が、思い浮かんでくる。

野心を抱え、大手レストランチェーンへ。

早く自活したいと思っていた佐藤が、1浪までして大学進学にこだわったのは「やりたいこと」がみつからなかったからだ。
もちろん大学に進学してもアルバイトだけで食べていくだけの自信があったからだとも言える。
だが、結果的にはバイト1本。佐藤はどんな就職をするのだろう。
「大学の3年生の時に、ホテルマンになろうと思いました。就職活動も行い、あるホテルから内定もいただいたんですが…」。
父からも「何故、ホテルに就職しないんだ」、とめずらしく詰められたそうだ。
「ホテルが悪いわけではなかったんですが、ある大手レストランチェーンに入社することに決めました。コチラのほうが早く上に行ける、と思ったのがその理由です」。
まだ若く、野心があった。
アルバイト時代にも300万円を超える年収を得たこともあった。だが、社会に出て手に入れたいのは、そんなちっぽけな額ではなかった。

最年少のレコード更新

社会人の一歩を踏み出したこの大手レストランでは、さまざまな上司、先輩に巡り合った。いまでも親交のある株式会社バイタリティ代表取締役 岩田浩氏(第334回に登場)もその一人である。
岩田氏も、この企業で頭角を現していくのだが、雲の上のような存在である岩田氏を追いかけながら佐藤もみるみる実績を積み上げ、最年少店長の記録を塗り替えた。「調理の技術もこの時にある程度修得した」とのことである。
8年後、退職し、ある企業で1年、再度、腕を試して2010年5月に独立。在籍中に物件も確保した。
「岩田さんとも言っていたんですが、起業する予定があるなら在籍中の余裕のあるうちに物件を探すほうがいいと思います。独立してからだと焦って物件を決めてしまうからです」。
時間に追われては、構想も練りづらい。適正な準備期間は、人によってまちまちだが、起業後を考えると、ゆとりのあるうちに店舗の確保を済ましておくのは、たしかに成功の秘訣である。
佐藤はむろん業態も決めていた。「焼き鳥」である。
「鶏インフルエンザもありましたが、やはり安定しているのは、鶏なんです」。
佐藤は、ただ店を出すことを考えていない。追いかけるのはあくまで「成功」の二文字。だから、「鶏」を選んだ。
2010年5月にオープンした一号店の名前は「肉屋鶏男」。
「岡山桃太郎地鶏」「香川県の讃岐うどん」をメインにした酒場である。
柏地区初のハイボールタワー設置店という仕掛けも整えた。
坪数は13坪の4フロアで、52坪。33歳、佐藤の新たな冒険が始まった。

初月から快調なスタートダッシュ。

事業計画では月商580万円とソロバンを弾いた。坪当たり10万円ちょっと。これで十分採算が取れた。しかし、蓋を開ければ初月から690万円の好スタート。以来、600万円を下回ったことはない。それどころか、700万円を超え1000万円の大台に迫ったこともある。利益は15〜20%だから、アベ700万円、最低の15%で計算しても、毎月100万円以上の利益が出ることになる。それでも、「それほど余裕があるわけではない」と佐藤。
この慎重さが佐藤をある意味、支えている。
といっても慎重なだけではない。11月には2号店もオープン。直売所×鮮魚酒場「鮪/おさかな市場」ものちにオープンし、鶏から鮮魚にも守備範囲を拡大している。
産地とのつながりも深く、それが数々の逸品を生み出し、客を魅了する佐藤の戦略となっている。2012年10月には、初の郊外型店舗も出店。郊外のファミリー層を意識した新たな挑戦も開始している。

感謝、そして。

33歳で起業を果たした佐藤は、36歳になった(2012年12月現在)。店舗は、5店舗まで広がったが、先を急がない。先に進むというより、横に広げるというのが話を伺ったイメージだ。鶏業態から鮮魚業態へと幅を広げたのも、横への広がりを意識してのことではないだろうか。さらに今後は、「高齢者の食事に関わる仕事がしたい」ということだ。その背景には、父や母の姿がある。
「父親は勤勉な人でした。酒も、母といっしょにたまに飲むだけ。ぼくらのためにやりたいこともしてこなかった気がします。そういう父親のことを思うと、感謝と同時に親父たちの世代に何か恩返しをしないといけないと考えるようになったんです」。
宅配も視野に入れているらしい。
いつの間にか、「成功」の二文字の意味が違ってきた。金銭的な成功ではなく、社会の人たち、地域の人たちのためになる「成功」。
まだまだ走り始めたばかりの佐藤だが、思いがあれば必ず「成功」する。2年後、3年後、また10年、20年後を追いかけてみたい経営者に出会った。

思い出のアルバム
 

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