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第865回 株式会社one chance 代表取締役 飛松 亮氏
update 21/12/07
株式会社one chance
飛松 亮氏
株式会社one chance 代表取締役 飛松 亮氏
生年月日 1983年12月20日
プロフィール 1983年12月、浅草に生まれる。大学を卒業し、専門学校に進学。キャッチのバイトで資金をため、ワーホリでオーストラリアへ。26歳の誕生日に帰国し、独立に向け、スタート。29歳の時に、高田馬場にハンバーグの店をオープン。これが起業のはじまり。
主な業態 「まぐろんち」「とらや」他
企業HP http://one-chance.work/

ハッピーラグビーじゃなかった。

「家から5分歩いたところに店があった」と今回、ご登場いただいた株式会社one chance代表取締役、飛松氏。お店とは父親が経営する飲食店。父親で2代目になるらしい。
兄弟は3人。兄と弟がいる。飛松氏が中学生の時に両親が離婚するのだが、兄弟全員、母親についていく。「母は、板橋出身です。母方の祖母が裕福だったので、離婚してからも経済的には困らなかったです。兄の影響で中学まではサッカー、高校からはラグビーをはじめます」。
そのラグビーのエピソードを一つ。
「高校からラグビーをはじめ、高校では関東大会にも出場しています。大学は、推薦で國學院大學に進むんですが、私らが進学した代で、監督が代わってしまって、それまでのハッピーラグビーじゃなくなってしまったんです」。
それで、一度、みんなで「辞めたい」といったそうだ。「でも、その時は、『1年はやれ』と言われ、反省の意味で坊主頭にさせられます。1年、2年とつづけ、3年の時ですね。OB会で『あいつは大丈夫か』という話になって。あいつとはもちろん、私です。悪い意味で目をかけられていて。合宿時に私をどうするかの会議が開かれ、多数決でくびになりました」。
くび?
「そうです。何対何かは聞いてないですが/笑。それからは普通の大学生です。専攻していたのは、当時新設されたばかりの『神道文化学科』です」。
明治神宮や伊勢神宮にも修行にいったそう。
「じつは、神職の資格も持っているんですよ」と笑う。
人はみかけによらないというか。
「初めてのバイトは、パチンコ店です。くびになってからはカラオケ店です」。
くびかどうかを会議で諮られる。「小さなころから、とにかく目立つタイプでしたから、大学でも、何かと目立ってしまっていたんでしょうね。笑」。
しかし、多数決でくびとは、めずらしい。今では笑い話だが、当時は、どんな心境だったんだろうか? とにかく、話を先に進める。

南半球で、飛松氏、何を思う。

「大学を卒業してから料理の専門学校に1年半通います。父親の影響もたしかにあったんでしょう。ただ、経営者とかそういうんじゃなくって、スーツは着たくないし、満員電車にも乗りたくなかった。父親がサラリーマンじゃなかったから、なんとなくサラリーマンになりたくなかったというのが、正解ですね/笑」。
大学を卒業して、専門学校へ。珍しくはないが、選択する人は少数だ。「大卒ってことで、ホテルの料理長にも比較的なりやすいと言われていたんですが」。
それも、つまらないと思った?
「そうなんです。料理長っていうのはいいんですが、なんだかつまらないな、と。当時は、海外にも行きたいと思っていて。そういう意味では、未知の世界に憧れていたんでしょうね。とにかく、それで、オーストラリアのゴールドコーストに向かいます。ワーキングホリデーで、1年弱、向こうにいました」。
何がしたいかわからない。たしかに、何をしたいかは、簡単に決められることではない。放蕩に思えなくもないが、それだけ人生を深く考えていた証かもしれない。
「父親がサーフィンやっていたので、サーフィンもしたかった、というのが本音ですね。ただ、人生観はかわりました。時間もありますし、自由ですしね」。
波の音と、星々。南半球で、飛松氏、何を思っていたのだろう?

社長、キャッチになる。

「26歳で帰国するんですが、また、キャッチをはじめます」。
キャッチ?
「そうです。じつは、専門学校の頃からキャッチをして、それでお金をためてオーストラリアに渡ります」。なんでもナンバー1のキャッチだったそう。キャッチをはじめたことが、人生のターニングポイントだと言っている。
独立しようと決めたのは、26歳の時。「26歳の誕生日に帰国し、また、キャッチをはじめます。その時、色々と迷ってもいたんです。不動産の営業で儲けているともだちがいまして。独立するか、そっちに進むか」。
その時、知り合った、ある会社の役員に相談したそうだ。「その人から『独立がいい』と、独立を勧められて、じゃぁ、独立だ、と/笑」。
資金はどうしたんですか?
「無駄遣いをしないほうだからできたんですが、1年で1000万円くらいためて、29歳で独立します。ただ、計画通りとはいかなかったんですが/笑」。
当初は、上野エリアで飲食店をオープンする計画だったらしい。上野エリアは間違ないと、キャッチの嗅覚がそう言っていたにちがいない。「でもね。物件がでた時にお誘いしていた料理人がだめになって/笑」。
それは困りましたね? どうされたんですか?
「その時、ハンバーグのお店をされている社長と知り合って、高田馬場でFC店をオープンします。17坪で、家賃は40万円くらいです」。家賃が40万円だとしたら損益分岐点は400万円くらいになる。うまくいくのだろうか? 賭け金1000万円。さて。
「その時、派遣で来てもらった料理人に、私のつよみは集客だって話をしていたんです」。そうしたら神の一言が舞い降りてくる。
「『じゃあ、居酒屋をやったらどうですか、私は居酒屋メニューもできますよ』って。ありがたい一言ですね。それで、昼はハンバーグの店、夜は居酒屋の二毛作がスタートします。私は、キャッチに舞い戻ります」。
この居酒屋がどうなったかは、いうまでもない。飛松氏がキャッチをすれば、客は来る。これは、すでに実証済。1ヵ月後には、原宿で新店を、1年後には高田馬場にも新店をオープンしている。
「ハンバーグのお店は契約が切れた3年で撤退します。同級生がまぐろの問屋をやっていたので、まぐろをメインにして再オープンしたら、ウケがよかった。それが今うちのメインになっています」。
飛松氏は、まだ若い。しかし、2022年の4月で業界歴は10年目。どんな未来を描いていくんだろうか?

one chance。

「コロナ禍はきつかったですね。協力金がなければ、どうなっていたかわからないですね。今は飲食だけに絞っていますから、尚更、です」。
ただし、もう光明はみえている。新業態の焼き肉についても伺った。
「焼肉は、お客さんで『焼き肉をやりたい』という人がいたんで、その思いにかけて出店しました。これからも、私自身がこれをしたいではなく、『これがやりたい』という人がいれば、それをいっしょにやっていきたいと思っています」。
ワンチャンス。社名にもあるが、一つのチャンスを見抜くちから。それが、飛松氏の本領だろう。「今私自身は、海のちかくで生活しています。お店は基本、従業員に任せています。すべてが順調というわけではないですが、店舗数は6店舗になりました」。
独立の二文字にチャンスをみいだし、大勝負にでる。ハンバーグ店のFC契約、料理人の一言、同級生との関係、すべてのチャンスをものにしてきた。
ひょっとすればキャッチという仕事を通して、人生と未来を手にしたのかもしれない。
「私自身の信条は、『人生は一回限り。だから、いっぱい稼いで遊ぼう』です」。特別じゃない、素直なこの一言が、人を魅了しているのかもしれない。
「One for all, All for one」。1人でできないことを知っている。それも、つよみ。こちらはラグビーから教わったこと。
ちなみに、「海鮮個室居酒屋 とらや」では、30分399円(税別)で「蛇口」から焼酎飲み放題が楽しめる、圧倒的なコスパ。せんべろ、まちがなし。のんべぇだけではなく、女子たちにも大うけ。コロナ禍、明けが楽しみである。

思い出のアルバム
 

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