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第896回 東和フードサービス株式会社 代表取締役社長CEO 岸野誠人氏
update 22/08/30
東和フードサービス株式会社
岸野誠人氏
東和フードサービス株式会社 代表取締役社長CEO 岸野誠人氏
生年月日 1977年10月13日
プロフィール 玉川大学卒後、ニューヨークに留学し、MBAを取得。マンハッタンにある電通に就職したのち帰国し、2006年、父親が創業した東和産業株式会社に入社。2016年に東和フードサービス株式会社の取締役、2018年に社長に就任する。
主な業態 「椿屋珈琲」「ダッキーダック」「ドナ」「ぱすたかん」「こてがえし」他
企業HP https://www.towafood-net.co.jp/

生い立ち。

東和フードサービス株式会社が誕生して25年となる。創業から数えると50年になり、父、岸野禎則氏が創業者。2018年、その父、禎則氏が急逝され、現在は今回ご登場いただいた岸野誠人氏が社長を務めている。
事業の幅が広い。グループ全体では1,000億円をオーバーする勢いだ。外食と不動産とアミューズメント。父、禎則氏が存命の頃は、誠人氏がアミューズメント事業を、禎則氏が外食と不動産事業を統括していたそうだ。
「そういう意味ではすみ分けができていました。私自身は2006年、東和産業に入社し、2016年に東和フードサービスの取締役、2018年に社長に就任しました。父は真面目で、仕事のことは常に頭にあったと思いますが、家族を大切にする人でした」。
忙しい仕事の合間に相手をしてくれたキャッチボールは、今も記憶に残っている。
誠人氏が生まれたのは1977年。「まだ創業して3〜4年の頃。いちばん忙しい時だったかもしれませんね」。
子どもの頃の自己評価は、「わりとひょうきんな奴」。
中学から私立の玉川学園に進学し、玉川大学まで進んでいる。
「玉川学園に入学し、ラグビーをはじめます。おぼっちゃん学校だったので、ラグビーがあって、ある意味、バランスが取れていたんじゃないでしょうか」。
<One for all All for one>
「ネットワークができたという意味でもそうですが、人生観にも影響を受けたスポーツです。自己犠牲やチームワーク、規律もすべてラグビーを通して知りました。4番でフォワード、ロックと呼ばれるポジションでした」。
4番はスクラムを組む選手。
ラインアウトになったときはジャンパーとなって空中戦を繰り広げ、地上では相手選手を蹴散らし、前進する。大型選手が多いのはそのためだ。
むろん、誠人氏も昔から大きかった。

アメリカ、ニューヨーク。

「大学でもラグビーを続けますが、入部したのは3年生になってからなんです。1、2年の時は海外旅行とか、ラグビーとはちがう人生勉強をしていました」。
大学での専攻はアート。今とは、まるで畑違いだ。創業者の父、禎則氏は、事業の継承についてなにか言われていなかったのだろうか?
「大学生になっても、私自身はそう意識はしていなかったですね。父からは『やりたいならやればいい』と言われていました」。
ただし、「やるなら、覚悟がいる」とも言われていたそうだ。
「覚悟」。
今ならその意味はわかる。当時は、その重みをどれだけ理解されていたのだろうか。
就職についてもうかがった。
「当時は、就職氷河期真っ只中です。大手企業への就職は現実的ではなかったですね」。
それで海外へ?
「そうですね。もともと海外に興味があったことも影響しています。留学を選択し、ニューヨークの大学院に進みました。MBAを取得したのは、その時です。9.11はニューヨークにいました。おなじニューヨークでも、マンハッタンではなく、クイーンズだったので被害はなかったです」。
ちなみに、9.11は、引っ越しをした翌日だったそうだ。TVも設置していなかったので、日本からの国際電話で、テロを知ったそうだ。
「母から心配する電話があって。最初はなんのことかと思っていましたが、街頭のTVでニュースを観て、凍りつきました」。
アメリカでは合計5年生活している。
「MBAを取得したあと、そのままニューヨークで電通に就職します」。
つまり、誠人氏はニューヨークで社会人生活をスタートしたことになる。電通に就職したのは、マーケティングを専攻していたからだという。玉川大学時代のアートとは、先端という意味で似ているが、カテゴリーは畑違い。さて、どんな社会人生活がスタートするんだろう?

マンハッタンを駆ける、社会人1年生。

「アメリカで仕事をスタートするわけですが、最初に驚いたのは人の動きが激しいことです。日本とは全然違います。だって、朝、仕事を一緒にしていた人が、夜にはもういない。そういう世界です」。
日本ではちょっとイメージできないドライな世界ですね?
「そう。『あれ? あいつはどこいった?』っていったら、『あいつはクビ』だって(笑)。でも向こうは、そういう社会です。クビになってもマイナスにならないし、転職回数もハンディになりません」。
今では、日本でも転職回数を気にする会社は減ったが、それでもまだまだ少数派である。組織と個人、どちらを優先するかと問えば、アメリカ人は個人といい、一昔前の日本人なら間違いなく組織と答える。
「そういった価値観や世界観を勉強することになりました。そういう意味でも、ニューヨークに行ったのは間違いなく私のターニングポイントです」。
MBAを取得したことはもちろんだが、アメリカ的な仕事観、価値観を体験したことも、貴重な財産。はたして、アメリカ帰りの二代目社長は、どんな世界観をつくりだすのだろうか?

社長就任、2年後、コロナの時代へ。

ニューヨークで社会人をスタートした誠人氏だったが、むろん、父、禎則氏からも様々なことを学習し、受け継いでいる。「偉大な経営者」と言っているのは、ただの賛辞ではない。
「社長としては、まだまだですが、事業の継承は比較的スムーズにできたと思っています。社長になる2年前から取締役だったので、だいたいはわかっていましたから」。
問題はなかったが、社長となって2年、コロナ禍に突入する。
「たしかに、コロナ禍の下では難しいかじ取りとなりました。アミューズメント事業も苦戦しましたし、飲食も例外ではありません」。
現在、東和フードサービスのブランドは、「椿屋珈琲」「椿屋カフェ」「椿屋茶房」 、パスタ&ケーキ「ダッキーダック」など、父、禎則氏の代から大きな違いはない。
ただ、ウエイトは異なってきている。催事事業やEC事業に重心が移っているのは、その一例。
「朝の情報番組で取り上げてもらった、『シャインマスカットのチーズズコット』『あまおう苺のズコット』は10万ピース以上のヒット商品となりました。また、『椿屋』、創業25周年の記念プロジェクトとして開発したレトルトタイプの『椿屋カレー』『椿屋ハヤシソース』も販売開始から10ヵ月で12万食以上の出荷を記録しています」。
イートインからテイクアウトへというのも一つの戦略。
むろん、催事やEC事業が加速する。2022年4月の決算短信で確認すると、催事事業全体のセールスが前年比273.9%となっていた。

父がつくったコンセプトと、父がいるといった覚悟と。

催事事業やEC事業にウエイトを移すと書いたが、むろん、メイン事業であるフルサービスの珈琲事業にも注力している。それを象徴するのが「椿屋珈琲 新宿茶寮」だ。「東口にあって、ウェイティングもでていましたので、上階が空いたこともあって、コロナ禍でしたが大胆な増床を決めました」。
席数がほぼ2倍の224席となった。フルサービスの喫茶では、むろん、日本最大級。
その決断の背景を聞いて、何度も頷いてしまった。
「椿屋珈琲のコンセプトは、『ゆとりとくつろぎの60分』です。たしかに、今は、在宅ワークをする人たちも多くなり、街からサラリーマンが減っていますから、アルコールを提供しない喫茶といっても難しい。ただ、だからと言って、事業を進化させないでいいというわけではありません」。
だから、今まで以上にコンセプトを、正確に表現することが大事だということですか?
「そうです。60分といっても、そのなかに例えばウェイティングの時間が組み込まれていたらどうでしょう。また、トイレを待つ、レジを待つ。全然くつろぎじゃない(笑)。たとえ、数分でも大切にしなくてはならない。だからこそ、増床するタイミングでトイレとレジも、増設しました」。
椿屋珈琲の珈琲は1杯1,000円する。それでも、評価は高い。店を訪れたことがある人なら、評価の高さにも納得されることだろう。
ただ、誠人氏の話を聞いていると、珈琲だけではなく、空間だけでもない、創業者の思い、コンセプトが息づいていることが、評価の根源になっている気がした。
今後は、椿屋珈琲を含め、すべての事業においてブランディングが大事になってくる。その意味でも誠人氏の役割は、大きい。
その役割の一端であり、ある人には冒険とも映る「椿屋珈琲 新宿茶寮」の増床や「催事事業」や「EC事業」の強化等々は、間違いなく、昔、父禎則氏が「いる」と語った「覚悟」の表れだ。

思い出のアルバム
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2017年2月
東京マラソン
2017年5月
黄綬褒章伝達式
 
 
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