本格的に料理に没頭したのは30代
今振り返ると、20代の頃の僕はただ仕事が早いだけだった。本当の意味で腕を上げたのは30代に入ってから。20代の時は客単価2千円前後の街場の店で働いていたけれど、30代では客単価1万5千円クラスの本格中華料理店で働いた。一流ホテルで高級料理を提供していたから、当然お客様も舌が肥えていた。だから僕は毎日、新メニュー開発に没頭していった。

30代のはじめに京王プラザの「南園」に移って驚いたのは、いきなり50人をまとめる副料理長になったことだった。しかもその中には広東語を話す香港出身の料理人もいた。僕は中国人で、横浜の中華街育ちだから多少は広東語を話せたけれど、長年、中華街を離れて地方で働いていたから、発音も微妙に違っていて…。僕の広東語は通じなかった! どうやって彼らとコミュニケーションをとるのか、本当にあせったよ(笑)。
そこで僕はホテル側に頼んで、ホテルに中国語の先生を付けてもらったんだ。「ホテルにはアジア各国から来られるお客様も多いのだから、これからは簡単な中国語ぐらいできなきゃ駄目ですよ」と説得したのだけれど、本当は僕自身のために早急に中国語の先生が必要だったの(笑)。それからはスタッフ全員で定期的に広東語を勉強していった。

そんなふうにして幾度かの危機を乗り越えながら、次第に僕は貪欲に食材を追及するようになっていった。なぜなら、時代はバブルのスタート。高級食材や珍しい食材を使った高単価の料理を求めるお客様が、少しずつ増えてきていたんだ。
日本の食品業者に伝えてもなかなか揃えてもらえない食材は、自分で香港にまで出かけて買い付けてきた。当時、日本にはまったく出回っていない乾物類や漢方の食材なども多かったからね。食材を発掘しながら料理の開発に没頭していった。
現在、「赤坂璃宮」のメニューの6〜7割はこの時期に考えたもの。僕は独立しようと思ったことは一度もなく、ずっとホテルで働くのだと思っていたけれど、50代過ぎて運良くオーナーシェフになった。そして結果的に、30代で貪欲に料理を追求したことが、独立後にそのまま生かされることとなった。

転職するなら“3日、3ヶ月、1年、3年”

今の30代は自分で環境を作るのが苦手だと思う。ちょっとでも都合が悪いと、「この人、嫌」、「この会社、嫌」とすぐ辞めてしまう。でも僕が30代の頃は、現状が気に入らなければあきらめる前に、どんどん自分で環境を作っていった。(例えば中国語の先生のように)
中国人である僕にとって、地方勤務の時代は特に大変だった。方言が難しいし、排他的な土地柄だったしね。でも僕は相手にもっとこうしてほしいと愚痴をこぼしたり、すぐやめたりせずに、黙々と自分で環境を変えていった。調理人にはそういう踏ん張りが必要だと思う。

また、“調理人はサラリーマンではなく、職人であれ!”と思う。例えば、面接時に「家族何人だから、これぐらい給料ください」と交渉してくる人がいるけれど、僕はまず働いてもらってから、その腕と実力に応じて給料を決めている。
もし給料を上げて欲しいのなら、「家族何人を養わなくてはならない」という話ではなく、「包丁を持たせたら、私は一人でこんなことまでできる!」とPRしてもらった方が、よっぽど給料を払いたくなるものだよ。

僕は入社時に、新人にいつもこう言っている。「もし辞める場合は、3日、3ヶ月、1年、3年”というタイミングで辞めてください」と。中途半端な時期で辞めてしまったら、その人にとっても、教える側にとっても、もったいないことだから。人生は長いようで短いからね。時間を有効に使わないと。

将来、経営者になりたい人も、一流料理人になりたい人も、“人を使う”能力はとても大事。特に最近の若者は一人っ子が多いので、コミュニケーションが苦手だったりするけれど、人にものを教えることができてはじめて一人前ということを忘れずに。

一流料理人になりたい人はさらに、(1)分野を問わず、よく食べること (2)好奇心旺盛でいること (3)食に関する本や雑誌を読みまくること。腕の良い料理人ほど、料理以外の趣味(例えば車とか)が充実していて、一日一冊、週刊誌を読んでいたりする。最近は読みやすい料理マンガなどもあるから、とにかく日々の仕事に忙殺されないこと。そしてライバルを見つけるとさらに早く成長できると思うよ。がんばれ!