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武田あかね
武田あかね写真
武田あかね
3月20日、京都に生まれる。
1992年10月、戦略型人材採用コンサル&求人広告代理の株式会社キイストン設立。取締役就任。各企業様の人材採用の戦略・立案、求人広告等を手掛ける。
2008年8月、飲食専門の人材紹介業、株式会社ミストラルを設立し代表取締役に就任。
全く新しい募集経費ゼロの「ジョブセンス」の普及活動にも注力。
自社新サービスの、対・マスコミ広報戦略では、ニュース番組、新聞、雑誌、単行本など年間多数の掲載実績を持つ。
飲食業界に特化した人材採用支援事業に注力。
飲食専門求人サイト『in-職ハイパー(いんしょくハイパー)』の運営に携わり、飲食業界向けの『転職相談』やコラムを開設。
ニュース、バラエティ番組、書籍、ラジオ番組ゲスト出演等、各メディアに広報出演。また、CM、映画、通販番組、再現などにも出演。
インタビュー
京都の奥座敷「丹後」が生んだ、もう一つの逸品とは。
「与謝野米」のブランド化を進める香山喜典さんに
話を伺いました。

京都の奥座敷。丹後は、「丹後ちりめん」で知られています。今回、ご登場いただく「京都祐喜株式会社」の創業者、香山さんは、この丹後地方の与謝野町で生まれ育ちました。いまも機織の音が響く機織りの町で、香山さんは、町のもう一つの逸品「与謝野米」の生産・販売にちからを注がれています。

京都祐喜株式会社 代表取締役 香山喜典氏
京都祐喜株式会社
代表取締役 香山喜典氏/プロフィール
京都祐喜株式会社 代表取締役 香山喜典:1970年4月12日生まれ。京都府北部、丹後半島に位置する与謝野町出身。農家の6代目。新たな「農業ビジネス」のあり方を模索し、2007年7月農業法人「京都祐喜株式会社」を設立。自ら生産する一方で、与謝野米「京の豆っこ米」や「歌人」のブランド化を推進すると共に「京野菜」の流通・販売に努め、「丹後」の魅力を全国に発信している。
武田
私も、京都生まれなのですが、丹後がこんなに美味しいお米ができる地域だとは知りませんでした。
香山社長
丹後半島は京都の奥座敷と言われています。丹後といえば、「丹後ちりめん」が有名です。一方で、米づくりも盛んな地方だったのです。かつては東の「魚沼」、西の「丹後」と言われていたほどです。ただ、生産量が少なく、京都府内でほとんど消費され一般に流通してこなかったものですから、知名度では差を付けられています。
武田
もともとお米づくりが盛んな地方だったとは・・。香山さんのご出身地である、与謝野町はどうだったんですか?
京都祐喜株式会社 代表取締役 香山喜典氏1
香山社長
与謝野町は、丹後地方では東側に位置し、日本三景のひとつ「天橋立」の近くにある町です。昔から機織りが盛んで、私が子どもの頃は、大半の家に機織り機がありました。ひと織1万円と言われた時代もあったそうで、機織りで潤ってきた町です。その一方で、お米づくりも盛んで、現在も、農地面積の97%でお米がつくられています。現在、生産者である私たちと、町が一体となって<機織る町のコシヒカリ「京の豆っこ米」>を生産しています。
武田
生産者と町が一体となって、ブランド米づくりに取り組んでいらっしゃるわけですね。
香山社長
2001年に町が豆腐工場を誘致しました。その工場から出る「米ぬか」と、海が近く大量に手に入る「魚のアラ」を原料に、農産物の肥料となる「京の豆っこ」の生産を開始しました。研究を重ね、03年にこの肥料を使って育てた「京の豆っこ米」が誕生するのです。
武田
「米ぬか」や「アラ」を捨てないで済むばかりか、それらを肥料に、米や野菜を育てることができる。すごく身体に良さそうですね。無駄もないですし。
香山社長
採れた米からは、ふたたび肥料の原料となる「米ぬか」や「おから」が生まれるのですから、無駄のない「自然循環型農業」です。今後の農業のあり方の一つだと思っています。
武田
香山さんがこの与謝野町に帰られたのは、1994年と伺っています。
香山社長
そうです。農家の6代目なんですが、社会人第一歩は、普通のサラリーマンです。神戸や大阪で飲食関連の仕事をしていまして、1994年に与謝野町にUターンしてきました。その後は、ホテルで勤務しながら、両親の畑仕事を手伝っていました。
武田
こうしてお話していても、スーツでビシッと決められたお姿からはなかなか想像できないんですが、香山さんも農作業をされているんですよね。
香山社長
はい。トラクターにも、乗っていますよ(笑)。ただ、いまはPRの仕事をしていますので、こういうスタイルの時も多いですね。畑仕事はかっこいいと思っています。かといって、泥だらけというのも好きではありません。
京都祐喜株式会社 代表取締役 香山喜典氏2
武田
ギャップといっては失礼かもしれませんが、「ギョーカイ人のような香山さん」と、「畑仕事に精を出されている香山さん」、その両方が香山さんの、朴訥ながらクリエイティブに富んだ魅力を生み出しているような気がします。
香山社長
いま私は「歌人」というお米のブランドをつくっていますが、米づくりと共通していることは、精一杯汗をかくことだと思っています。
武田
会社を興されたのは、2007年でしたね。
香山社長
「京都祐喜」という会社です。妻は祐子という名前なんですが、彼女の「祐」と私の「喜」を社名に用いたわけです。丹後のブランド米と京野菜を扱っています。京野菜といえば京都市内でつくられていると思われがちですが、実は、丹後でつくっているのが多いんです。そういう丹後の農産品を知ってもらおうと、始めた会社です。「つくる」だけじゃなく、「売る」ことにも農家としてこだわろうと思ったわけです。
武田
いまでは、有名百貨店などで「歌人」を見かけますね。ただ、ルートができるまでは、たいへんだったと思いますが、なにかきっかけがあったんですか?
香山社長
きっかけといえば、妻と2人でアポイントもなしで大手スーパーマーケットに飛び込んだことですね。
武田
アポイントもなしで、大胆ですね(笑)
香山社長
2人で東京に出てきたんだから、ちょっと勇気を出して行ってみようかって。本社に直接、丹後の田舎もん2人が強襲したわけです。
武田
でも、よく話が進みましたね。
香山社長
「おもしろいのが来たぞ」ってことになったんでしょうね。バイヤーの方が出てきてくださって、年も同じこともあり話が弾みました。当時、私はまだパソコンができなかったものですから、A4の紙に手書きでイラストなどを描き、それを見てもらいながらのプレゼンです。米のことはもちろんですが、町のこと、農業のことを夢中になって話しました。「熱い人ですよねぇ」って、バイヤーの方もかなり熱い人だったんですが、「わかりました。私が責任を持ちます。一緒に進めましょう」、そう言ってくださったんです。それが、始まりです。
武田
香山さんの情熱が、バイヤーの気持ちを動かしたというわけですね。
香山社長
丹後のお米と野菜。量が少ないので置いていただいているのは関西の店舗だけですが、このお付き合いは、私たち農家の人間に、新たな光を与えてくれたように思います。
京都祐喜株式会社 代表取締役 香山喜典氏3
武田
「つくる」だけじゃなく、「売る」。そのためのブランディング。農家の方々はいま、後継者不足などさまざまな問題に直面され、ご苦労されていると思いますが、香山さんのお話を伺っていると、いま農家の方々が悩むべきは、それらももちろん大事ですが、「日本の農家のパワー」をいかに発信していくか。そのほうに力点を置いたほうがいいのではないかという気がしてきました。
香山社長
小さな町の取り組みですが、農業というビジネスに、新たな方向を示していければいいと思っています。まだ起業して4年ですが、徐々に応援していただける人も増えてきました。
武田
ホームページを拝見しますと、元NHKのアナウンサーで、現在、フリーのキャスターをされている宮川俊二さんが、アドバイザーになっておられますね。
香山社長
宮川さんとのお付き合いは、東京のイタリアンレストランのオープニングパーティーで名刺交換したのが、始まりです。京野菜を1度お送りしたところ、たいへん気にいっていただけました。食通の宮川さんに気に入っていただけたことは、私たちにとっても心強いことでした。その後、何かにつけ支援いただいています。
武田
話は少しかわりますが、香山さんはもともと起業などをお考えだったのですか? できれば子どもの頃の香山さんのことも聞かせてください。
香山社長
もともと起業する、という発想はなかったですね。私は1970年、万博が開催された年に生まれたのですが、田舎の農家のことですから、家の造りも昔ながらです。私は長男で、6代目になります。
京都祐喜株式会社 代表取締役 香山喜典氏4
武田
6代目というのは凄いですね。
歴史を感じます。
香山社長
もともとこの町で生まれ、育った。また実家が代々続く農家だったことが、いまに生きています。外からきて「農業ビジネス」をしようとしても、なかなかうまくいきません。
武田
いま、私は多くの飲食関連の方とお付き合いがあるのですが、食の安全や安定供給を目的に、飲食店が農家の方と直接契約しているケースもあります。なかなか農家さん同士の話し合いなど、うまくいかないようですが。
香山社長
人対人ですから、心が通わないとビジネスも成功しません。最初は手を挙げた人も、徐々に離れていくケースがあるようです。
武田
お金の問題だけではないということですね。
香山社長
これは農業に限ったことではないと思います。信用が大事です。幸い、私は、この町で生まれ、育ちましたから、周りの農家の方々とも一体となれると思うんです。
武田
心を一つにして、みんなでやっていこう、と。地元の農家出身の香山さんだからこそ、周りの方々の心を一つにできたのでしょうね。そんな香山さんが地域の代表として、リーダーシップを取りながら、丹後の食材をブランド化していく。とても大事な取り組みです。ところで「これから」という意味では、今回の震災で、日本の農業もダメージを受けました。
香山社長
未曾有の震災で、農家も、農業も大きなダメージを受けました。その意味では、被災された東北だけではなく、日本全体で考えていかなければならない問題です。私たちもできることをしていこうと思っています。
武田
今回の震災は、エネルギーや食糧、また過疎化というような問題をあぶりだしました。日本の文化を改めて見直すきっかけになるかもしれません。そういう観点から申し上げれば、農家が元気になる。その農業のパワーが日本を元気にするチカラの元になる気がします。その意味でもぜひ香山さんにはがんばっていただきたいですね。今日は、長時間、どうもありがとうございました。
香山社長
たくさんの人たちに支援いただきながらですが、お米や京野菜だけではなく、丹後の良さを知っていただけるようがんばっていきます。また私たちの活動を通し、農業に新たな道をつくっていけるよう努力していきたいと思います。

京都祐喜株式会社 代表取締役 香山喜典氏
<あとがき>

香山さんは、農家の人とは思えないおしゃれでクリエイティブなイメージの方でした。インタビューのなかで、「町で浮いていませんか?」とお尋ねすると、「少し」とはにかまれたのが印象的でした。これからの農業を考えたとき、香山さんご自身の活動領域も、現在、進められている事業も、「京都祐喜」という会社のなかにとどまることなく、もっと広い範囲に広がっていくような気がしました。今回、香山さんの「田舎で農業を営む年を取った方たちにも心から喜んでもらいたい」という人好きで誠実な姿勢に、何か現代人が忘れている大切なことを思い出させてくれるようで感動して涙が出ました。今後の日本の農業のためにも、香山さんの今後の活躍に期待したいと思います。