大西社長のご実家は、あの電鉄グループ琴電を経営されていたのですよね?

大西 「そうですね。祖父が創業者です。とにかく、親族はグループの社長職についているわけですから、なんだか周囲は、社長社長していましたね。幼少の僕が見た仕事といえば、社長か、家の前でゴミを集めている収集作業員くらいで。私もぼんやり、将来は社長かゴミ収集の人になるんだと思っていましたね(笑)

周囲に一目を置かれていたのでは?

大西 「四国の私鉄ってそれしかありませんしね。親は一目を置かれ、周囲の態度も違っていたのは確かですが、僕は“自分たちがなんぼのもんじゃい”と、思ってましたし、傲慢になるどころか、そんなにすごいと思ったことはなかったですね。ただ、いつも周囲で飛び交っている「社長」という固有名詞にはこだわってましたね。」

どんな子供でしたか?

大西 「僕は、幼稚園から大学までずっと剣道をやっていました。小学校6年生のときには、団体で全日本チャンピオン!個人では四国チャンピオンを獲得しました。とにかく勉強はあまりしなかったけれど、剣道だけはちゃんとやる子でしたね。昔は突っ張っていて、大西の家から初の不良が出た!という感じで言われ、和田中のみなさんみたいにピュアじゃなかったですねー」

Bさん「中学での一番の思い出はなんですか?」

大西 「う〜ん。剣道しかないですね。大会ではいつも勝っていたし、勉強はあまりしなかったなぁ。しなくてもそんなに馬鹿ではなかったけれどね(笑)とにかく勝つことに執着していましたねぇ。そして勝ち癖がついていたかな。」

Aさん「私はバドミントン3年やってます!」

大西 「そうなんですね。カッコイイね!大事なことは続けること。イチローと一緒で人より一本でも多く素振りをする。どんなに偉そうなことを言っていても、続けてないと意味がない。続けられないならやらないほうがいいくらいだよ。」

剣道においてなんと小学校から中学校までに金メダルを50個獲得している少年団で勝ち続けた大西社長も、高校に行き、大学に行き、はじめて負けることを体験されました

Cさん「はじめて負けたときどんな気持ちでしたか?」

大西 「大学は早稲田だったのですが、体育会推薦で入学する人はインターハイで3本の指に入っている凄腕しか入れないんですね。もう、全然違う!まるで別物だと思いましたね。そうだね・・負けたときは竹刀で何かを叩くと武道精神に反するから、思い切り自分を叩きましたね(笑)負ける挫折感がなかったのに、年を追うごとに普通の人になっていったかと(笑)」

しかし、興味は別の方向に・・・

Cさん「好きな人はいましたか?」

大西 「エッ!! う〜ん・・僕は真面目で硬派だったからね〜。恋は遅いんじゃないかな。Cさんは?」

Cさん「前にはいたけど・・・」

全員 「別れたの〜〜?」

Cさん「付き合ってないって!(笑)」

大西 「恋は大事だよね。女性は結婚して子供を産んで母になるのだから。全て命が繋がって。僕の長男は水中出産で産まれたんですよ。そして次の娘は自宅出産!女性の力というのは・・本当にスゴイですね。彼氏をみつけるときは、“自分が子供を産むときに一緒に立ち会ってくれますか?”と聞いてから付き合ったらどうかな?」

全員 「・・・(汗)」

大西社長、中学生にはちょっと難しい内容だったようです(笑)

大西 「今、飲食店をやっているのも、食べ物は命、命をいただいているわけです。つまり命のリレーですよね。いただいた命をどう生かすか、いただきますは、命をいただきますという尊いことなんですよ。」

命繋がりのお話だったのですね

Bさん「剣道は週にどのくらい練習していたのですか?」

大西 「もう毎日です。家に帰ってもずっとやってましたね。なくなったオヤジが理解があって、僕が小学校4年くらいのときに一緒に剣道をはじめてくれたんです。それからマニアックなオヤジは、自分で先生になって少年団まで作っちゃったんです。お葬式では子供がみんな泣いていて“オヤジはここにあったんだなと”感じましたね。」

両親に教えられて今でも守っていることはありますか?

大西 「僕の名前は礼儀の礼を入れた礼二。礼儀は人に対して入り口でもあるし、とても大事なこと。というのをよく教えられましたね。礼儀から入って、慮る。やはり人を思いやるということです。これは人として、とても大事なことです。」

PART2へ続く