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第1033回 株式会社エムピーキッチン 取締役社長 石川晃久氏
update 24/08/06
株式会社エムピーキッチン
石川晃久氏
株式会社エムピーキッチン 取締役社長 石川晃久氏
生年月日 1985年11月16日
プロフィール 慶應大学卒。大手消費財メーカーに就職し、営業とマーケティングを学ぶこと8年。コンサルティング会社に移り、さらにビジネスセンスを磨く。32歳で、エムピーキッチンに転職。2021年から現職の取締役に就任する。
主な業態 「つけ麺専門店 三田製麺所」「日本橋とんかつ 一 HAJIME」「薄皮餃子専門 渋谷餃子」他
企業HP https://www.mpkitchen.co.jp/

将来の夢は宇宙飛行士?経営コンサルタント?

面白い話をきいた。今回、ご登場いただいたエムピーキッチンの石川さんの少年時代の話である。小学校時代から地元では群を抜く秀才。進学校を目指しとある進学塾に入る。その進学塾はトップ校を狙う生徒ばかり。異様な空気だったにちがいない。
「怪物だらけでした」と、石川さんは笑う。「全国模試の上位で名前をみたことがある方ばかり。僕の中ではみんなアイドルでした」。
「受験界のアイドル」、という石川さんの表現が面白い。
「私は、中学・高校と駒場東邦に進みます。中学生の時には、宇宙飛行士志望だったんですが、高校では経営コンサルタントをめざすようになります」。
宇宙飛行士から経営コンサルタントに心が移る。どうしてだろう?
「とてもシンプルで、化学と物理ができなかったんです(笑)」。
「それで宇宙飛行士は断念し、高校になって、『経営者に対し、経営指導するコンサルタント』ってかっこいいなと思って、コンサルをめざすようになります。当時でいえばアクセンチュアさんとかですね」。
当時、アクセンチュアの名を知っている高校生は、まず少なかろう。

コンサルティングと、飲食の社長と。

「私が進学したのは、慶應義塾大学の総合政策学部です」。
総合政策学部は、湘南藤沢キャンパスにある。
「試験が数学と小論文のみで、まさに私にぴったり。ただ、1〜2年は、単位を取るためだけに通っていました。大学が面白いなと思い始めたのは3年になってから」。
複数のゼミを入ることができたらしく、経営や、デザインを、プロジェクトベースで勉強できたそうである。
「たとえば、スタートアップ企業がどう大学から生まれるかなどを考えるプロジェクトなどですね。企業の方々とタッグをくみ、実際に業務改善やマーケティング戦略の提案をするようなプロジェクトもありました」。
勉強の一方で、受験が終わった高校3年から大手ハンバーガーチェーンでバイトを開始する。
「とにかく、むちゃくちゃ楽しかったですね。大学に進学してからもつづけます。とにかく、1〜2年時はバイト三昧でした」。
コンサルタントは、どうなったのか?
「大手ハンバーガーチェーンのほかに、経営コンサルティングの会社でもアルバイトをさせてもらいました。間近で仕事をみせていただいて、すごいなと。それは事実なんですが、彼らの仕事がすごければすごいほど疑問が膨らんでくるんです」。
「日本には有名なコンサルティング会社があって優秀な方がたくさん働いているのに、どうして日本経済はよくならないんだろう?というとてもシンプルな疑問です。何かがちがうのか。コンサル以外の仕事に目を向けるようになったのは、これがきっかけでした」。
コンサルと名乗る企業や人は少なくない。有能な人もたくさんいるんだろう。しかし、経営を理論的に語れたとしても、それだけで、人の心が動く保証はない。だから、むずかしいし面白い。その頃から人が育つ場を提供できる飲食業に貢献したいという思考が明確になる。
「大手ハンバーガーチェーンの社長になれる人間になろう。」と思ったそうだ。
ともかく、大学を卒業した石川さんの話である。石川さんは、ユニリーバ・ジャパンに入社することになる。ユニリーバはラックス、ダヴ、AXE、クリアなどの世界400以上のブランドを日本で展開する消費財メーカー。シャンプーを思い浮かべる人が多いんじゃないだろうか。

リアルな社会で、描く未来。

「ユニリーバの仕事は面白かったですね。最初は関西で、問屋さんやドラッグストアへの営業です」。営業成績は悪くない。会社からの評価も高かったはずだ。
「ものを売るということではかなわない先輩がゴロゴロいたんです。先輩が営業に行くと、『キミが言うなら』と握手だけでお客様が購入されるんです(笑)」。
理論派の石川さんからすると「なかなか真似できないスタイル」ということになる。それでも自分なりの方法で必死に駆け回り、営業成績を残してきた。
「関西から本社にもどり、マーケティングを担当します。上海に赴任し、海外の生活も体験しました」。
ユニリーバで8年。
「私自身でいうのもなんですが、会社における将来のキャリアがぼんやりわかってきました。元々目指した飲食社長への道とユニリーバでのキャリアアップ、ちょうど30歳という節目ですから意識したのかもしれません。将来を期待いただいていたユニリーバを辞め、コンサルティング会社に転職します」。
そして、コンサルティング会社で2年。そして、2018年、32歳の時に、エムピーキッチンに経営企画室室長という肩書きで入社している。

コロナ禍と、残された宿題と。

転職に不安はなかったですか?
「エムピーキッチンに転職したのは、32歳の時です。2018年のことです。前職がコンサルティング会社だったこともあって、事業会社への転職は不安より、面白そうという、わくわくした気持ちが大きかったですね」。
仕事はいかがでしたか?
「最初の仕事は経営企画室の立ち上げでしたので、当時の社長(現会長)の村上にレポートあげながら何をするべきなのかを考えるのが、私の仕事でした」。
ちなみに、現会長の村上竹彦さんも、この「飲食の戦士たち」にご登場いただいている。
仕事はたのしかったが、社会がかわる。コロナウイルスである。
「もともと出店や業績は順調だったのですが、コロナになって業績が急降下します。当社の業態の多くが、アルコール需要も取り込んでいましたので、その意味では直撃でした」。
2020年は散々だった、と石川さん。
「本当に潰れるんじゃないかと思ったこともある」と笑う。それだけ、どうしようもできなかった証。それでも、石川さんは、村上社長(当時)のパートナーとなって、事業を推進する。2022年になり、コロナの収束とともに、エムピーキッチンの業績は落ち着き始める。「とんかつ」のブランド「日本橋とんかつ ー Hajime」も新たにスタートした。
次に見据えるのは、中期成長戦略実現と株式の上場。さて、もと秀才が導きだす答えは。
ところで、三田製麺所のつけ麺は旨い。私もファンの1人。こればかりは、コンサルであっても生みだすことができない、武器である。

思い出のアルバム
 

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