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第231回 株式会社梅の花 代表取締役社長 梅野重俊氏
update 11/08/09
株式会社梅
梅野重俊氏
株式会社梅の花 代表取締役社長 梅野重俊氏
生年月日 1951年1月1日
プロフィール 福岡県八女市出身。久留米商業高校を卒業し、大学には進学せず大手自動車工場へ。ただし、3ヵ月でリタイア。19歳で飲食での独立を志すが、どこにいっても長続きせず転職を繰り返す。25歳、1976年に独立。久留米市に、かに料理専門店「かにしげ」をオープンする。その10年後の1986年、おなじ久留米市にいまの基盤となる<湯葉と豆腐の店「梅の花」>をオープン。快進撃は続き、1999年、株式を店頭公開。2002年には、東京証券取引所2部上場を果たす。2010年9月30日現在で、店舗数は238店舗。
主な業態 「梅の花」「かにしげ」「花小梅」「古市庵」「チャイナ梅の花」「佐賀神埼村」他
企業HP http://www.umenohana.co.jp/

あだ名は「もやし」。

父がもやしの生産工場を営んでいた。だからなのだろうか、付いたあだ名は「もやし」だった。「子どもの頃はガリガリでね。それでもやしと言われるようになった」と今回ご登場いただいた株式会社「梅の花」代表取締役社長 梅野重俊は、そう言って笑う。
彼が育ったのは、福岡県八女市。熊本県の県境にあるこの市は、見渡す限り田んぼがつづく田舎町だった。その田舎町でも梅野は裕福な家で、祖父は田んぼを貸すいわゆる大地主。父が営んでいた「もやし」工場も高い利益を上げていた。「工場といっても家内生産です。ただ、もやしは数日で出荷できるわけですから、儲かっていたんでしょう。あるとき、家の通帳を盗み見てびっくりしたのを覚えています。テレビを買うのも早く、村の人たちがいつも家にいるような感じでした」と梅野は少年時代を振り返る。一方、もやしとあだ名を付けられた梅野だったが、やんちゃ盛りで、周りの少年たちのリーダー的な存在でもあったようだ。

ご飯炊き、味噌汁作り。

忙しい母に代わってご飯を炊いたり、味噌汁を作ったりと、そんな律儀な行動をする反面、チャンバラに夢中で夏になれば近くの八女川で遊び、霞網を仕掛け鳥を採ったりするわんぱくな一面も持っていた。砂鉄を拾っては売りにいったり、捕まえた鳥や虫を売ったりと商売っ気も見せ始めている。「祖父が鳥や虫を買ってくれるんです。昔はお小遣いがなかったから、そうやってお金を貯めてね。好きなマンガを買っていました」。
スポーツも好きだった。小・中・高とバスケットボール部に所属している。勉強の方はどうでしたかと問うと、「小学生時代は、まるでしたことがなかった」という返事。「ただね。中学に上がる際に勉強しないと、中学に行けないと言われ、それを鵜呑みにして初めて真剣に教科書に向かいました。その結果、小学校では後ろから数えたほうが早かったのに、中学ではそこそこの成績になるんです。早くから商売がしたいという想いも強かったので、久留米商業高校に進むんですが…」。

16歳、軽四輪車で通学する。

当時は16歳から自動車免許が取得できたそうだ。バイクは危ないからダメだと父から言われた梅野は、16歳で早々と四輪の免許を取り、デートがある時には、軽自動車を駆って通学したそうである。もちろん学校には内緒。自由奔放に遊びだしたことで、いったん上がった成績は下降線をたどる。「ほんとうは推薦で大学に行く予定だったんですが、成績が悪くなっちゃって、ダメだ、と。どうしようかと思った時、父が『日産自動車なら知り合いがいる』というので、そのつてを頼って日産自動車に就職しました」。
当時、もやし工場はすでに売却し、父は自動車の修理工場を営んでいた。その関係だったのかもしれない。ともかく、高卒ながら大手自動車メーカーに就職できた。車も嫌いじゃない。だが、安堵もつかの間。「入社したらいきなりラインに配属されたんです。私以外はみんな工業高校卒、私は商業だったんで基礎も何もない。だからさっぱりわからないまま、3ヵ月後に逃げ出してしまいました(笑)」。

7年、転職回数20回。

飲食を志すようになったのはいつですか? と質問した。「19歳くらいかな」という返事。そこから、波乱万丈とまではいわないが、独立する25歳までの7年間、まさに山あり、谷ありだった。「父親の紹介で、料理旅館に就職します。ところがすさまじい人ばかりだった。ケンカ早いというか、気性が激しいというか。もう、怖かった。いろんなことを言って、辞めました。それからも、職を転々とします。良いところだけを盗み、盗み終われば、次の仕事を探したといえばかっこいいのですが、先輩に10万円、お金を借りて夜逃げしたこともありました」。
関西にも流れ付いた。実はそこで若き日の奥様と出会う。「忙しくって、人手が足りないので中居さんが洗い場に自分の娘を連れてきたんです。数日間です」。そのわずか数日間の出会いが、互いの一生を決めることになる。「だから、うちの嫁さんは関西出身なんです」。結婚相手に巡り合った。25歳になっていた。振り返ってみると、転職回数は20回。幸い、21回目を数えることはなかった。25歳で、起業したからである。

奥様と二人三脚のかに料理店。

もともと25歳で独立しようと考えていた。関西で、奥様と知り合い結婚。2人して久留米に戻り、かに料理専門店「かにしげ」をオープンする。「かに料理がいいと思ったのは、競合が少なかったからです。ただ、かに料理専門店といっても、毛ガニなどを空輸するほどのチカラはありません。だから、冷凍のかにを使って、創作料理を作りました。店の大きさは14坪。貯金がまったくないから、父に保証人になってもらって銀行から350万円ぐらいを借りました。カウンター7席 テーブル2席、これがうちの会社の始まりです。店に押入れがなかったもんですから、ライトバンに布団を積み込んで、半年間は、店で寝起きしました」。
「おかげさまで流行りました。女房ともう一人パートさんを使っていました。でもある時かに料理専門店なのに、ちゃんとした『かに』がないなんて言われて悔しかった。それで一念発起。お金を貯めてもっといい店を出そうと」。それが次の店の出店の動機になっていく。お金のほうは2年で2000万円、貯めた。何度も転職し、逃げ出したこともあるが、やる時にはやる男である。

湯葉と豆腐の店「梅の花」をオープン。売上快調。

梅野は35歳になっていた。起業してから10年後のことである。いまの梅の花の1号店ともいえる<湯葉と豆腐の店「梅の花」>を開業した。1986年のこと。1986年といえば、バブルに向かって、経済がまっしぐら突き進んでいる時だ。
「当時は、銀行も飲食店にはなかなかお金を貸してくれません。だから土地を担保にしました。『梅の花』をオープンする際も、まず土地を買いました」「梅の花」はいわゆる大箱。出店資金も相当な額になった。だが、経済状況も手伝ったのだろう。店は客でにぎわい、借金もスグに返済。出店にも拍車がかかった。ところが、いつまでもいい時は続かない。

祈祷師、高額な壺ほかに、頼りまくった。

8店舗目まで出店した頃だ。急に業績が曇りだした。バブルが弾けたこともあったのだろう。だが、銀行の借り入れもある。「少し前なら3億円の借り入れをしても、2〜3年でスグに完済できた。でも、この頃からそれもむずかしくなってきました」。梅野の苦しい胸のうちは、つぎのことからでも想像できる。「とにかく何とかしなければと思って祈祷師に拝んでもらったり、高額な壺を購入したりしました。立地が悪い、スタッフが悪い、だからなんとかしてほしいと」。「お寺さんにも参りました。なんとかなるはずがありません(笑)。ただ、帰り道。看板に書かれた文字にハタと足が止まりました」。
「そこに書いてあったのは『人に感謝、物に感謝』という言葉でした。あぁ、これか。これが俺に足りないことだったんだ。そう胸の奥底までスーッと言葉が沁みていったんです。それからです。お客様にも感謝、親にも感謝、スタッフにも心から感謝するようになりました」。不思議なことに低迷していた赤字続きの店が、突然、売上が回復。1ヵ月150万円だった店舗が、心を入れ替えたとたん、翌月には2500万円を売り上げていた。「立地じゃない。やり方なんだと実感した」という。

株式上場、この後の目標は社員全員に幸せになってもらうこと。

商売の神髄を理解した、といえるのだろうか。「人に感謝、物に感謝」することで、顧客への対応が変わったのも事実だ。昔から比べれば、客単価が下がったいまも、従来の行き届いたサービスの質は下げない。
「クレームがあれば、部長と担当者がいっしょに自宅まで伺っています。これがうちのサービスです。お客様によかれと思ったことは徹底的にするようにと指示しています」。
その結果だろう。リピーターはたえない。すでに1999年に株式公開、2002年に東証2部上場も果たしている。この原動力になったのも、「梅の花」を愛してくれたファンにほかならない。梅野はおもしろい話を聞かせてくれた。「うちの株主総会なんですが、女性のかたが多いんですね。で、経営の文句じゃなく、あの店の料理は、もっとこうしたほうがいいのでは、とアドバイスを下さり、それを伺うような会になっているんですね」。
株主総会といえば利益をぶつけ合うような会だと思っていたが、梅の花の場合、ずいぶん違うような感じがする。ともあれ、いまも梅野は<聞く耳>を持っているようだ。あの苦しかった頃、「人に感謝、物に感謝」という信念を持ち、それまでにない自分を形成していく。その結果、人の意見に真摯に耳を傾けるようになったのである。
女性従業員の言葉にも積極的に耳を傾け、経営に活かした。それが、ヘルシーな料理を中心に、小鉢でいろいろな料理をそろえる「梅の花」のスタイルを生んだ。最後に梅野にいまの目標を尋ねた。
「そうですね。いまはとにかくスタッフみんなを幸せにしたい。幸せになってもらいたいと思っています」とのこと。もちろん怒る時にはいまでも怒る。だが、誰よりも社員、従業員のことを考えている。彼らに教えてもらっていまの梅の花があるからだ。ちなみに梅の花の従業員の定着率は抜群にいい。梅野の従業員に対する「心」に、その理由があるのではないだろうか。

思い出のアルバム
思い出のアルバム1 思い出のアルバム2 思い出のアルバム4
少年時代 少年時代 修行中(琵琶湖ホテル・23歳頃)
思い出のアルバム5 思い出のアルバム6 思い出のアルバム7
かにしげ創業・25歳 かにしげ創業・25歳 東証上場
   
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