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第38回 株式会社subLime 代表取締役 花光雅丸氏
update 09/03/10
株式会社subLime
花光雅丸氏
第38回 株式会社subLime 代表取締役 花光雅丸氏
生年月日 1981年生まれ。和歌山県出身。
プロフィール 大学卒業後、地元和歌山で屋台を始める。その後上京し、有名チェーン店で店長を務め、2005年11月に東京・吉祥寺の屋台「sublime吉祥寺本町店」で独立。
2006年6月、株式会社サブライムを設立。
主な業態 「sublime」「サンダーバード」「エビス」など
企業HP http://www.32lime.com/

働く喜びと自分への挑戦。大人顔負けの少年時代

 今、注目の株式会社subLime。東京の吉祥寺地区周辺に、屋台や個性的な店舗を次々に展開する会社だ。社長の花光雅丸氏は現在27歳。若者が吸い込まれる空間を次々に創り出してしまう、天性の起業家である。その奇抜な発想やユニークな着眼点は、「若さ」や「勢い」から生まれたものではない。根底にあるのはむしろ、強い信念とブレないビジネスモデルだった。
 花光氏は3人兄弟の長男として1981年、和歌山県に生まれた。白浜海岸に近い南部町という港町で、高校時代までを過ごした。驚くのは小学校1年から卒業までの6年間、夕刊の新聞配達を続けていたということ。最初は祖父が営んでいた家業を手伝う形で始めたつもりだったが、いつしかそれが日課となり、働く喜びとなり、やがて自分への挑戦となった。『どんなに遊んでいても、どんなに遠くにいても、配達のために帰宅する少年でした(笑)』。
 新聞配達で稼いだお金は、5年生の時点で50万円を超えた。しかし、花光少年にとってはお金を貯めることそのものが目標ではなかった。目的は「シベリアンハスキー犬」。目標額が貯まった時点で、惜しげもなく当初の計画を即実行に移し、自分でシベリアンハスキー犬を買った。自分の力で欲しいものを手に入れる術と喜びを、すでに小学生にして体得していたのだ。大人顔負けの、ある意味、子供らしからぬ子供だった。
 地元の進学高に進んだ花光氏は3年間、仲間と遊んだ記憶しかないくらい自由に過ごす。そして大学入学と同時に東京へ。これまた勉強そっちのけで、アルバイトに明け暮れた4年間を過ごすことになる。飲食業との出会いはこの時。ただし、バイトに打ち込んだのには驚くべき理由があった。『高校生の時、すでに独立起業する目標を描いていた。そのための起業資金として、大学にいる間の4年間で1000万円貯めようと決めていた(本人談)』。
 子供の頃から、一度決めたことは何がなんでも貫き通す。意思は相当固かった。


絶対にブレない信念、必ず達成する目標。天性の起業家気質

 目標に向けて、毎日深夜まで働いた。月額約40万円、多い時は月60万円ほど稼いだ。小学時代の新聞配達の経験からだろうか、当時も、そして今でも働くことに対しては一切苦労を感じないという。『むしろ新しい知識、新しい出会いがあるから毎日楽しかった』。就労先はいくつか点々としたものの、当時、下北沢にあった某ダイニングバーのアルバイトがきっかけで、飲食業の面白さにハマる。「独立起業」という大きな夢は、にわかに「自分の店を出店して成功させる」という具体的な方向性を帯び始めた。
 『起業に必要なのは「ヒト」「モノ」「カネ」、そして「情報」』と花光氏は言う。ひとたび、自分の目標がロックオンされた時の彼の行動力はすさまじいものがある。店で過ごす時間のすべてが自分の未来のためだとわかった瞬間、人間関係の大切さ、人脈の作り方、客の応対……何でも貪欲に吸収し、成長することができた。気が付くと、アルバイトの立場にも関わらず店の現場を仕切るようにまでなっていた。自分で出来ることは自分でやる。自分の力を信じる。決めたことは全力でやり遂げる。出来ないことはやらない…。仕事に対する取り組み方はここでも徹底していた。現在の株式会社subLimeの企業理念にも通じる、経営哲学が形成されていったのはこの頃だ。
 一日も早い起業を志した花光氏は、周囲の誘惑や雑音にもブレることなく、貯金は予定通り1,000万円の目標額に到達。そして就職活動は一切行わず、きっちり4年間で大学生活を終えた。


原点はすべて、それまでの人生にヒントがある

 卒業した年の夏、花光氏は和歌山の地元、観光名所で有名な白浜海岸にいた。軽トラックを改造した屋台を自分で作り上げ、何と「海の家」を一人で開業していた。メニューは、流行りの泡盛とゴーヤチャンプル。2ヶ月間の労働の結果、50万円の設備投資を差し引いても手元に100万円が残った。大成功だった。現在の株式会社subLimeが手掛ける「屋台」業態の原点は、この体験が基盤になっているのは言うまでもない。
 独立起業まであと1年に迫った2006年9月11日。花光氏は、当時の飲食業界内で知らない人はいないというほど勢いのあった有名企業に突然入社した。この会社を選んだのはその時、時事発表された企業成長率トップ10の中に外食産業の中で唯一入っていた会社だったから。『何か盗める手腕があるかもしれない』、そう思っての行動だ。そのために自分に与えた期間は1年。シナリオ通り、翌年9月11日で退社したことを今でも覚えている。
 それから程ない11月。花光氏は、吉祥寺第一ホテル裏に自分の夢を乗せた第1号店をオープンさせた。業態は「屋台」。あの夏、白浜海岸で大ヒットした「泡盛」を売りにしたスタイルだ。屋台だったこともあるが、出店費用は極限まで抑えられた。それはすでにこの起業段階で「初期投資の1年以内回収モデル」という、明確な経営指針が出来上がっていたからだった。『そのモデルが通用しない、つまり1年以内に出店費用を回収できる見込みがないものには絶対に手を出さないことに決めている』。初志貫徹も、花光氏なら納得できよう。
 明確なビジョンと徹底した運営管理の結果、出す店が次々に当たる。現在10店舗。いずれも吉祥寺をベースにした周辺エリアで、若者が多い場所だ。内装費を極力切り詰めるため、社内で材質やイメージを決め込んで仕上げたという“手作り感”が微妙な“味”になった空間に、若者たちが吸い込まれていく。彼らの中で、店の仕掛け人が、自分たちとほぼ同世代の起業家であることを知っている人はどのくらいいるのだろうか、とふと思った。


夢は実現できるということを実践、証明したい

 株式会社subLimeが掲げる企業理念のひとつに、「夢は実現できるということを実践し、証明し続ける」というフレーズがある。花光氏が27歳の若さで、実際に夢を具現化している以上、非常に説得力のある理念だと思う。さらに、求める人材の記載欄には「ワクワクさせてくれる人」「枠にはまらず、自分を冷静に差別化できる人」とある。これも花光氏自身の哲学と類似するところだ。
 起業後のこれまでの数年、何か苦労したことはないかと尋ねると、『特に何もない』という答えが返ってきた。毎日が楽しく、皆で助け合って成長できる喜びを感じる日々だという。飲食業にありがちな人間関係や人の出入りの悩みも、今のところ全くない。
 では、そんな花光氏が人を見極めるときのポイントを訪ねてみると、面白い答えが返ってきた。氏曰く『まず運がいい人。ツキのある人』。花光氏自身、最強「運」の持ち主だそうだ。そして『実は「運」に劣らず、「勘」も冴えている』という。決して諦めない目標。決してブレない信念。志の強い人には、人を魅了するオーラがある。運気さえも吸い寄せられるのかもしれない。「運も実力のうち」とは、良く言い得たものだ。飲食業界ですでに成功を収めた企業トップたちと、世代を超えた幅広い交流が自然に出来ているのも、彼の持つ「人間力」のなせる技なのかもしれない。
 急成長を遂げた会社には、盗むべき手腕がある。それは氏自身、これまでに実践してきたこと。そんな花光氏が教えてくれた。『ひとりひとりの弱みは完全に無視し、強みを徹底的に磨けばいい。弱みを埋めることより、強みを磨くほうが、企業としても個人としても絶対に伸びるから』。
 この理念、人材育成の参考として、是非とも多くの会社に盗まれることを願いたい。

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