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第1090回 株式会社beagle 代表取締役 花光雅丸氏

update 25/03/04
株式会社beagle
花光雅丸氏
株式会社beagle 代表取締役 花光雅丸氏
生年月日 1981年6月17日
プロフィール 和歌山県出身。大学卒業後、地元和歌山で屋台を始める。その後上京し、有名チェーン店で店長を務め、2005年11月に東京・吉祥寺の屋台「sublime吉祥寺本町店」で独立。2006年6月、株式会社サブライムを設立する。そこからすべてが始まる。
主な業態 「hakubi」「たけちゃん」他
企業HP https://beagle-inc.jp/

稀代の経営者であり、飲食人である、花光雅丸さん、登場。

「もう一度、食の世界に戻ります」。
仲間を集めたいので取材をしてください、とリクエストをいただいた。
リクエストをいただいたのは、飲食人で知らない人を探すのはむずかしいほどのカリスマ経営者。
2005年「サブライム」を設立したのち、M&Aを活用するなどして、90ブランド500店舗を展開する飲食グループを育てあげる。その一方、社員独立制度を導入し、独立希望者を育成・サポート・輩出してきたことでも知られている。
その数、100人を超える。
今も花光さんを慕う飲食経営者は多い。この「飲食の戦士たち」の取材でも、「花光さんのブログを読み漁った」という経営者に何度も出会ったことがある。
そして、花光さんが38歳の時の2019年11月1日。サブライムはカフェ・カンパニーと経営統合。「GYRO HOLDINGS」を設立する。
<コロナ禍がなければ、どうなっていましたか?>という質問に、花光さんは「そうですね。今頃は1000店舗にはなっていたかと思います」と回答。
もちろん、今やコロナも過去形だ。だが、このコロナ禍の下で飲食の経営者が翻弄されたのも事実である。花光さんも、翻弄された1人である。

異端児。学生時代に1000万円を貯蓄する。

10年以上も前になるが、じつは花光さんには「飲食の戦士たち」に一度ご登場いただいている。コチラ<第38回 株式会社subLime 代表取締役 花光雅丸氏>がその時の記事である。サブライム設立までの経緯は、こちらに詳しく書かしていただいたので、ここではかいつまんでお伝えする。
ちなみに、宣伝ではないが「飲食の戦士たち」は回を重ね、2025年1月時点で、1000回をオーバーしている。花光さんに最初に登場いただいたのは、38回だから、初期の初期。
花光さんは、1981年、和歌山に生まれている。
高校は進学校に進んだが、本人いわく、「勉強より遊びに熱中していた」そう。大学で東京にでた花光さんは、一転、起業を目標にアルバイトに打ち込むことになる。
改めて、当時の話を聞くと、朝9時から24時まではたらき、給料は通常月で40万円、多い月には60万円あったという。時給も今ほど高くない頃の話。当然、学生の領域を超えている。
「起業のために1000万円を貯蓄する。目標があったのもたしかですが、飲食の面白さにハマったのもアルバイトに熱中した理由です」。
漠然とした起業が、「飲食」という二文字に絞られる。
大学を卒業した花光さんは、いったん和歌山に帰り、有名な白浜海岸で軽トラックを改造した屋台をオープン。わずかな投資で大きな利益を上げた。これが、花光さんのビジネス原点となる。
ふたたび、上京した花光さんは有名チェーン店で店長を勤め、1年後の2005年、吉祥寺で屋台をオープンする。東京でも、当然、出店費用は極限まで絞ってのスタートだ。
花光さんの目標への執着は異常なほどだ。だが、設定したゴールテープを切っても、威張ることも、気取ることもない。「常に自然体」。これが、1981年生まれの花光さんのスタンス。

20代中の100店舗を目指し、仕掛けたM&A。

当時、花光さんが設定した目標は「20代のうちに100店舗をオープンする」ことだった。目標に向け、事業が加速したのは2011年に「レインボーハット」を買収したことによる。「目標達成のためにアクセルを踏んだ」と花光さんはいう。
「レインボーハット」の店舗が加わり、29歳で100店舗というゴールを駆け抜けている。
<これが初めてのM&Aですね? 相手先の業績はいかがだったんですか?>
「とくに問題点はなかったです。ただ、本部の経費が重く、それが全体の利益を圧迫していました。豪華な本部は、私たちが進める事業には不要です。利益を生むのはお店なので、それ以外の投資はしたくなかったです」。
花光さんの目に、豪華なビルは「愚の骨頂」に映る。
そういう花光さんを高く評価された人がいる。「つぼ八」の創業者である故石井誠二さんである。
「面識はなかったのですが、直接、お電話をさせていただいて。それが、始まりです」。石井さんは当時、経営されていた「八百八町」の売却先を探されていた。そういうタイミングだったそう。
「競合はもちろんたくさんあったはずです。それに、最初は金額もまったく折り合わなかったんです(笑)」。
それでも花光さんは、あきらめない。
「私が、電話をしたのは、社長の石井さんが引退を考えていると知ったからでした。『八百八町』が仲間になることで出店エリアが一気に広がります。店舗だけではなく、様々なノウハウも得られるので、そう簡単にはあきらめられません。話し合いをつづけさせていただき、最終的には『言い値でいい』とおっしゃってくださったんです」。
花光さんにとって石井さんは、今も慕う飲食人だ。
「今でも毎年命日にお参りさせていただいています」。
頭脳明晰というより、義理、人情に厚い。義理堅く、人を騙すこともない。これが、多くの人が花光さんに惹かれる理由だろう。
「『八百八町』が仲間になったのは僕が32歳の時です」。そして、38歳の2019年、カフェ・カンパニーとの経営統合に打って出る。

コロナ禍を経て。第二章の幕が上がる。

「もしコロナがなかったらどうなっていましたか?」ふたたび投げかけた質問に、花光さんは改めて「1000店舗ほどにはなっていたかと思います」
コロナ禍の下、アクセルを踏みつづけてきた花光さんは、急ブレーキを踏むしかなかった。
「当時の政府の一貫性のない対応には憤りを感じます」。
筋が通っていないことは、相手が政府でも許せない。ともあれ、花光さんはカフェ・カンパニーと経営統合した「GYRO HOLDINGS」を売却することになる。
「500が0になった」と笑う。店舗数の話。
政府には怒りを向けるが、「0」になったことは意に介さない。店舗も、会社もなくなったが、「花光」という存在は健在。
「今までの戦略、戦術をベースに更に練度を高めます」。
オープンにはお金は遣わない。極限まで、絞る。これは、今まで通り。勝ちパターンの根幹だ。
「2024年に京都、祇園四条・八坂神社の前にオープンした『hakubi』は、『満漢全席』をテーマにしたハイエンドな古民家レストランです。これも、じつは居抜きです」。
先輩が所有する物件だったそうである。ともかく、低コストでオープンする。これは、勝ち方の一つ。ここはブレない。コンセプト、デザイン、すべてが花光流。だから、光り輝く。
「もう一つは、青山一丁目にオープンした『たけちゃん』です。低コストだけではなく、そのエリアにない業態でないといけません」。
なんでも『たけちゃん』の投資額はわずか300万円だそう。1日200人の来店があるから、投資は驚くべきスピードで回収されていく。
「低コストと、周辺にはない業態。ここは今までと同じです。ただ、今後は出店数に重きを置かず、1店舗1店舗、お客様が満足するお店をつくっていきます」。
相変わらず、柔和で、笑顔の花光さんだが、コロナという修羅場を経て、より凄みが増した気がする。
「サブライム時代にやりたかったことが道半ばで潰えました。僕は日本の食は圧倒的世界一だと思っています。『食で未来をつくる』というのが我々の思想です。その思想を元に、世界で燦然と輝く食サービスを提供していきます。そしてこれからの食産業を未来に前進させていきたいと思っています」。
花光さんのもとに集う意味は大きい。稀代の経営者、かつ飲食人の第二章は始まったばかり。
ちなみに、社名の「beagle」は、ダーウインがガラパゴス諸島を訪れた際に乗っていた船の名前だそう。ダーウインは、その島で、進化論の着想を得たという。
つまり、有名な「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き残るのでもなく、唯一、生き残る者は変化できる者である。」である。
新たな航海にでた現代の「beagle」号に乗り込む、新たな船員たちを今、花光さんは募集中だ。

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