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第658回 株式会社ひらまつ 代表取締役社長 陣内孝也氏
update 18/09/25
株式会社ひらまつ
陣内孝也氏
株式会社ひらまつ 代表取締役社長 陣内孝也氏
生年月日 1965年6月15日
プロフィール 神奈川県横浜市保土ヶ谷出身。少年時代から料理が好きで、料理人をめざす。高校卒業後、「辻調理師専門学校」に進む。「辻調理師専門学校」のフランス校でも半年学んでいる。帰国後、現在の「株式会社ひらまつ」に入社。バブル経済とともに、店は拡大。崩壊後も、ビストロ、カフェと次々とフランス文化を問いかけ、拡大を遂げる。そんな「ひらまつ」のなかにあって、本店である広尾本店の支配人を20年に亘り務める。2012年、大阪・中之島フェスティバルタワー最上階にオープンしたレストランの総支配人を務めたのち、創業者平松宏之からバトンを受け、社長に就任する。
主なレストラン業態 「ポール・ボキューズ」「オーベルジュ・ド・リル」「リストランテASO」「フィリップ・ミル」「高台寺 十牛庵」「ザ・ひらまつ ホテルズ&リゾーツ」他
企業HP https://www.hiramatsu.co.jp/

フランス料理と少年。

「料理天国」というTV番組があった。1975年にスタートし、1992年までオンエアされていたから、長寿番組の一つに数えてもいいだろう。「料理バラエティ番組」の走りともなる番組だ。料理の監修は「大阪あべの辻調理師専門学校」だ。
「うちの母親が料理上手だったんです。PTAで料理教室を開いていたくらいで。その母の手伝いをしているうちに、私自身も料理の道をめざすようになりました。フランス料理に興味をもったのは、TV番組の『料理天国』がきっかけです」。
こう語るのは、株式会社ひらまつの代表取締役社長 陣内 孝也氏。
もう一度、「料理天国」に目を向けると、スタートが1975年。ちょうど、陣内氏が10歳の頃である。10代の前半で、料理に興味をもつ男子は、そういないのではないか。しかも、陣内氏が興味をもったのはフランス料理。ふつう、10歳の少年と、フランス料理は、そうつながらない。
中学に入り、陣内氏は吹奏楽を始めた。その一方で、この頃からすでに「辻調理師専門学校」に関心があったそうで、パンフレットも入手していたというから驚く。
「高校を卒業してから、大阪です。関東に『辻調理師専門学校』がなかったからです」。思い切った行動に映るが、それまでの陣内氏を知れば、当然の道だとわかる。
「当時は1クラス200人で、20クラスありました。そう、4000人ですね」。
4000人。調理師になる学生が、集った。
「大阪阿倍野の学校を卒業したあと、私はおなじ辻調理師専門学校のフランス校に進みます。秋のコースだったので、半年間です。フランスにある現地のレストランでも研修を受けました」。
10月に帰国。そして「株式会社ひらまつ」に入社している。

「ひらまつ亭」の仕事。

陣内氏が人生のたいはんを過ごすことになる「株式会社ひらまつ」についても触れておこう。
「ひらまつ」は1982年、西麻布にオープンした24席のフランス料理店「ひらまつ亭」が起源である。平松シェフと奥様、ほか2名の従業員でスタートしたそうである。
「当時は、フランス料理ブームだったこともあって、『ひらまつ亭』にはたくさんのお客様がおみえになり、ランチでも行列が絶えず、1日の売上は40〜50万円になったと聞いています」と陣内氏。
1988年、広尾に移転し、拡張。1991年には初のレストランウエディング事業を開始。1993年には広尾に「カフェ・デ・プレ 広尾」をオープンし、カフェ事業をスタート。1994年に、法人登記し、現在の株式会社ひらまつを設立。それ以降も、クオリティの高い店舗を出店し、日本にフランスの文化を定着させていく。
印象的なのは、2001年、パリに「レストランひらまつ サンルイアンリル」をオープンしたことだ。更に翌2002年には、ミシュランガイドで一つ星を獲得している。オープン4ヶ月での星獲得はミシュラン史上最短ということだ。
更に現在では、株式も東証一部に上場。
高級飲食店での上場は世界をみても数少ない。
平松シェフは、「ひらまつ亭」という種を蒔き、日本にフランスの文化を育てた。その一方で、数多くのプロフェッショナルを育成してきた。その1人が、陣内氏というわけだ。
現在、平松氏は会長となり、陣内氏が社長となっている。また近年は「滞在するレストラン」というコンセプトでホテル事業を展開し、陣内氏もこれに尽力している。

料理人には、向かない、という一言で胸のつかえがとれた。

さて、陣内氏が入社したのは20歳で、平松氏もまだ30代半ば。「ひらまつ亭」は、平松シェフを中心に、若手のメンバー10名で運営されるようになる。
「私は、当然、料理人希望です。ただ、当時は、お客様と接することを勉強してからということで、1年間、ホールでサービスを学びました。案外、向いていたのかもしれません。そして、1年後から厨房に入ることになりました」。
人気のフレンチ「ひらまつ亭」の厨房だ。胸も高まったことだろう。ただ、厨房の世界はきびしい。
「料理が好きなだけでは務まらないきびしさを感じました。ですが、厨房内でうまく立ち回れないとシェフに怒られるんですが、先輩たちもいっしょになって怒られてくれたりしてね。ええ、とにかく、つながりがつよかったです」。
平松シェフは厳しい人だったが、それは料理だけではなく、人づくりにも妥協しなかったからだろう。
「給料は、ぜったい手渡し。そして、1人1人にちゃんと声かけてくださるんです。その心遣い一つからも、シェフが我々をどう思ってみているか。私たちはちゃんとわかっていました」。
「メンバーからすれば、オヤジみたいな存在で」と陣内氏。ただ、このオヤジと慕う平松氏から、ある時、辛辣な言葉をかけられてしまう。
「そうなんです。ある日、シェフから『ハッキリいうと、陣内は、一流の料理人になれないと思う』って、そう言われてしまいます。でも、その一方で『一流のサービス人にはなれると思うよ』と言われたんです」。
料理人には向かない、というのがその意味だろう。
「私も実をいうと、その頃、料理より、サービスに興味があったんです。ただ、料理人への気持ちがゼロじゃなかったし、怒られて逃げ出すようなことはしたくなかったので、意地で頑張っていたんです。だから、実はこの一言は私にとっては、救いの一言だったんです」。

高級ワインの栓が、次々、抜かれていく異常な時代。

平松氏は、「優れた料理人とサービス人を、それぞれ4名ずつつくる」と言っていたらしい。とくにサービス人については、「料理を生かすも殺すも、サービスにかかっている」と言っていたそう。そして、「日本のレストランにはその意識がかけている」とも言っていたそう。陣内氏に向けられた一言を、そういう文脈から解釈すれば、期待の表れ以外何物でもないことがわかる。
実際、20年以上、陣内氏は広尾本店で支配人を務めている。ちなみに、広尾本店がオープンした1988年当時の状況も伺った。
「大箱だったこともありますが、広い店内が客で埋め尽くされ、平日でも日商は200万円を超えました。高級ワインの栓が次々と抜かれた、今思えば異常な時代でした」。
バブルが崩壊すると、今まで浮かれていたのがうそのように、日本中が沈む。高級なレストランの客足は、とたんに途絶えた。しかし、こと「ひらまつ」に限っては、様子が異なり、逆に、次々と出店を重ねていくことになる。
「ある日、みんなが呼ばれて、シェフから『俺と妻と、母だけなら、この店だけで十分やっていける。でもお前たちもこれから家族を持つし、みんなで一緒にやっていくにはこの店だけでは足りない。いまから出店するかどうかは、お前たちが決めてくれ』って。そう言ってシェフは部屋を出ていってしまうんです」。
咀嚼するにも、複雑な一言だ。ただ、オヤジと慕うシェフの思いはみんなが理解していた。「あの時、もう30年くらい前ですが、メンバーは10人だったんです。みんなで、いっしょに生活していたし、兄弟みたいなもんです。だから、みんなともシェフとも離れたくないって気持ちがいちばんつよかったんだと思います。だから、私たちの答えは、出店でした」。
それ以来、更に結束力は高まり、チーム「ひらまつ」は、フランス料理とフランスの食文化を強力に日本に広めていくことになる。
「ビストロや、カフェですね。そういうレストランとは異なる分野にもチャレンジしました。表参道に大きめのカフェの話もいただいて。200席が1日に10回転するんです。とんでもない話です」。
年月は経ったが、創業からいる主要なメンバーは、残っている。「みんなそれなりの経験を積んでいます。しかも、平松シェフの下で、です。そんな人間がいるもんですから、それはそれは最強のチームです」。
2016年からはホテル事業にも進出し、食をメインとしたスモールラグジュアリーホテルを展開、今年7月には沖縄に全19室のリゾートホテルもオープンした。
陣内氏でいえば、広尾で長く支配人を務めたあと、2012年には朝日新聞社本社跡に完成した大阪・中之島フェスティバルタワーの最上階にオープンした「ラ・フェットひらまつ」の総支配人として送り出される。
この大掛かりなプロジェクトを見事、成功に導き、2016年、平松氏からバトンを渡される。その時、引き継がれたものはなんだろう、と考えた時、平松シェフが言っていたという言葉を思い出した。
「レストランは、家族」。
それ以上でも、それ以下でもない。この思いが、「ひらまつ」のクオリティを保証していると思うのは、私だけだろうか。

思い出のアルバム
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辻調フランス校留学時代 ラフェットひらまつ支配人時代 レストランひらまつ本店支配人時代
 

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