1969年宮城県仙台市生まれ。東北大学法学部卒業後、94年伊藤忠商事株式会社入社。化学品合成樹脂部、総合開発部リーティル事業室を経て、株式会社ファミリーマート事業開発部へ出向。コンビニの新規事業としてビジネスコンビニ、MBEジャパン設立に携わる。99年12月伊藤忠商事株式会社退社。2001年1月株式会社エバービションを設立し、代表取締役社長に就任。現在に至る。
 

   飲食店に携わる方の業務を少しでも楽にしたい。そして「食」を楽しむお客様がもっと幸せになって欲しい。そんな願いから生まれたのが「食堂楽」です。このサービスは “厳選された食材を安く・早く・確実に“を旨に、インターネットを通じて食情報を提供するもので、物流センターに食材を一括して収集し、注文が入ったら各店舗に卸していくコンビニエンスチェーンで使われている物流・在庫管理システムを応用した大手チェーン店のバックエンド機能のような仕組みです。


  大手チェーン飲食店は、店舗における食材や食器の仕入れ・配送は本部が一括して行っていますが、街の小さな個人飲食店の場合、この全ての行程をオーナーがやらなければなりません。一方でこうした飲食店とって、受発注や物流などの仕組みを単独で構築することは、手間がかかる上に維持コストを見ても非常に不経済なことが多かったわけです。そこで仮想チェーン本部を立ち上げ、物流システムを構築することで、流通の効率化を図りました。ロットの少ない小規模の飲食店に適した小分け配送サービスを行えば、個人飲食店は365日いつでも発注でき、少量でも手軽な価格で旬の食材を購入できる。またメーカーや問屋が適宜適正在庫をWEB上で確認、必要個数に応じてメーカー側が商品を物流センターに納品すれば、在庫リスクを回避できるだけでなく、適正在庫を維持することが可能になります。これにより物流センターから、ご注文先である各地の飲食店に配送する流れが完成するわけです。
  さらに、食材や備品を配送するシステムだけではなく、商品開発やメニュー提案、物件からお金の流れなど店舗経営や運営に関わることすべてをサポートすることで流通の効率化も図れるわけです。

  屋号がバラバラな個人経営店舗を、大きなくくりでチェーンと見立てることでビジネスになるのではないかとある時、気づいたわけです。
  私は大学卒業後、伊藤忠商事に入社して、在籍した約6年のうち3年間はファミリーマートへ出向し、事業開発等に携わっていました。この時の経験がエバービジョン設立の礎となっています。またファミリーマートでの事業開発経験があったからこそ、コンビニエンスストア運営の仕組みを応用した個人飲食店のバックオフィス、『食堂楽』の発想が生まれたわけです。
  更に遡ると、実家が惣菜屋を営んでいたのですが、こうしたシステムが個人飲食店にとってどんなに便利なものか想像できるわけです。   商社では食品・小売としての流通を学ぶ環境にいたというように、食品の製造から、それを運ぶ流通、食品を使う飲食店と、川上から川下まで、生まれながらに"私と食"には運命というか天命さえ感じています。
  こうしたシステムによって、飲食店業界全体も活性化させる一方で、日本の食を支え、人々に安らぎと想い出作り、活力を再生する場となる飲食店を支援することで、日本を元気にし、社会をよりよくすることに繋がると考えたわけです。

  実は就職活動の面接時から5年で退社し、その後起業すると決意していました。
  そもそも私の実家は惣菜屋を営んでいたものの、母一人で子供3人を食べさせる貧しい暮らしでした。お店の仕込み大変さや仕入れ、お客様の喜びを自分のよろこびとし、お客様が笑顔で元気になることと応援する飲食店で育ちましたので、食に対するDNAみたいなものが備わったのだと思います。そんな母の背中を見て育った私は、幼少の頃から母を楽にさせたいという気持ちが人より強かったわけです。と同時に自立心も強かったので、大学時代も常に日付を意識しながら、卒業時に「35ヵ年計画」を立てたわけです。この計画は、35年間を2フェーズに分けたもので、第1フェーズは社会に出てからの10年間、第2フェーズがその後の25年間というそれぞれの段階を、私が自身の生き方をどのように表現していくかという壮大なものです。その第1フェーズの10年間をさらに分け、最初の5年間は、大企業においてビジネスの基本や本質を徹底的に学ぶ期間に、そして残りの5年間で起業、社会に存続する企業へと成長させるというものでした。
  「表現」というと大袈裟に聞こえるかも知れませんが、私にとって表現とは、絵を描くことでも楽曲を作ることでもない、お客様に喜んでいただき世の中に役立つ事業、仕組みを生み出すことだったのです。
  そんな決意の下、就職活動に臨んだわけですが、一方で学生時代には私の生き方に影響を与えたたくさんの出会いと、その後の私の生き方を決定づける"心に残る言葉"がありました。
  それは大学3年の終わり頃のことです。大学2年から学生仲間と大学生向けの就職合同単独セミナーを主催する会社を経営し、すでにサラリーマン並みの年収を手にしていた私は、あるセミナー会場でパネラーから「君は本当にこの仕事がしたいのか?立花貴は日本刀だ。人は斬れるが大木は切れない」と直言されたのです。とても衝撃的でしたね。この言葉で楽な道を歩み始めている自分に気付かされたわけですから。それから自分のミッションを真剣に考えるようになりましたが、答えは出ないままでした。総合的にいろいろと勉強できる伊藤忠商事を選んだわけです。
(以下:次号へ)