1969年宮城県仙台市生まれ。東北大学法学部卒業後、94年伊藤忠商事株式会社入社。化学品合成樹脂部、総合開発部リーティル事業室を経て、株式会社ファミリーマート事業開発部へ出向。コンビニの新規事業としてビジネスコンビニ、MBEジャパン設立に携わる。99年12月伊藤忠商事株式会社退社。2001年1月株式会社エバービションを設立し、代表取締役社長に就任。現在に至る。

  35カ年計画を死守しようと考えていました。自分で一度決めたことですからね。入社したその日からノートに「入社から何日、退社まであと何日」書き込んでいました。と同時に、とにかく情熱を持って接すれば何でも実現できると信じていました。伊藤忠時代は上司・仲間にも恵まれ、仕事をする上で何を大切にすべきかを教えていただきました。そして計画の5年が過ぎ、35ヵ年計画の第1フェーズ後半部を実行に移すべく、担当プロジェクトの終了とともに辞表を提出したわけです。

 いいえ。退職日だけが決まっていただけでした。何をするかということよりも、計画の日付だけを意識していましたから。退職後は、知人が経営する飲食店を手伝いました。ファミリーマートでのチェーン展開の経験が活かせるかも知れないと。
  食材等の仕入れを共有化すればコスト削減につながる。これはコンビニエンス・ストアのフランチャイズ・モデルと発想は同じで、店舗数を拡大するなかで共有化すれば、コストを抑えられるわけです。おかげさまで経営も順調で、予想以上に早く店舗数を増やすことができました。

  ところが、元手となる資金がなかったこともあり、思い描いたイメージのようにはいきませんでした。そこで、事業計画を書き出資者を募ったのです。2000年2月6日18時に突然、天から降ってきたように頭にビジネスモデルが浮かび、その日のうちに事業計画の骨子が出来上がりました。
  事業計画は、藤本という人間の力なくしてありえませんでした。私は、イメージはできても、それを具現化することが苦手なタイプでしたが、藤本は逆でした。彼は、私が伊藤忠時代に知り合った人物で、当時、株式会社リコーからプロジェクトメンバーとして参加していました。同い年ということで意気投合し、人生を語り合った仲間でもあります。当時はお互いサラリーマンでしたが、「いつか起業をして何かを面白いことをやるだろう」という印象を受けていました。嬉しかったのは、私が起業すると決断した際には真っ先に飛んできてくれたことです。一緒にプランを練り具現化し、ビジネスプランを完成させたのが2000年2月6日の夜のことでした。藤本は、ビジネスプラン完成の3ヶ月後に当時の会社を辞め、エバービジョンに加わってくれたのです。

  ところが、スタート時の反応は皆無でした。サービス立ち上げの2000年頃は、カタログやインターネットで食材を購入することがまだ一般的ではありませんでした。
  この状態から脱しなければと、営業先ターゲットを絞り込む作戦に切り替えたのです。『食堂楽』のサービスを利用していただける店舗の立地条件や客層など、いくつかの切り口で仮説を立て検証したところ、1都3県のうち108箇所が浮かび上がりました。
  まず、該当するエリアに直接カタログをお店にお持ちして、サービス内容を説明し、トライアルで注文をいただく。一度利用していただければ、利便性が高いサービスであることを理解いただけると確信していました。こうした営業で加入店舗数を序々に増やし、3年で3000店舗にまで成長しました。
  営業を通じて、『食堂楽』に理解のある飲食店経営者は、脱サラして飲食店を始めた方や異業種から参入した方が多いことでした。つまり、"店のこだわり"と"効率化"にメリハリをつけ、効率化策に対して柔軟に受け入れられる方は積極的にサービスを利用するということが分かったわけです。

  現在のペースでいけば2012年には5万店舗ぐらいの加入店舗となるはずです。5万店舗という数字は日本の全てのコンビニエンス・ストアを合算した店舗数に匹敵します。その店舗の方々から注文を受け、商品を届け、代金が回収できる仕組みとなるはずです。ただ私としては、数字目標をがむしゃらに追いかけるのではなく、毎日一生懸命になってお客様である飲食店のためになること、感激していただけること、必要とされ喜ばれる仕組みを考えていきたいと思っています。

(次回へ続く)