僕ね、小さい頃からすごく転校をしているんですよ。それで、転校先でいじめられないように空手を習ってました。ただ、そうは言ってもいきなり暴力に訴えるんじゃなくて、とにかく仲良くなっちゃうタイプで、すごく人当たりがいい子でしたね。人に対して常にオープンマインドで接する術はその頃から身についていました。
その後、僕の人格に大きな影響を与えたのは、高校の時に父が亡くなったことですね。進路について意見を聞くとか、あるいは父の背中を見て仕事というのはこういうものだと感じるとかいう前に父がいなくなってしまいましたから、その時、自分の力で生きていかなくてはという意識をものすごく持ったんです。
大学卒業後はイトーヨーカ堂に入ったんですが、当時は同期が3,000人いるバブル絶頂。で、僕、入社当時その3,000人の同期を見渡し「自分よりすごい奴は1人もいない」と思ったんです。「俺が一番だ」と(笑)。だから新人研修でもすごくでしゃばって、先輩に「お前はリーダーに向いている」と言われ「おお、やっぱり俺はリーダー向きだ」とか思っていました(笑)。悪口も叩かれたと思うんですが、全然覚えてないんです。もともとそういう思考回路だったんですね(笑)
でも、その後半年で会社を辞めてしまいました。入社して自分の将来を考えた時、急に先詰まり感を感じちゃったんですね。たとえば、少し若そうで優秀なマネージャーに年齢を聞いても30代後半で、何歳でマネージャーになったか聞いたら「最近なった」って。つまり、マネージャーになるのに10年もかかるわけです。仕事そのものは嫌いではなかったんですが、いてもたってもいられなかったのです。
その後、学生の合宿を扱う旅行会社に入ったんですが、初日に約300人分の学生幹事リストを渡されてアポを取れと言われたんです。それでとにかく電話をかけたんですが、丸1日かけて1件もアポが取れない。そのうち23時を過ぎて、誰も帰らないので「皆さん帰らないんですか?」と聞いたら「あ、小松君は今日は初日だから帰っていいよ」って。とりあえず帰ったものの、帰りながら「あれ?これってみんなは帰ってないってことだよな」と気づいて、帰宅後、母親に「明日から帰れないから」と伝えました。
それからはほぼ家に帰らない日々が始まりました。365日中363日仕事をしていました。正月の2、3日だけ休んで、それ以外はずっと営業。でも、これが極めて良い影響を僕に与えてくれたんですね。要はとにかく負けないということ。自分の精神状態に負けるのが一番負けるということですから。自分に負けなければ何事にも勝てるってことを学ばせてもらったんです。
その会社は給料もすごく安くて、インセンティブもありませんでした。ただ、社長が非常に魅力的な方だったし、僕は修行をしようと思って入ったので長続きしたんですが、僕が入って辞めるまでの5年半で150名くらい辞めていきましたね。僕以外は2日とか、長くても3ヶ月くらいで辞めていました。要は、アホであればある程辞めないんです(笑)。余計なことを考えないから。だからアホであることは極めて重要なんです。
そんな中、入社3ヶ月ほどでリーダーになったんですが、部下も含めて、1人あたりの営業成績が4億円を超えるくらいになったんですよ。旅行業は8千万円稼げれば一流なんですが、それが4億円。でも、インセンティブはないので給料は24万円でした(笑)。夜もジャンパーを着て床に寝たりして、その会社にいた5年半はまさに修行期間でした。
その後独立したんですが、その会社でひたすら修行をしていて社会との関係は全く絶っているじゃないですか。だから何で独立すればいいのか全くわからなかったんです(笑)。ただ、旅行業だけはやるまいと思いました。自分のプライドが許さなかったんです。「俺は実力をつけたから何をやっても成功する」と思っていたんですよ。もう、圧倒的な実力だと思っていましたから(笑)。あと、社長との約束もありましたしね。「旅行業はやるんじゃないぞ」と。「当たり前じゃないですか、やるわけないでしょう!僕の実力をどれだけだと思っているんですか!」なんて言ってね(笑)。
そんな時、ある友人に「独立する」と話したら「俺も会社辞めたいし、手伝う」と言うんです。「お前は何がやりたいの」と聞くと「カフェがやりたい」と。何となくカフェのオヤジってかっこいいじゃないですか。それで「じゃあそれだ」ってことになって、そこからいろんな喫茶店経営会社に行ってやり方を聞きました。でも、全然わからないんですね。カップを何個揃えればいいのかすらわからない。どうしようもないんで、まずはフランチャイズをやることにして、様々な本部を数限りなくあたりました。
でも、個人オーナー希望の場合、たいてい物件を持ってくればやらせてあげると言われるんです。それでしばらく物件を探し回ったんですが、当然素人ではいい物件を探せるはずもない。そのうち生活もどんどん苦しくなって、一時期はマクドナルドでバイトしながら食いつないでいました。定職についていないってことがこんなに辛いことか痛感しましたね。「30歳。無職」ですから(笑)。
(次回へ続く)