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第1003回 株式会社きんざん 代表取締役 須田 塁氏
update 24/05/28
株式会社きんざん
須田 塁氏
株式会社きんざん 代表取締役 須田 塁氏
生年月日 1980年1月18日
プロフィール 17歳のときに父親が倒れる。父親の看護と、日々の仕事に明け暮れる母親をみかね、仕事をかけもちしてはたらく。そのときに、「飲食」ではたらく楽しさを知り、その世界で生きていくことを決意する。2008年、焼き鳥きんざん金山本店をオープンする。
主な業態 「焼き鳥きんざん」「炭火鶏焼肉しんざん」「串焼き・野菜巻き工房 ひょーげもん」
企業HP https://kinzan.nagoya/

長男、17歳にしてスイッチが入る。

今回、ご登場いただいたのは、焼き鳥「きんざん」などを運営する「株式会社きんざん」の須田社長。1980年、名古屋市で生まれている。
「父は美容師で、最盛期は市内に3店舗、美容室を経営していました。母は父を手伝っていましたが、モデル事務所でもヘアメイクの仕事をしていました」。
「その頃は、そこそこの生活をしていた」と須田社長はいう。やさしい父母の下、奔放に生きていた。
そんな生活が暗転したのは17歳のとき。父親が倒れられてからだ。
「父が動けなくなってから、経営していた美容室は閉めました。母は父の世話をしながら、父の入院費や治療費を捻出するために、小料理屋をはじめました」。
父親が倒れてからは、生活にも余裕がなくなる。須田社長にスイッチが入ったのは、このとき。
「長男のオレがなんとかしないと、と思って」。
須田社長のなかに眠っていた、もう一人の須田塁が顔をだす。
日中は、現場で汗を流し、夜はサービス業で、「毎日、めちゃくちゃはたらいた」と、当時を振り返る。
「めちゃめちゃ」という尺度ではわかりにくいが、毎月、母親にそれなりの額を渡していたといえば、そのめちゃめちゃ具合も想像できるのではないだろうか。

飲食店、オープンに向けて。

めちゃくちゃ仕事をすることで、須田社長のなかで、一つの未来図が生まれた。サービス業を通し、飲食が好きになった須田社長は、飲食店の経営を決意。これが21歳のとき。
「当時、仕事をしていたお店で、店舗内装のデザイン事務所を経営している社長と出会って、飲食店をつくる側から、飲食の勉強をさせていただくことになりました」。
「いずれ飲食店を経営したいと思っている」という須田社長に対して、「将来、絶対役立つから、違った角度から店づくりをみてみろ」とおっしゃったそうだ。
須田社長は、デザイン事務所がある静岡まで引っ越し、3年ちかく勤務している。
仕事は現場管理。
須田社長は、のちに焼き鳥店をオープンすることになるが、その経緯も聞いてみた。
「焼き鳥店をオープンするきっかけは、当時、現場でかわいがってもらっていた人に、『将来、飲食を開きたい』と話したら、相手は店づくりのプロだから飲食のこともよく知っていて、『これからは専門店がいいよ』教えてくれたんです。名古屋で、専門店といったら、焼き鳥だな、と」。
このあと須田社長は名古屋にもどり、修業を開始する。
ホームページで須田社長は「個人経営の焼き鳥店へ頼み込み、3年間の修業を経て、2008年に『焼き鳥きんざん』を創業しました。」と語っている。
ちなみに、デザイン事務所で店づくりにかかわったことで、「料理は食べる空間がとても大事なことに気づいた」ともおっしゃっている。

2008年、焼き鳥きんざん金山本店、オープン。

「焼き鳥」で勝負すると決めたが、どんなお店にすればいいか、問題はそこ。各地の焼き鳥店を食べ歩く。名店のかたちが、浮かびあがる。ただし、ヒントをくれたのは、今の奥様だ。
「妻と私は高校生の頃から付き合っています。彼女はファッションが大好きでした。彼女を連れて焼き鳥を食べにいくんですが、『女子は匂いがつくところには行きたくない』っていうんです」。
たしかに、たしかに。デートでめかしこんだ、せっかくの服に焼き鳥の匂いが移ったら台無し。表情はともかく、内心は曇るだろう。
「その言葉をヒントに店づくりを始めます」。
<28歳までに起業すると決めていたそうですね?>
「そうです。彼女の一言のおかげでコンセプトも決まりました」。
女性1人でも入れる、おしゃれな焼き鳥店。もちろん、店づくりにはデザイン事務所での経験も活きている。料理だけじゃない、空間づくり。これは飲食業界のもう一つのテーマである。
ただし、コンセプトがいいからと言って、流行るかどうかは別問題。
「創業店は、16坪30席の路面店です。私と後輩と、バイト1名。当時は17時30分開店で、25時に閉店していました。オープン当初は好業績だったんですが、だんだん、と」。
赤字にはならなかったが、家賃43万円も重荷になった。
<ブレイクした要因はなんだったんでしょうか?>
「う〜ん」と須田社長。
「とくに、これっていうきっかけがあったわけじゃないと思いますね」。正確に当時のことを記憶していない。たぶん、それだけ、いそがしかったんだろう。
「おかげさまで、創業店がヒットしたので、おなじビルの2Fで、今度は焼肉店をオープンします」。ただし、こちらは失敗。「それで、そうですね、3〜4年くすぶって(笑)。刈谷市に3号店をオープンしました」。
ホームページの沿革を拝借すると、2008年1月、焼き鳥きんざん金山本店、創業とあり、2009年10月、炭火鶏焼肉しんざん、出店、2013年3月、焼き鳥きんざん刈谷店、出店とつづく。2014年11月に焼き鳥きんざん伏見店を出店したあとは、毎年のようにオープンを重ね、2019年には3店舗、コロナ禍があけた2023年には4店舗をオープンしている。

時間は有限。だから、ひたすら行動する。

漢気から始まった、ストーリーはいま、大きな実をむすんでいる。名古屋でやきとりを食べるなら、「きんざん」を思い浮かべる人も多くなっている。その原動力はなんなんだろうか?
須田社長は「時間を大事にしている」という。<どうして?>とたずねると、「有限だから」と即答された。飲みに行くと、めちゃくちゃ飲むが、「翌日、二日酔いで苦しむ時間はもったいない」ともいう。
だから、意味のない、飲み会にはでかけない。昭和的な会合にも興味を示さないのは、時間が有限だから、である。
「飲食をやろうと思ったのは、母が小料理屋をしていたこともありますし、私自身がサービス業を仕事にして、それに惹かれたということもあります。ただ、その一方で、より小さな頃の記憶が関係していると思うんです」。
食べることが好きな父親は、家族を様々なお店に連れていってくれたという。
「それこそ、アッパーなお店から庶民的なお店まで。そのおかげで、私も食べることが大好きになるんです」。原点は、じつは、そこ。
今現在のビジョンはという質問に、須田社長は以下のように回答している。
「今の店は、いずれ育ってくれたスタッフに売却していく予定です。私は、3次産業ではなく、1次産業、2次産業を、と思っています」。
儲けることが好きな人は、こういう発想にはならないだろう。やはり、食べることが好き、そこから須田社長の、飲食人生は始まり、いまもなお、その思いが原動力になっているにちがいない。
時間は有限。だから、行動する。

思い出のアルバム
 

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