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第1012回 林産業株式会社 代表取締役社長 林 憲太郎氏
update 24/06/25
林産業株式会社
林 憲太郎氏
林産業株式会社 代表取締役社長 林 憲太郎氏
生年月日 1976年2月24日
プロフィール 大学時代に飲食に興味を持ち、卒業後、マクドナルドに就職。2年間研さんした後、同業のとんかつ店で4ヵ月、調理を経験。その後、父親が経営する林産業に入社し、「勝烈亭」の運営に着手する。2019年、2代目社長に就任。
主な業態 「勝烈亭」
企業HP http://hayashi-sangyo.jp/

1975年、勝烈亭、オープン。

来年(2025年)で、創業50周年になるらしい。つまり、創業は1975年。今回ご登場いただいた2代目の林社長が生まれる1年前の話。
もともと大手保険会社に勤めていらっしゃったお父様が、熊本にUターンして開業されたのが始まり。
「祖父が三井物産に勤めていたこともあってか、熊本にもどった父はロイヤルホストを運営するロイヤルに就職し、江頭社長の下で2年間、修業をして『勝烈亭』をオープンします」。
江頭氏といえば、ロイヤル(現ロイヤルホールディングス)の創業者であるとともに、日本の飲食の近代化に貢献された人である。
「当時のことですから、父親が会社を辞め、飲食店を開くと言いだした時には、祖父をはじめ全員が反対したそうです。慶応大学をでて、大手保険会社に勤務していましたから、なおさらだったと思います」。
まだ、飲食が水商売と言われていた頃のこと。
「父親は、とんかつ屋をオープンしますが、一介のとんかつ屋の主人では終わらないと誓っていたそうです」。
客がいないとカウンターに陣取ってTVを観る。TVでもおなじみのシーンを説明して、『オレはあんな飲食店のおやじにはならないぞ、と思っていた』と、後に林社長にも話している。
はじめから法人にしたのは、その決意の表れだろう。
「父親は、ロイヤルホストの本州1号店で初代店長を経験しています。創業したのは、父親が32歳のときと聞いています」。
<お店は、最初からうまくいったんでしょうか?>
「それが、3年間は厳しかったと聞いています。お客様がチラホラいらっしゃるだけで」。
客がいなくても、凛として仕事に向き合う。客の入りをみて、心が折れなかったところがすごい。
「きっかけはわからないですが、4年目くらいにようやく認知されはじめたそうです」。
お父様の思いはともかく、オープン当初は18席の小さなとんかつ屋だったそうである。

大学進学。熊本から静岡へ。

ホームページによれば「勝烈亭」の本店は1983年、2002年、2016年の3回にわたって全面改装を行い、現在のスペースになったそう。
林社長は、その「勝烈亭」とともに大きくなっていく。ちなみに、中学校は熊本で一番のマンモス校で13クラスあったという。少子化の今とは、まったく異なる時代。第二次ベビーブームのときである。
「趣味の話だが」と林社長が切りだす。
「実は、小学5年生の頃、父親がボートを買って、夏になれば友達と一緒に海であそんでいました。水上スキーも、熊本で初めてやったんじゃないですかね。アメリカからビデオを取り寄せて」。
これが、大学進学に影響する。
「最初は姉が通っていた熊本高校に進学したかったのですが、結局、私学の熊本真和高校に進みます」。
公立高校にはかなわないということだったが、調べてみると偏差値69とあった。私学ではトップ校だったのも頷ける。
大学は静岡県にある東海大学に進んでいる。
<熊本から静岡というのはめずらしい選択ですね?>
「母が静岡出身で、小さい頃は母方の祖母にも育ててもらっていましたので、私にとって静岡は第二の故郷みたいなもんだったんです。それに『海洋学部航海工学科』があったので」。
子どもの頃からボートに乗り、海は飲食以上に近い存在だった。「ただ、海は確かに好きだったんですが、だからといって、海の仕事をするつもりはなかったです」と笑う。
実をいうと、「船で世界一周できる」という話に惹かれたそう。この大学進学が、林社長の一つのターニングポイントとなる。

大学進学。林 憲太郎の、大改革が始まる。

「元々は、昔から大人しい性格で、人前で話すのが大の苦手だったですね。だから、なんとかしないといけないと思っていたんです」。
<誰も知らない大学進学はかわるチャンスですね?>
「そうなんです(笑)」。
1年のときに、代表幹事になったという。
「私たちの学科はたった25人だったんです。女子は1名。4年間いっしょです。1年のときに上級生の前で、自己紹介をしたとき、『誰か幹事に立候補する奴はいないか?』って言われ、思い切って手をあげたんです」。
<性格の、大改革ですね?>
「ええ、そうですね。高校までの友達がみたら『あいつ、どうしたんだ!?』って思ったでしょうね(笑)。とはいえ、代表幹事になったのはいいんですが、リーダーになんかなったことがなかったわけですから、皆をどうリードしていけばいいのかわかりません。でも、サポートしてくれる仲間がいて。そういう仲間がいれば、オレでも人をひっぱっていけるんだなと気づきます。調子に乗ったわけではないですが、廃部になっていた応援団をもう1度、同級生たちと一緒に立ちあげています」。
<応援団ですか?>
「そうなんです。実は、高校のときの応援団ってすごくモテたんですね。それを見ていたんで(笑)」。
周りの友人や彼女のお陰もあり。自立した学生生活を送る中、性格も次第にポジティブに変わっていくく。ちょうどその頃、「飲食」という二文字が頭に浮かぶようになった。「『すかいら〜く』さんでアルバイトをしていたからもあるんでしょうが、それまで関心が薄かった父親の仕事に興味を抱くようになるんです」。
2代目、という、もう一つの言葉も頭に浮かび始めたに違いない。

2代目、社長候補、「勝烈亭」に入る。だが、その道は険し。

「はっきりと飲食を志すようになるのは、就活のとき。父親にそのことを話すと、『少しでも勉強になるところに行け』と言われました。それで、就職したのがマクドナルドです」。
<マクドナルドはいかがでした?>
「在籍したのは2年程度ですが、教育熱心だったので、やはり勉強になりました。2年だったのは、父親がロイヤルホストにいたのが2年だったんで、私もそれを真似て。もっとも、すぐに実家に戻ったわけではなく、ほかの有名なとんかつ店で、アルバイトをさせていただきました」。
わずか4ヵ月だったが、料理のイロハは、そちらで勉強したとのこと。林社長に対し、感心するのは「2代目」という立ち位置ながら、自身でプランを立て2代目にたどりついたことだ。
実際、父親から「2代目に」という言葉はかけられなかったそうだ。
「私が、『勝烈亭』で仕事を始めたときには、父親は現場を離れていました。実は、現場に立たなくなって10年くらい経っていたんです。店舗数も、私が子どもの頃のままでした」。
もちろん、当時から「勝烈亭」は名店と言われていたに違いない。ただし、独走とはいかない。おなじ九州で店舗数を拡大する競合店が、熊本にも進出してくる。
「とんかつと言えば、『勝烈亭』とおっしゃっていただくケースは多いのですが、私が入社した頃には、『昔は、よく行ったね』って声を聞くことが少なくありませんでした」。
<どういうことですか?>
「平成8年まで、ずっと右肩上がりだったんです。だから、増設もして、2号店もオープンしました。でも、平成8年をピークに今度は、右肩下がりです」。
<理由は?>
「ひとつはライバル店の進出ですが、もう一つは、父親が現場にでなくなり、理念に対する意識も薄れていったことが原因だと思います。私が入社したのは、そうした頃だったんです」。
いきなり、険しい道が立ちはだかる。どうする林社長!

初代から受け継いだDNA。

「答えは、父親にだってありません。だから、車で東京まで走ります」。
<走る?>
「そうです。車を東京に向かって走らせ、各県で有名な、高くてもお客様を虜にする『とんかつ』を出す店に行きました」。
<リサーチですね?>
「父親の代では、日曜日が定休日でしたし、どちらかというとサラリーマン対象だったんです。でも、いつまでもサラリーマンをターゲットにしていてはいけない、と。このマーケティングの旅でたどりついた一つの答えが、それでした」。
林社長は、子どもと母親、とくに女性が1人で入れるような店にしないと生き残れないと、店のリニューアルにも着手する。
「2009年頃までは、安いランチメニューもお出ししていたんです。牛丼が290円だった頃です。ただ、私は、そのとき、これでは生き残れないと、2号店が南熊本に移転するタイミングで、内装も、メニューも一新しました」。
広くゆったり座れ、油の匂いもしない。女性スタッフが働きやすい店づくりにも乗り出した。その結果、グルメサイトでも高い評価を獲得するようになる。
2021年には親子の念願だった熊本駅に3号店「勝烈亭アミュプラザ店」、2022年に4号店「勝烈亭 東バイパス保田窪店」をオープン。コロナ禍だからこそ、ピンチではなく出店するチャンスだ考え、挑戦した。その結果、現在売上高、利益共に新記録を出し続けている。
「勝烈亭」を創業した際、父親は、「ただの飲食店のおやじにはならない」と誓った。そのDNAを受け継いだ林社長。「やすきに流れない」、2代目社長のつよい思いが、ここからも伺える。
熊本で一番になる、と林社長。しかし評判は、すでに記載した通り、高い、高い。あのミシュランにも掲載され、食べログやトリップアドバイザーにも上位掲載されている。
来年、「勝烈亭」は50歳になり、その翌年、林社長は50歳になる。
いい意味で、ともに円熟している。

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