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第1024回 株式会社アクトコミュニティ 代表取締役 柳瀬雅斗氏
update 24/07/16
株式会社アクトコミュニティ
柳瀬雅斗氏
株式会社アクトコミュニティ 代表取締役 柳瀬雅斗氏
生年月日 1987年4月6日
プロフィール 子どもの頃から経営者をめざし、15歳から飲食店でアルバイトを開始する。バーテンダーを務め、カウンター越しに様々な経営者と接点を持ち、ネットワークを広げていく。25歳で独立。馬肉で生肉マーケットを再構築し、事業を拡大。現在(2024年5月)、焼肉「肉のよいち」など3業態で45店舗を展開している。
主な業態 「肉のよいち」「馬肉専門タテガミ」「 昼だけうなぎ屋」
企業HP https://www.nikunoyoichi.co.jp/

プール付き、2億円の豪邸。すべては、そこからスタートする。

今回ご登場いただいたアクトコミュニティの代表、柳瀬さんは1987年4月6日、名古屋市西区則武町生まれている。お父様はアパレル関連の会社に勤め、お母様は昼夜問わず仕事をする働き者だった。
「市営住宅で暮らす3人家族の一人っ子です。両親が共働きだったこともあって、5歳の頃にはカップラーメンを一人でつくっていました。勉強はしないで、外で遊んでばかりの少年でしたね」。
勉強はしなかったが、数学は好きだった。
「中学の頃、一戸建の夢をみて、調べてみたら2億円がいるとわかったんです」。
<2億円っていったら、かなりの豪邸ですね?>
「そうなんです。プール付きの豪邸です。40歳で子どもが小学校に上がるまで建てようと計画します」。
得意の数学でそろばんを弾く。
「2億円を借りるとしたら、最低でも年収は2,000万円が必要。そこから逆算すると、サラリーマンなんてとてもやっていられない、となったわけです」。
<だから経営者?>
「そうです。すべてはここからスタートしています」。

カウンターの向こうには、めざす未来のジブンがいる。

「経営者になるといっても、勉強はできなかったから学問がいらず、起業しやすい飲食をめざします」。15歳の少年が、ある意味、理論的にその絵を描いていたというから、驚くばかりだ。
「高校に通いながら、錦でバーテンダーを始めます。15歳から20歳までダーツバー、そのあともバーテンダーです」。この仕事が、柳瀬さんの経営者への道をリアルに開くことになる。
「バーには著名人をはじめ、ユニークな経営者がたくさんいらっしゃいました。カウンター越しなら、そのような方々も対等に接してくださるんです。すべてが貴重な経験でした」。
もっとも、仕事はハード。「月商1,000万円がノルマで、月末に達成が見込めないと帰れま10(テン)だった」といって笑う。
それでも月給は25万円。
「ぜんぜん見合ってないですよね。でも、独立のためのステップだと思っていましたから、給料に不満はなかったです」。
社会に出ても、中学の時に立てた志は忘れていない。
ちなみに当時、錦でもっとも有名なバーテンダーを1人挙げるなら、だれもが柳瀬さんの名を挙げたのではないだろうか。それだけ、目覚ましい仕事をしていたようだ。

生肉マーケットを再構築。「タテガミ」が、快走する。

イベントも開催したそうだ。芸能人やスポーツ選手とも出会った。「雑誌の編集者やTV局のプロデューサー、そういう人とのコネクションができて、彼らからも勉強させていただきました」。
情報発信の方法のことだろう。柳瀬さんにとってSNSは原動力の一つになっている。25歳、バーをオープンし、2,000万円の軍資金をつくり打って出る。
<タテガミ、ですね?>
「そうです。馬肉の『タテガミ』は、ちょうどレバ刺し、ユッケなどの生肉が問題なったときに、規制のない馬肉に目をつけスタートしたブランドです。『馬肉』ではなく『生肉』という大きなマーケットにチャンスがあると思ったんです」。
たしかに、レバ刺しやユッケが規制され、大好きな生肉が食べられなくなった人は無数にいる。ちなみに、馬肉は牛肉や豚肉と比べ、低カロリーで高タンパク。鉄分が豊富と言われている健康食。馬の生肉が規制されていないのは、牛や豚と違い、馬は体温が高く、雑菌が繁殖しにくいからである。
そこに目をつけ、オープンしたのが馬肉の「タテガミ」。グルメサイトで検索してみたが、さすが柳瀬さんが手塩にかけただけあって、とにかく高評価だった。
「『タテガミ』で、フランチャイズ化を進めます。バーで知り合った経営者の方々が参加してくださいました。ロケーションを間違えなければ、うまくという自信もありました」。
「タテガミ」が、快走する。だが、落とし穴があいていた。

バイブルは、ブログ。

予想通り大きなマーケットがあった。すべてが順調。柳瀬さんの戦略は、ことごとくヒットする。
<バイブルがあったそうですね?>
「そうなんです。株式会社subLimeの代表、花光雅丸さんのブログです。私は偶然、そのブログを知って、それから毎日、なめるようにしてブログを読み、花光さんの後を追いかけます。だから、今もそうですが、すべてが花光さん基準なんです」。
ブログを通して花光さんと出会ったのは、20歳の時。花光さんの生き様が人生の羅針盤となる。
「経営の師匠は、バーのお客様だった方と奥さんのお父さん。お二人とも尊敬できる経営者で、とても参考にさせていただいています」。
柳瀬さんのネットワークは広い。バーテンダーの時代、数々のネットワークを築いている。カウンター越しに培った人間観察力は、おそらく柳瀬さんの武器の一つ。

赤字からの大逆転。

「さきほどお話したように、バーで知り合った経験者の方々が加盟してくださって、『タテガミ』のフランチャイズ化も加速します。ただ、5年目。私が30歳の時に直営を含め、加速したことがあだとなって苦境に陥ります」。
<どういうことですか?>
「当時、『タテガミ』が15店舗あって、さらに事業スケールを拡大しようと、2018年の10月に愛知・国際センターに1億円かけて『肉のよいち』を立ち上げたんです」。
<現在、メインブランドの米が主役の焼き肉店ですね?>
「そうです。投資額が大きいわりにスタートがうまく切れませんでした。その一方で、『タテガミ』も同ブランドながら大衆店から高級店までバリエーションを広げ、出店エリアも一気に広げすぎて、スタッフの管理ができなくなって内部崩壊してしまいます」。
<資金的にはどうだったんですか?>
「借入金を返済しなければなりません。月300万円がショートして、半年で1,800万円の赤字がでます。バーを経営していた時に貯めた軍資金も使い果たし、自己破産ギリギリまで追い詰められました」。
やむなく撤退を開始する。10あった直営店のうち8店舗をクローズ。
「1年くらいは苦しかったですね。ただ、直営は減りましたが、逆に組織がスリム化し、フランチャイズの比率をあげるきっかけになりました」。
ため息はつかない。萎縮することなく、次に進むきっかけになったのは、間違いなく花光さんのおかげ。
およそ1年で、ビジネスを再構築。再び事業が加速する。ただ、その先にもう一つの試練があった。

今度は、柳瀬さんが、羅針盤になる。

「コロナです」。
「でも、逆にチャンスだと。実は、『うなぎ』もコロナ禍でスタートしています」。
<「昼だけうなぎ屋」ですね?>
「そうです。客単価は、一般のうなぎ屋さんの半分くらいです。もともと『うなぎ』は、日本を代表する食材だということではじめました。今(2024年)、『うなぎ』のトレンドが来ているでしょ。まさか、そうなるとは思っていませんでしたが、ラッキーですよね」。
コロナ禍でも、萎縮しない。これも花光流だろうか。コロナ禍での仕掛けが功を奏して、実は海まで渡っている。「マレーシア、シンガポール、ベトナム。フランチャイズで50店舗はいける」と柳瀬さんは強気だ。
さらに、いよいよ東京にも進出する。すでに、このインタビュー記事がリリースされる時には、出店が済んでいるはずだ。2024年、年内に東京で3店舗出店予定だという。
「でも、まだまだですね。今の目標は、2026年の120店舗です。現在、焼肉「肉のよいち」など3業態で45店舗ですから、およそ3倍。こちらを達成すると、資金も回転をはじめ、5年後の株式上場もいよいよ現実味を帯びてくると思っています。将来の目標は、国内外で300店舗です」。
まだまだ先は長い。だか、羅針盤は、ぶれることなく、進みゆく方向を指している。「現在、正社員でいえば、うちは14名です。今度、新卒が3名入ってきます。独立組も9人になりました。これもまた、うれしいことですね」。
今度は、柳瀬さんが、羅針盤になる。いやもう多くの若手が、柳瀬さんを追いかけ始めているに違いない。

思い出のアルバム
 

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