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第1035回 株式会社Global sapana 代表取締役 アディカリ・ブバン氏
update 24/08/13
株式会社Global sapana
アディカリ・ブバン氏
株式会社Global sapana 代表取締役 アディカリ・ブバン氏
生年月日 1977年7月29日
プロフィール ネパール出身。中学校で飛び級を果たした秀才。高校卒業後、日本に渡り、インド料理店で皿洗いをするなど仕事に励み、2001年、飯田橋にアジア料理店、「Asian Kitchen & Bar SAPANA IIDABASHI PRANO」をオープンする。
主な業態 「Asian Kitchen & Bar SAPANA」「Cafe & Kitchen Oriental SAPANA」「焼肉と肉ビストロSAPANA」「太一商店」他
企業HP https://www.sapana-group.com/

カトマンズから来た青年。

ネパールの首都、カトマンズ出身。1977年7月29日生まれだから、2024年5月のインタービュー時、46歳。ネパールはインドと中国チベット自治区に囲まれているアジアの国の一つ。
ウィキペディアによれば、首都カトマンズは、バグマティ川、ビシュヌマティ川の2つの川が貫通し、両川に抱かれるような形で広がっているとのこと。
顔をあげると、ヒマラヤ山脈が目に映るんだろうか。ブバンさん、いわく、アジアのスイスだそう。「じつは、スイスより格段に美しい」と胸をはる。
ついでにいうと標高は1400メートル。1年を通して温和でさわやか、冬も暖かいそうだ。空気まで美しいにちがいない。
ブバンさんが、そのカトマンズから初来日したのは、16歳の時。観光が目的。「大阪や東京の人口の多さに衝撃を受けた」という。
ブバンさんの父親は政治家。ブバンさんは、子どもの頃からできがよく、中学で飛び級をしている。優秀な若者は、ネパールにとどまらない。
「ネパールの若い人はみんな英語ができるんです。だから、どこにいっても言葉に困らない。今もネパール人は、アラブや韓国、アメリカやオーストラリアに行きます。私も最初はみんなと同様アメリカへと思っていたんですが、けっきょく、日本に行こうと決めました」。
日本料理も食べたかったし、仏教が広がっている、それに、やはりおなじアジアということで、18歳で改めて来日する。今度は観光ではない。日本で「成功」の二文字を勝ち取るためだ。
「30年前のことですから、経済的な格差もあった。ネパールでもコーヒーを飲みますが、日本円でいうと5円です」。
お茶なら1ルピー。「1円にもならなかった」と笑う。

2001年、アジアンキッチン&バーをオープンする。

「求人誌をみて、唯一、外国人OKって書いてあったグローバルダイニングさんに面接に行ったんです。でも、けっきょく、だめでした(笑)」。
外国人にとって、まだまだ生きにくい社会だった。お金が尽きる。かっこをつけていられなくなる。
「しかたがないのでインド料理店で皿洗いを始めます。次々、運ばれてくる食器を洗う。これが、私の最初の仕事です」。
「いい車に乗りたい。いい暮らしをしたい」。そう思いながら、黙々と皿を洗う。だが、下を向くことはない。ただしくいうと、向くこともできなかった。
「結婚して、子どもが生まれて、お金がいるでしょ。だから、皿洗いを辞め、江戸川橋の印刷会社に就職しました」。
土日も1人、出社して仕事をしたそうだ。
「当時、外注にだしていた作業を休みの日に私が1人でやったんです。かなり、利益をあげました。そのぶん、給料はあげてもらいましたが、それでも、十分じゃない。日本人じゃないからね」。
飲食を始めるきっかけとなったのは、当時、通っていたインド料理店。
「みんな昼ご飯を食べに行くじゃないですか。『行こう』っていったら、会社の若い子が20人くらいついてきてね。ある日、ふと、だったら店をやればやっていけるんじゃないかな、と」。
思いつくと、行動は早い。
ブバンさんは印刷会社に勤めたままコックさんを採用して、アジア料理店をオープンしてしまう。これが創業店の「Asian Kitchen & Bar SAPANA IIDABASHI PRANO」。
「10席の小さなお店です。最初は印刷会社に勤めながらだったんですが、こちらのほうがいい給料を取れそうだとなって、印刷会社を退職し、本格的に店の経営に乗りだします。2001年のことです」。
ブバンさん、24歳の時。

駅ビル出店で、信用力アップ。事業が加速する。

ブバンさんに「いちばんたいへんだった時は?」と質問すると、「最初に日本に住んだときかな」という回答。ただ、いい話がある。
「ちかくに住んでいた酒屋の、明治屋さんっていうんですが、その店のおばあちゃんが異国人の私に親切にしてくださったんです」。
「アイスキャンディをごちそうしてくれた」という。
その恩を忘れるようなブバンさんではない。現在、ブバンさんのお店でだす酒類のほぼすべてをその酒屋さんから仕入れている。
「1号店からのお付き合いだから、仕入額でいえばもう20億円くらいになるんじゃないかな」と笑う。
人と人。日本人であろうが、ネパール人だろうが、それ以外の国の人であっても、みんないっしょだとブバンさん。重みのある一言だ。
さて、2001年、飯田橋に1号店をオープンしたのち、今度は水道橋に30坪60席の大箱をオープンする。
「すごくいいというわけではなかったんですが、私が店に入ってからは順調に売り上げも上がります。兄が1人いるんですが、兄にも手伝ってもらいました」。
ただ、飲食店は、浮き沈みがある。だから、調子がいいといっても、浮かれるわけにはいかない。ブバンさんは、大胆だが、意外と慎重でもある。できる経営者は、そういう人なんだろう。
「ターニングポイントを一つあげると、錦糸町の駅ビルに3号店をオープンさせてもらえたことですね。JRのビルですから、そこにオープンできただけで信用力が格段にアップします」。
資金がまわることで、出店も加速する。

毎日食べても、飽きないし、もたれない。それが、ネパールのカレー。

メニューはネパールの料理だけではない。インド料理をはじめ、アジアの料理がならぶ。牛肉もちゃんといただくことができる。
「ネパールというとやはりカレーですか?」とストレートにうかがうと、「そうだね、」と。
「でもね」とブバンさんは笑いながら、話をつづける。
「でもね、日本のカレーとはちがいます。ネパールでは朝、昼、夜、3食、カレーです。そういうと日本人は、カレーばっかりと不思議がりますが、ネパール人にとって香辛料は、日本人の、醤油やみりんとおなじ調味料なんです」。
日本人は翌日のカレーを旨いというが、「それもちがう」とブバンさん。朝、つくって、その日のうちに食べるのが、ネパール流。それが、カレー本来の食べかたという。
もっとも、カレー自体も日本のカレーとはまたちがう。重くなく、もたれない。「だから、60代でも、70代でも食べられる」と、ブバンさん。
グルメサイトで、ブバンさんのお店を検索したが、やはりカレーの口コミが多い。もっとも、さきほど記載したように、ネパールだけではなく、インドやベトナムなどアジアの料理をいただける。アジアが凝縮しているといったほうがいいだろう。
現在、9店舗、テイクアウトやデリバリーも行っている。「うちは、人に困らないからね」と、ブバンさんは本質的な話をする。ちなみに、ブバンさんは、「Global sapana」を含め3つの会社を経営している。ネパールにも投資し、ヒマラヤの水を世界中にセールスしようとしているらしい。

アジアのスイス、ネパールへ行こう。

「ネパールは、日本とちがって若者が人口の8割を占めているんです。私は去年、向こうで講演したんですが、それで、来日するネパール人が驚くほどふえました。ネパール人で、日本へ、という選択をする人は少なかったんですが、私がお話したことで、改めて日本という選択がクローズアップされたんだと思います」。
実際、来日するネパール人の数が、「1万人から、17万人になった」という。
来日すれば、仕事はある。希望があれば、ブバンさんが採用する。これはWin・Winの話。ブバンさんも、だから、人には困らない。人材不足の飲食業界では、極め付きのストロングポイントである。だから、「やろうと思えば1万店だって可能だ」という。もっとも、財をなした今はもう、儲けようとは思わない。
飲食事業で財をなしたブバンさんは、前述した通り、母国ネパールのための仕事もしている。
「ネパールは観光立国なんです。ヒマラヤやエベレストがありますから。それ以外にもたくさんの名所があり、観光案内をしようと思えば、困ることはないです(笑)」。
もちろん、カレーも旨い。
「前回の選挙で、ぼくらの党から20名が当選した」とブバンさんは、壮大だが、リアルな話をする。「次の選挙でさらに議席をふやせば、ネパールはかわりますよ」。
もっとも少しずつかわりかけている。
「今まで氷をいれて飲むという文化がなかったんですが、今は、ハイボールに氷を入れるようになりましたから」と笑う。その笑いが澄み切っている。
ちなみに、お茶も、コーヒーも今では日本とおなじような価格帯だという。
「最終目標はね。ヒマラヤのベースキャンプに1万円くらいで行けるようにすることなんです。電車を通してね。どう思います? 行きたくなるでしょ」。
澄み切った空気と、ヒンドゥー教と、仏教の文化、そして、ヒマラヤ。
「いっしょに行きませんか?」。
インタービューの最後にブバンさんは、そういって誘ってくれた。頭のなかで、アジアのスイス、ネパールが広がった。

思い出のアルバム
 

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