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第1046回 Food Innovators Holdings Limited. 代表取締役社長CEO 久保田恭章氏
update 24/09/24
Food Innovators Holdings Limited.
久保田恭章氏
Food Innovators Holdings Limited. 代表取締役社長CEO 久保田恭章氏
生年月日 1975年5月22日
プロフィール 大学卒業後、不動産会社・大手生命保険会社に勤務後、大手サブリース会社に創業メンバーとして入社。営業部門を掌握。居抜き店舗を活用したサブリース事業を考案し、同社の株式上場時には、当時最年少の上場会社取締役として、同社上々に大きく貢献する。2005年、独立し、株式会社フーディーズの代表取締役に就任。15年後の2020年7月に、これまでの経験を活かして多くの飲食関連企業の代表やコンサルタントを経て、Food Innovators Holdings Pte. Ltd.(現Food Innovators Holdings Limited.)代表取締役社長CEOに就任。
主な事業 店舗経営コンサルティング事業やレストラン事業、店舗のサブリース事業などの総合的なコンサルティング事業
企業HP https://fih.sg/

フューチャークリエイトの創業に参加する。

久保田さんは1975年5月22日生まれ。
学生時代から不動産事業に興味を持ち、卒後、中堅の不動産会社に就職。同社で勤務した2年間、トップランナーとして走りつづける。
セールスマンとして、高く評価された実績をもとに、大手外資系保険会社に転職。
「当時、スターだったのが、ソニー生命のアイアンマン先輩(仮称)です。私は、アリコジャパンというアイアンマン先輩とは違う会社でしたが、アイアンマン先輩のことを知らない人はいませんでした。そのアイアンマン先輩が起業するという話を聞き、私も創業のメンバーに参加させていただきました。私は、アイアンマン先輩の下でファイナンスを勉強したかったんです」。
<それが、フューチャークリエイトですね?>
「そうです。私が26歳の時の話です」。
天才的な営業マンだったアイアンマン先輩が、創業したフューチャークリエイトは、のちに店舗流通ネットとなり、名証セントレックスに上場している。
<創業当時の話を聞かせてください>
「創業時は私を含め従業員は数名。ほぼアイアンマン先輩1人のワンマン企業といったイメージでした。売上もアイアンマン先輩1人であげていました」。
「周りは、アイアンマン先輩があげてきた契約に追われるんですが、私は、少し違いました。ファイナンスをしたかったので、アイアンマン先輩に相談します。すると『やりたければ、やれば』といった冷ややかな回答でした。ただ、『やれば』と言ってはいただけたんで(笑)」。
<1人で始められたのですか?>
「結果的にはそうですね」。
<いかがでした?>
「私がはじめて2ヵ月経った頃です。冷ややかだったアイアンマン先輩が、興味津々に聞いてくるんです。『久保田ちゃん、どうやってんだ?』って」。
話を聞くと、そりゃ、アイアンマン先輩も気になるはずだ。
7月から事業を開始して、9月には400万円の利益をあげている。「年末まで2,000万円の利益をあげ、200万円のボーナスをいただきました」と久保田さんは笑みを浮かべる。
ボーナスの額云々より、アイアンマン先輩に認められたことが誉だったにちがいない。

Win-Winのファイナンススキーム。

フューチャークリエイトは、2004年、創業から4年のスピードでセントレックスに上場している。マーケットの評価も高く、初日には値がつかなかったそうだ。
当時のビジネスの一部を、噛み砕いて説明していただいた。
「たとえば」と、久保田さん。
「5店舗を経営している会社があったとします。5店舗のうち、2店舗は黒字だけど、残りの3店舗が真っ赤でマイナスを計上していたとします。銀行は融資しますか?」。
<…難しい気がします>
「そうです。資金があれば、真っ赤な店舗を処理することもできるんですが、融資を受けられないから、それもできない」。
<手詰まりですね?>
「そういうわけです。でも、私たちは違います。銀行さんにはどう映っているかわかりませんが、私たちにすると黒字の2店舗は宝です。その黒字の2店舗をいったん買い取らせていただいて、スケールにもよりますが4,000〜5,000万円をお支払いします。すると、それを再生の資金に充てていただくことができます」。
<買った店舗はどうするんですか?>
「買い取った店舗は、サブリースとして、もとの会社にお貸しして運営委託するというスキームです。だから、表面上は何もかわらず営業をつづけることができます」。
久保田さんによれば、その黒字店が、運営の問題で赤字を叩きだすようになっても、フューチャークリエイトには資産が残るからリスクも少ないそうだ。
話を聞いて、マーケットが評価したのは、このような事業モデルがあったからだと思った。従来の融資とは異なる、Win-Winのファイナンススキームである。
「2004年、上場したあと我々のビジネスは、さらにアップデートします。今度は、企業を買収して子会社化し、バランスシートを軽くするなどして、その会社を上場させるというスキームをつくります」。
ともかく、新たなスキームができ、久保田さんはその事業の担当役員に任命される。
実は、その第一号案件が、のちに久保田さんが代表を務めることになる「株式会社フーディーズ」だった。

久保田さん、共同代表になる。

第一号案件を進めるため、合計7,000万円を投資。うち2,000万円は、担当役員の久保田さん個人の資金だった。
「担当役員だからということでね。その増資が完了したのが、今も覚えていますが、2005年の5月17日です」。
「だが、インパクトでいうと、その翌日のほうが大きい」と久保田さん。「その翌日、アイアンマン先輩が逮捕されるんです」。
<まるで、ドラマみたいな話ですね?>
「そうですね。私にしても、寝耳に水です。詳細はわからないです。ただ、そうなった以上は、迷惑をかけないよう、フーディーズから身を引くしかないと思っていました。当時の社長さんにも、そうお話ししました。でも社長さんは逆に『私は久保田さんを信じてこの話にかけた。だから、久保田さんがいる限り、グループのままでいい。このまま進もう』と」。
「そこまで言われたらね」と、久保田さんはいう。行動は早い。翌6月には店舗流通ネットの役員をやりながら、フーディーズの共同代表に就任する。

久保田さん、どうするの?

久保田さんが、フーディーズの経営に注力するなか、店舗流通ネットでは多士済々なメンバーの思惑が交錯する。
久保田さんが知らないうちに、店舗流通ネットはファンドに売却されてしまった。役員の1人から声がかかる。「久保田さん、どうするの?」と。
「どうするって言われてもね。私は全然知らなかった。私以外の役員たちが決めたんです。株価もダダ下がりでしたし。ファンドを起爆剤に、もう一度ということだったんでしょう」。
「彼の質問は当然、私自身もそうですが、フーディーズをどうするのかということ」と久保田さん。
道はそう多くない。ただ、店舗流通ネットに残る選択肢はなかったのではないか。
「そうですね。それはない。私は、所有していた店舗流通ネットの株式をすべて売却し、その資金で、店舗流通ネットが所有していたフーディーズの株式をすべて買い取りました」。
総額、いくらだったんだろう。
ちなみに、久保田さんは「昭和50年生まれで、最初に四季報に載った」と笑う。「あれが、29歳でしょ。そして、フーディーズの株式をすべて買い取ったのが31歳。わずか2年だからびっくりしますね」。
<まるでジェットコースターですね?>
「まだまだ話は今からです」と、久保田さんは笑う。

迷走か、それとも。

「店舗流通ネットから株式を買い戻して、新体制でスタートしたのが2006年です。その時、フーディーズのメインブランドは『刻』でした」と久保田さん。
1年程度で、投資回収が可能なパッケージだった。
「わかっちゃいたんですが、スケルトンで『イベリコ豚の専門店』といった格好いい店をやってしまうんです。はい、大失敗です」。
「ベンチャーキャピタルにも出資いただいていたんで、損はさせられなかった」と久保田さん。
「その時、パソコン関連の会社から、ベンチャーキャピタルの出資分を買い取ってくれるという話があり、いったん、その傘下に入ります。ただ、様々な会社を子会社化する一方で、本体の経営がうまくいかなかったんでしょうね。子会社の整理が始まります。うちにもすぐに『でていってくれ』と(笑)」。
<それは、きついですね?>
「ですね。年末までと言われて、余裕がありませんでした」。
<どうされたんですか?>
「知人が日本振興銀行グループ社長をやっておりましたので、日本振興銀行の会長をご紹介いただきまして」。
「お会いした時、会長は私のビジネスモデルを絶賛してくださるんですが、それ以上、話が進まない(笑)。1回目が『いいね』で終わり、2回目もそんな感じで、12月の期限が近づいてきます」。
あまり興味ない本を読まない久保田さんだったが、この時ばかりは会長の著書を読みあさったという。
「3回目の時に、ストレートに『どうすれば、日本振興銀行のグループに入れていただけますか?』と」。
会長は、その一言を待っておられたんだろうか。はじめて久保田さんの役員報酬についての条件を示され、久保田さんが一番下のランクからお願いいたしますと言うと、久保田さんの前に、会長の右手が差し出されたそうだ。
シェイクハンド。
久保田さんは今もその時の感覚を忘れてはいない。

株式上場をあきらめない。ただし、そこは、駆け抜けるゴールの一つでしかない。

ただし、まだ終わらない。「フーディーズ」は2012年、日本振興銀行の破綻により資金繰りが悪化、破産する。
久保田さんの経営により、資金繰りが悪化したようにもうかがえるが、結果的に押し付けられた事業が足を引っ張ったことは明らかだった。
だが、久保田さんはあきらめない。
2019年「Food Innovators Holdings Ltd. (FIH)」(現Food Innovators Holdings Limited.(FIH))を設立し、2020年7月に代表に就任。シンガポールでの上場を進めた。
ただ、コロナ禍だったこともあっていったん延期となる。そして、2024年6月現在、上場の時期がちかづいている。
いったんそこがゴールか、それとも、新たなストーリーの始まりか。
FIHのホームページには、「シンガポール拠点から事業展開」とあり、<店舗経営コンサルティング事業やレストラン事業、店舗のサブリース事業などの総合的なコンサルティング事業を通じて、-----中略-----日本と世界を食でつなぎ、世界中に「美味しい」がある場所を拓く。それが私たちFIHグループのミッションです。>とある。
さて、どんな花を咲かせるか。実はもう、新たなビジネスの種も蒔かれている。
自身も、レストラン事業を行い、「食」のビジネスを追求し、何千、何万人もいる「食」のキーパーソンたちをサポートする。
いずれにしても、事業の、そして、久保田さんの真価が問われるのは上場してから。それは間違いないこと。

思い出のアルバム
 

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