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第1051回 株式会社ソウルフラワー 代表取締役 川端昌志氏
update 24/10/08
株式会社ソウルフラワー
川端昌志氏
株式会社ソウルフラワー 代表取締役 川端昌志氏
生年月日 1977年11月17日
プロフィール 北海道士別市多寄町出身。20歳で将来の目標を定め、28歳で北海道民のソウルフード、スープカレーで勝負すると決断。2007年、札幌市の路地裏に「Rojiura Curry SAMURAI.」をオープン、道内と東京を中心に国内19店舗、海外1店舗を展開する。企業理念は『関わる人を笑顔にする』。理想とする社員像は『善き人であれ』。
主な業態 「Rojiura Curry SAMURAI.」「スパイスラーメン 点と線.」他
企業HP https://samurai-curry.com/

生まれは「サムライしべつ」と呼ばれる北の大地。

川端氏が生まれた北海道士別市多寄町は、北海道北部に位置する人口900人足らずの農村だ。盆地のため夏は暑くて冬は寒く、川端氏が子供のころはマイナス30度を下回ることが年に3〜4回あったという。町の主な産業は農業で、川端家も代々農業を営んできた。家業は川端氏の兄が継ぎ、今では弟の商売に欠かせない米をすべて賄ってくれている。
地元の小中学校を卒業後、川端氏は自転車を全力でこいでも片道45分かかる遠方の進学校に入学した。ちょうどバスケブーム全盛の時代。それまではプロ野球選手を夢見るほど野球好きだったが、スラムダンク人気も相まって、川端氏もバスケットボールに転向した。
広大な北海道だけあって、遠くから通う生徒が多いからだろうか。朝練はなかったものの、バスケ部の休みはテスト期間と年末年始、そしてお盆の間に1日程度。放課後の練習に加え、地元企業のクラブチームとの夜間試合もあり、部活は厳しいものだった。
「努力は裏切らないんで。ずっと努力してました」。
人生で一番つらい時期ではあったが、辞めたいと思ったことは一度もなかった。努力の結果は2年生の時、レギュラーの座となって表れた。

20歳で自分の将来を選択、その基準は「周りの人を笑顔にしたい」。

理系が得意で研究職に憧れていた川端氏は、親の負担を少しでも減らしたいという想いから国立北見工業大学に進学した。「学費は親に出してもらったんだから、あとは自分でやる」と決め、北海道発祥の炉端焼きがメインだった居酒屋で働き始める。当時ですでに30年の歴史を持つ老舗の居酒屋。店主のおばちゃんとバイトの2人で十分回せるようなこじんまりとしたその店は、馴染み客に愛されていた。在学中は他のアルバイトも経験したが、川端氏の人生に最も大きな影響を与えたのは、この炉端で過ごした時間だった。
20歳になり、自分の将来について改めて考えた川端氏は、「周りの人を笑顔にしたい」という想いから飲食業へ進むことを決意する。目標を29歳までの独立と定め、大学卒業後は東証一部上場のガス会社に就職し、開業資金を貯め始めた。
仕事は順調で充実していたが、「食を通じて誰かを笑顔にしていきたい」という夢が揺らぐことはなかった。その後28歳を迎え、独立のための計画を本格的に始動させていく。学生時代の経験から当初は居酒屋を考えていたが、さまざまな調査と分析の末、勝率が一番高いのはスープカレーだと思ったそうだ。
「札幌にあるスープカレー店200店舗のうち、150店は食べ歩きました。そこで『この味だったら、この時間にいくらくらい売上げがあるかな。家賃はこれくらいで、利益はこんなもんかな』って分析していったんです。で、これだったら自分の味で勝てるなと」。
ひとり暮らしだった在学中に料理を始めたという川端氏。在職中の7年間は、ルームシェアしていた友人たちに手料理をふるまいながら、自分の味を創作していった。20歳で独立を決意し計画的に準備を進めてきたことが、その後の成功に繋がったのだ。

狙いは的中!スープカレー店は大当たり。

2007年に29歳で独立した川端氏は、記念すべき第一号店の立地を地下鉄駅から徒歩10分ほどの路地裏と決めた。ごく普通の住宅街で店舗前の往来も1日30人ほど、なぜそんな辺鄙な場所を選んだのだろう?
「長く続けたかったので、まず初期投資を抑えたかったんです。そこは10坪14席という小さな店ですが、当時は家賃が5万円と破格な上に、電気と水道代も月5000円と定額。さすがにガス代は別で、駐車場代もかかりましたが、月々のランニングコストは12〜13万くらいでした」。
北海道の名もなき路地裏にある「Rojiura Curry SAMURAI.」はこうして誕生した。手元の軍資金は、サラリーマン時代の貯金と公庫からの借入金で700万円。自分でペンキを塗ったり内装工事をしたり、元ガス会社勤務という経歴も役に立った。しかし飲食業の経験は炉端のアルバイトくらい。料理が好きだったとはいえ、店の経営はうまくいったのだろうか。
― オープン当初はどうやって集客したんですか?
「最初の1か月間は、定価1000円ほどのカレーを半額で出しました。値段に引っ張られてくる人も多かったけど、本当に美味しければリピートに繋がる。味で勝負できないと意味がないし、結果は早く出たほうがいい。だからまずは“食べてもらう”ことに注力しました」。
「あと店のPRはmixiを使ってたんです。当時『札幌スープカレー大好き』っていう登録者3万5000人くらいのコミュニティがあったんですが、オープンして2〜3か月後だったかな?その管理人がトップ画面にウチを出してくれたことで、ヒットしました」。
スープカレーを半額で提供していたにも関わらず、初月の利益は70万円。mixi効果も加わり、売り上げはどんどん伸びていった。2年後にオープンした郊外型の2号店も大当たりし、月に700〜800万円を売り上げたという。
― 2号店のヒットの秘密は?
「1号店が狭かったので、ランチタイムに2〜3時間待ちはざら。だからお客様にとっては、待望の2号店だったんでしょうね。その時は特にメディアが入ったわけではなく、口コミでヒットしました」。

業績の落ち込みからとうとう鬱に。

開店早々に顧客の反応を見ながら商品を完成形に持っていき、SNSの先駆けであるmixiを通じ一気にブレイクした「Rojiura Curry SAMURAI.」。1、2号店とも、一度も赤字になったことがないほどの超人気店に成長した。
「でもその後、8か月くらい鬱になったんですよ」。
原因は起業から約4年後に出店した3号店と4号店の不調だ。満を持してオープンした両店の低空飛行は、彼のメンタルを追い詰めた。最初の2店舗があまりに順調で感覚がマヒしていたところ、それらの黒字を3、4号店が食う状態へと陥ったのだ。会社全体として赤字になったわけではないのに、「売上げが上がらない、社員に申し訳ない」という気持ちが川端氏の心をむしばみ、やがて家から一歩も出られなくなってしまったという。
― いったいどうやって立ち直ったんですか?
「会社の忘年会があったんですよ。本当は行きたくなくて仕方がなかったけど、みんなに謝らなきゃと思って出席しました。でも社員に頭を下げたら『社長、すみません!僕たちの力不足で売り上げがあがらなくて』って言ってくれたんですよね。自分だけじゃない、みんなもそう思ってくれていたんだと思ったら、心の重荷が下りました。奥さんもボロボロだった僕を励ましてくれたし、それで立ち直ることができました」。
会社として赤字に転落したわけでもなければ、給料が滞ったわけでもない。ただ1、2号店の異常さに誰も気が付かなかっただけ ―
そんな風に思えるようになってからは、ずっと順調だ。「Rojiura Curry SAMURAI.」は現在、道内と東京を中心に国内19店舗、オーストラリアに1店舗を構えるまでに成長。スパイスラーメンや沖縄そばなど別ブランドも展開している。

がんを患い「人生観が180度変わった」。

川端氏は、3年前に食道がんを発症している。
「周りは大騒ぎだったけど、僕は意外と冷静でした。まずは食道がんがどういうものか、致死率とかを調べなきゃ、現状把握しなきゃって」。
ステージ1という早期発見だったこともあり、自己免疫力強化による回復にかけた川端氏は、身体に良いとされるあらゆることを試みた。しかしその2年後、がんはステージ3に進行。2023年1月に入院した川端氏は、3クールの抗がん剤治療と8時間にも及ぶ手術に耐えがんを克服した。
「抗がん剤で髪の毛は抜けたけど、副作用はまったくなかったんです。自己免疫力でがんは治せなかったけど、副作用がなかったのは、やっぱり自己免疫力のおかげかなって」。
がんにかかったことで、「人生観が180度変わった」という川端氏。それまでも「やりたいことはわりとすぐやる」タイプだったが、がんが発見されてからのチャレンジはすさまじい。故郷・士別を盛り上げるために地元の有志らと持株会社を起ち上げ、1億円を投資してクラフトビール工場を建設したり、南国沖縄で沖縄そばの店をプロデュースしたり。今年7月には、自身も2か月間通った東京すしアカデミーに若手従業員を送り込んだ。彼が卒業したあかつきには、和食業態にも進出する予定だと話す。
「人間、いつ死ぬかわからない。『いつか、いつか』とか言ってる場合じゃない」。
周囲の人々を笑顔に。川端氏のあくなきチャレンジはこれからも続く。

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