株式会社カルラ 代表取締役社長 井上善行氏 | |
生年月日 | 1958年8月15日 |
プロフィール | 大学卒業後、旅行代理店に就職。ツアーの添乗員として、奥様と知り合い、スピード結婚。奥様の実家が経営するカルラに就職し、次期社長として奮闘。カルラは、2004年には株式を上場している。ちなみに、カルラの創業は 1910年(明治 43年)。100年以上の伝統ある企業でもある。また、東北エリアで株式を上場しているのは、銀行をのぞくとそれほど多くない。 |
主な業態 | 「和風レストランまるまつ」「かに政宗」「寿松庵」「そば処丸松」他 |
企業HP | http://www.re-marumatu.co.jp/ |
社名のカルラは、口から金の火を吹き、赤い翼を広げると宇宙をも包み込んでしまうと言われているインドの神話上の大鳥「カルラ」をモチーフにして、その名をいただいている。
カルラは仏教の守護神でもあるそうだ。
今回、ご登場いただいたのは、このカルラの代表取締役社長、井上善行氏。1958年、岩手県二戸市、生まれ。二戸市には、座敷童で有名な緑風荘がある。
兄弟は兄が1人。「小・中は野球部だったが、高校になると硬式で当たると痛いからソフトボールに転向した」と笑う。
大学は「東北福祉大学」に進学。
「福祉大に入学した時は福祉関係の仕事を志していました。母が点字をやっていたので、私も点字サークルに入り、活動も行っていました。以前から母を手伝っていたので、だれよりも巧く、入部とともに技術部長に任命されました」。
まだこの頃は母の背中を追いかけるピュアな青年だった。ただ、いつまでもピュアではいられない。
「全員、福祉大の学生というアパートで暮らしていました。サッカー部、空手部などの、体育会系のアパートです」。
先輩、後輩の上下関係もつよい「バンカラ」時代。
「1年目は真面目だったんですが、2年目以降はその反動で」と井上さん。彼女ができ、青春を謳歌する。「そっちのほうが楽しいから、サークルにも顔をださなくなっちゃってね」といったあと、「人生っていうのは、ほんと人との出会いだよね」とつづける。
「大学3年の時、アパートがいっしょの先輩から、ある日いきなり、オープンしたばかりのBarに連れて行かれて、『今日から俺といっしょにアルバイトをしろ』ですよ(笑)」。
イギリス風のおしゃれなBarだったそう。
「だから、私もけっこう気にいっちゃって。先輩は早々と辞めていくんですが、私は残ってアルバイトをつづけます」。
律儀な性格でもあったんだろう。仕事をつづけるうちに、今度は店長からの信頼も厚くなり、就活時、店長に旅行会社を紹介してもらっている。
「店長さんはもともと旅行関係の仕事をされていたんです。それで大手2社と、仙台の小さな旅行代理店の3社を紹介していただきました。海外に行くなら、小さい代理店だとアドバイスいただいて、仙台の小さい代理店に就職します」。
井上さんは、大学時代、45日かけアメリカを一周している。その時の様子もうかがった。
「1ドル290円の時代です。45日かけアメリカを一周。60万円程度かかりました」。1ドル290円はびっくりだが、アメリカを一周して60万円は、案外、安い。
「ですね。ただ、費用を浮かすために深夜バスで移動していましたからね」。当時の深夜バスは、危険と隣り合わせだったんじゃないだろうか。
「それも、そうですね。でも、せっかくのアメリカですからね(笑)」と井上さん。なんでも、極力、日本人には合わないように心がけたそう。井上さんにすれば、深夜バスは、冒険を、冒険らしくするためだったのかもしれない。
ニューヨーク、ラスベガス、ロサンゼルス…、もう一度、心細くなかったですか?と聞いたが、「心細くはなかったですが、そばを食べたいと思いましたね」と笑って、回答している。
旅が縁になる。
海外旅行で奥様にも出会っている。この出会いも間違いなく、井上さんの人生を動かしたことの一つ。
「私は旅行代理店で学生時代を含め、9年勤めています。さきほどもいった通り、小さな代理店でしたが、そのぶん、社長さんなど富裕層とのグリップがつよい代理店でした。妻と出会ったのも、私が添乗したツアーの一つでした」。
どういうことだろう?
「シンガポールやマレーシアをめぐる2月のツアーで、親子3人で参加していました。私は添乗員ですから、言葉を交わすうちに親しくなりました。私が29歳の時です。2月に出会って、3ヵ月後の5月に結婚しています」。
なんて素敵なロマンスの旅だろう。しかし、それ以上の旅が始まる。井上さんは、結婚を機に井上家に入り、2代目社長の道を進むことになったからだ。
当時のカルラは、ファミリーレストラン3店舗、蕎麦屋4店舗だった。
「跡取りができた」と、義父は期待を寄せた。
「修業もかねて、1年9ヵ月間、社長同士親しいサイゼリアでアルバイトを経験させていただきました。サイゼリアはもちろん、イタリアンです。この時、イタリアンはあるのに、和食はないんだな、と」。
井上さんがないというのは、和食のファミリーレストランチェーン。理由もあるそうだ。
「日本人にとって、和食は一つじゃないんです。地域によって、調味料だって違うでしょ。味噌なんかはその典型。様々な種類がある。だから、和食のレストランは調理の標準化がとくに難しいんです。だから、洋食の成功例は多数あったんですが、和食の成功例っていうのはなかったんです」。
たしかに、日本の飲食の近代化は洋食のカテゴリーで進んでいく。
「ただ、障壁の高さは、他社との明確な差別化になるし、あとから参入するといってもむずかしい。だから、そこにチャレンジしてもいいんじゃないかな、と。海外に行く可能性の高さで言ったら、そりゃ、和食ですしね」。
そのチャレンジが実ったんだろう。現在、カルラの主力ブランドは、和風レストラン「まるまつ」。ファミリーダイニング「かに政宗」など、「和」のテイストがメインになっている。
洋食が一般的になるなかで、やはり日本人は「和食」に惹かれる。運営のノウハウが確立できれば「和食」というだけでアドバンテージがあるのは、たしかなようだ。
井上さんが正式に入社し、カルラはさらに翼を広げることになる。翼を広げた井上さんの羽ばたきが、大きな原動力となったのは間違いない。
「『かに政宗』は、私がサイゼリヤでの研修を経て、入社してからオープンしました。私が、初代の店長です」。
現在、その「かに政宗」は仙台泉店、盛岡店、本街店の3店舗。100店舗ちかい「まるまつ」と比較すると、店舗数こそ少ないが、「かに」という鉄板素材をつかっているだけに、評価もすこぶる高いにちがいない。
入社時の店舗数と現在を比較すると、さらに、ちがいが浮かび上がる。「立派な跡取りができた」という、義父の期待と想像を越えた活躍だったんじゃないだろうか。
井上さんは、面白い表現をつかっている。「クレームはチャンスなんです。クレームがでたら、倍返し。これが私の信条の一つです」。
クレームがでたら、その倍、改善するという意味だろう。小さなクレームまで見落とさず、その倍の改善を行う。これを積み重ねたことで、今のカルラがあるにちがいない。
もちろん、娘婿と言っても辛い時期は経験している。
「そば処で、店長をやっている時がいちばんキツかったかな。店長会議にでるたび、詰められていましたから」。
専務の時代もながかった。
株式上場を果たしたのは、2004年。当時、無理をしてオープンした店があり、それがのちのち不採算店になっていった。
「それでも、思いれがある店舗は不採算でも、なかなか閉じられなかったんです。ただ、コロナが背中を押してくれて、12店舗をクローズしました。こういうと不謹慎に聞こえますが、コロナのおかげで、足を引っ張る店舗がなくなり、スリムになって、かえってよかったと思っています」。
将来は海外進出も検討しているそうだ。
海外か、と、カルラが翼を広げ飛行する姿を想像して、今回のインタビューは終わった。
それにしても、青森、秋田、岩手、山形、宮城、福島、栃木、東北という一つのエリアでこれだけの飲食チェーンをつくるというのは、おどろきだ。
いずれ、世界に和食のファミリーレストランが広がっていってもおかしくはない。そうなったとしても、もちろん、これは神話ではない。
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