株式会社エムアンドエムフーズ 代表取締役 大橋正伸氏 | |
生年月日 | 1971年3月4日 |
プロフィール | 大学卒業後、証券会社に就職。3年で退職し、合計1年間、ロサンゼルスで暮らし、帰国。父親が経営する会社に就職。2001年、USJに隣接するユニバーサル・シティウォーク店に、しのぶ庵がオープンする。同年、有限会社エムアンドエムフーズを設立。社長に就任する。 |
主な業態 | 「しのぶ庵」「massa」「天ぷら 天助」「SL Roman Cafe」他 |
企業HP | https://mm-foods.net/ |
「大海原には、信号もなにもない」と大橋さんは、ジェットスキーの魅力を語る。腕前は、プロクラスだったそう。「18歳の時に大学のともだちの兄貴に誘われて、琵琶湖で乗ったのが最初」とのこと。
社会人になって、証券会社に就職したのも、ジェットスキーをしたかったから。もっとも、その証券会社でもトップクラスの営業成績を残している。
仕事でも、遊びでも、結果を残す敏腕ビジネスマンというイメージが浮かび上がる。
「私は1971年、大阪市内に生まれました。私で3代目になります。私の祖父が大阪府庁に喫茶室を始めたのが始まりです」。
ホームページをみると創業は1947年となっている。戦後すぐの話。「もちろん、私は生まれていません。3人兄弟だった父が、祖父のお店を引き継ぎます」。
大橋さんが生まれたのは1971年。俗にいう第二のベビーブーム。「ぜんぜん勉強はしなかったですね」と大橋さんは笑う。地元の中学を卒業し、私立高校に進学。
「部活とかは無縁で、とにかく、バイクが欲しくて、たこ焼き屋でバイトをしまくっていました」。それで、HONDA CBX、15万円を購入している。
「証券会社には、3年間勤めました。毎週末、海に向かってジェットスキーを楽しみます」。仕事で一定の結果を残し、退職。退職金100万円を握りしめ、ロサンゼルスに向かった。
<どうしてロスだったんですか?>
「昔からロサンゼルスの空気を吸って暮らしたいという思いがあったんです。きっかけは、大学の卒業旅行でロサンゼルスに行ったこと。むちゃくちゃ楽しかったんです」。
<英語はできたんですか?>
「いえいえ、全然できませんでした。最初は、アメリカの知識もなく、土地勘もないので大変で笑」。
<ロスにはどれくらいいたんですか?>
「日本と行き来して合計1年ちかくです。語学学校にも行ったし、アメリカの文化にも触れますが、それ以上に、私の人生に影響があったのは、向こうで人気だった寿司屋ではたらいたことです。そこで、運命のトビラが開きます」。
大橋さんは、いう。
「英語がぜんぜんできないでしょ。4人のアメリカ人が席に座って、私をたぶんからかっていたんです。でも、私はからかわれていることもわからない笑。ひたすら一生懸命、対応していると、だんだん彼らの表情がかわって。向こうはチップの文化でしょ。私に興味をもってくれたのか、私へのチップは200ドルで、過去最高だったんです」。
200ドルが大橋さんの運命のトビラを開ける。「お金の多寡じゃなく、相手に喜んでもらうこと。そんな仕事をしてみたい、と思うんです」。
大橋さんの人生が、動き出す。
「人前で話することはもともと苦手だった」という大橋さんは自己啓発セミナーにも通っている。そこで得た体験をもとに講演を行い、本も出版している。
「ロスから帰国。父親の会社に就職し、父を手伝います。これが27歳の時です」。
ちなみに、祖父から店を引き継がれたお父様は事業を拡大し、当時、日本で3店舗、香港にも4店舗をオープンされていたそうだ。
「私は、エムアンドエムフーズの前身でもある『喫茶議員倶楽部』に専務として就職します。しのぶ庵のユニバーサル・シティウォーク店がオープンしたのは、2001年です」。
ユニバーサル・シティウォーク大阪は、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに隣接するエンターテインメントショッピング施設。
「裏舞台ですったもんだがあったんですが、無事、しのぶ庵がオープンする運びになります。USJが無料でお客様を招くプレオープンがスタートするんですが、その時は、80席の店に連日800人がいらっしゃいました」。
「ホールが7名、キッチン5名という体制でした。ただ、プレオープンが過ぎたあとに、『渋滞でUSJには行けない』『むちゃむちゃ混雑している』といったマイナスのニュースが流れ、お客様がいっきに減りました」。
<USJにお客様が来ない?>
「そうです。1ヵ月半くらいだったでしょうか? オープンのために金融機関から1億円借り入れていましたからね。眠れない日々がつづきました。もちろん、USJにお客さんがいらっしゃらないので、どうしようもありません」。
大橋さんは、オープン当初のことを「恐ろしいほど人が来た」と表現している。それが、実際にオープンすると、今度は、とんと人が来なくなった。「眠れなかった」という一言からも、大橋さんが肝を冷やした様子がうかがえる。ただ、すぐに事態は好転する。
「1ヵ月半くらい経って、来場者は戻り、うちの店もV字で回復します」。
エンジンがかかっていく。
<2003年には、『えび頼み』あべの地下街店をオープンされていますね>
「そうです。しのぶ庵というブランドだけではなく、もう一つの切り口をもつことで出店を加速させていこうと」。
<天丼390円。衝撃的なお値段ですね?>
「ええ、海老天3本入りです笑。もっとも今は550円(税込)にさせていただいていますが、当時は、ハンバーガーも安かったですし。海老天には高級感があるでしょ。それを安く提供させていただいたのが、よかったんだと思います」。
今もお昼時はすぐに満席になる。
「エムアンドエムフーズを設立して、毎年1店舗のペースでオープンを重ねていくんですが、2008年のリーマンショックの時に、逆にアクセルを踏んで2010年には9ヵ月で6店舗出店しています」。
「あっぱれ天風」「スペインバル」と新ブランドも開発している。ちなみに、相場観は、証券会社時代に養ったもの。
逆張りの発想でもある。その背景には、もちろん、自己開発セミナーに参加し、自身をみがいてきたこともあるだろう。意外だが、「マイナス思考で、自信もなかった」という。
だから、かわることを恐れない。
「もともとお客様と接する現場が好きでしたから、現場ではたらいていてきたわけですが、それでは会社が育たないと諭されて、現場を離れる決意をします」。
<経営者へ、というわけですね>
「そうです。私自身の体験をもとに講師なども務めました。『あの会社は攻める』と思われていたんでしょう。コロナ禍でも、いいお話をディベロッパーからいただきました」。
慎重かつ大胆。
相場観に従って、「ヤバい時に攻める」と笑う。
今や業態は多岐にわたっている。2024年7月現在、11ブランド。直営店舗は21店舗あり、2023年にスタートしたしのぶ庵のFC店舗は5店舗となっている。
ショップのリストをみると、京都の嵯峨野や嵐山にもオープンしている。
「SL Roman Cafe」や「竹取茶屋」がそれ。
<今後は?>とうかがうと、「関東へ進出する」とのこと。1年に2店舗というペースで進めるそうだ。さらに、海外への出店も計画している。
昔の、多少やんちゃな大橋さんとは、もうずいぶん違っている。多くの人が慕う経営者であり、事業家だ。関西以外の出店で、さらにその色合いが濃くなるだろう。
大好きなジェットスキーは、もう封印。現在は、夢をエンジンに海ではなくビジネスの大海原を駆けている。ちなみに、著書の題名は、「夢を語れば、夢が広がり加速する!」。大橋さんの体験談でもあるのだろう。
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