株式会社桝元 代表取締役 長曽我部 隆幸氏 | |
生年月日 | 1969年8月23日 |
プロフィール | 高校卒業後、日本ハムの子会社である南日本ハム株式会社に入社するも1年で退職。建設会社に転職し、頭角を表す。フィリピンパブを経営したのち、創業者から桝元を譲り受け、業績を拡大。スタッフとのコミュニケーションを密に、現在は、株式上場を一つの視野に入れ、さらなる事業の拡大をめざしている。 |
主な業態 | 「辛麺屋 桝元」「こんぺい亭」「本家ささき」 |
企業HP | https://www.karamenya-masumoto.com/ |
ウハウハだった。苦労もあったが儲かった。
フィリピンパブ! 女の子たちにお金がかかったが、それでも残る、正確には、残りまくる!
「当時は、そうでしたね。ためときゃよかったんですけどね」と笑う。
今回、ご登場いただいたのは、あの辛麺で有名な「桝元」の代表、長曽我部さん。苗字がふるっている。14歳で父親を亡くし、苦労も重ねた。転勤族のお父様がご健在の頃は10数回も転勤したそう。父親が亡くなり、地元の宮崎にもどった長曽我部さんは、叔父のアドバイスを受け、高校1年からラグビーをはじめ、強豪校でレギュラーになる。
高校2年の時のこと。
「先輩たちの最後の大会で、私がマークしていた敵チームのエースに、タックルをかわされて、大事な試合を落としてしまいます。私のミスだったので申し訳なくて、号泣しました」と、ピュアだった頃の話をする。
「卒業後は父親が務めていた南日本ハム株式会社に就職します」。
お父様はだれからも慕われていたという。「私が南日本ハム株式会社に就職できたのも、父のおかげ。ありがたい話ですね。でもね。当時は、まだ若かったもんだから1年くらいで退職して、ともだちのお父さんが経営している建設会社に転職してしまいます」。
よくある話だが、そちらの建設会社ではどうだったんだろう?
「面白かったですね。今、うちの専務は私の従兄弟なんですが、彼も誘ってね。建設っていうのは、自然と対峙し、地図に残るというか、完成しますから、とくかく達成感があるんです」。25歳の頃には、業者から接待を受けるような要職にも就いた。「ま、それも、面白かったことの一つ」と笑う。
じつは、この接待が、長曽我部さんのつぎの道をひらく。
「接待でよく連れていかれたのが、フィリピンパブだったんです。これが、たのしい」と長曽我部さん。当時、建設会社があった日向の市内には、6軒くらい同様のバーがあったとのこと。「もちろん、日向市以外にもあったんですが、隣町の、私の今のホームの延岡は日向より断然、人口が多かったんですが、実は、フィリピンパブが一軒しかなかったんです」。
秘密を打ち明けるように呟く。
<なんでですか?>
「おかしいでしょ。延岡だってド田舎じゃない。でも、事実ないわけで。だったら、延岡にフィリピンパブをつくったらどうなる?って、頭で数字がぐるぐる回って。こりゃ、とんでもないことになるぞって」。
長曽我部さん、29歳の時の話。
こうと決めれば、動きは早い。建設会社を退職し、お金をかき集めて、延岡にフィリピンパブをオープンしてしまう。従兄弟をはじめ、長曽我部さんを慕う仲間もついてきた。
<大繁盛ですね?>
「うん? フィリピンパブの業績ですか? う〜ん、それがね。想像とちがって大苦戦」と苦笑い。
長曽我部さんによると、想定したセールスを下回り、経費にもまったくおいつかない。「スタッフは元建設会社の人間でしょ。適性がない(笑)。でも、実はそれ以上に問題だったのは…、延岡には、そもそも、そういう遊びの文化がなかったんです」。
「もちろん、延岡にも繁華街があります。ただ、フィリピンパブって、日本人の女の子が採用できないから始めたらしくて、延岡は、そういう人には困ってなかったから、わざわざフィリピンパブをオープンしようって野心家はいなかったわけです」。
<でも、長曽我部さんはオープンしちゃった>
「そう、そういう背景がわかっても、こちらはもう命がけで始めたわけですから、あとにはひけません」。
想定外。
ただし、ある意味、ブルーオーシャン。とはいえ、新たな文化をもち込むことは、難しい。
「どうすることもできなかったのが、逆に幸いしたのかもしれません」。
知恵を絞った。
<フィリピンパブは、たのしい、だけども>
「接待といっても、私もサラリーマンです。たのしく遊んで盛り上げっていても、やっぱりどこかで『今いくらだろう?』ってのが、頭をよぎるんです。だから、心からたのしめない(笑)。じゃぁ、そこを逆手に取って、1時間いくらと、時間制にしたらどうだろう、って。そういうアイデアが浮かぶんです」。
<明朗会計を謳うフィリピンパブ?>
「まさに、そうです。時間制を採用したのは、宮崎県ではいちばん早かったんじゃないかな。それに、お1人様なら5000円、2人だったら4000円、4人以上は3500円とか、人数制にしたんです」。
<お金が安くなるなら、仲間を誘っていきますよね?>
「そうです。それにプラスして、お店の女の子が飲むお酒はキャッシュにしました。女の子のお酒代って、けっこうな額になるケースもあるんですが、毎回、キャッシュなら財布の中身とちゃんと相談できるから安心でしょ」。
「お客さんの気持ちがわかる私だからできたこと」と長曽我部さん。閑古鳥が鳴いていたフィリピンパブは、盛況になり、「月商は2000万円を軽くクリアするようになった」という。むろん、ブルーオーシャン。競合もない。
<ウハウハだった時ですね?>と投げかけると、「そうそう」と長曽我部さんは豪快に笑う。
ちなみに、言わなくてもいいことだが、長曽我部さん、「結婚3回(数回)、子どもは合計12人」という。「長男、3男、4男、5男、6男、長女の婿は、今、うちの会社にいます」とのこと。別れても、つながっている。なんとなく、長曽我部さんの性格が表れている気がして、微笑んでしまった。
しかし、12人も育てるとなるとたいへんだ。
じつは、ビジネスもたいへんだった。
「2005年のことですね。入管法が改正されます。どういうことかというと、『興行』で在日資格を取得することが難しくなったんです」。
<つまり、外国人の女の子がはたらけなくなった?>
「そういうことです。実際、翌年の1月31日、女の子が全員護送車に乗せられて国に返されてしまいました」。
2度目の大ピンチ。オープン当初よりも、大ピンチであるのは明らか。
「ですよね。だって、女の子がいないとパブはオープンできません。ただ、ある意味、タイミングがいいと言いますか、当時、桝元の創業者が、うちの店に飲みにいらしていたんです。当時、10店舗くらいで、私も1店舗、経営させていただいていました。ただ、どうも上手くいっていなかった。私ももうフィリピンパブをつづけていくのができなかったので、その創業者さんと話し合って、桝元を買い取らせていただきました」。
<それが、始まりなんですね?>
「そうです。私にしたら、またまた大きな賭け。なんとかV字回復もできましたが」。
今の桝元を知ると、「なんとか」程度ではないことがわかる。危機をきっかけに、フィリピンパブの経営者は大変身をとげている。
当時の話を聞くと、必死だった長曽我部さんの様子が浮かび上がる。
「現在、直営、FC合わせて68店舗です。直営40、FC28です」。
ちなみに、FCといってもロイヤリティはないらしい。「食材費だけ頂戴しています」とのこと。これも戦略の一つだろう。フランチャイズが広がれば、「宮崎辛麺」の名も広がる。
狙い通り、今や、宮崎の辛麺といえば、全国区だ。ウィキペディアによれば、テレビ番組「秘密のケンミンSHOW」で知れ渡ったとなっているが、むろん、長曽我部さんの仕掛けがあってこそ。
しかし、ここまで大きくなると、今までとは異なる問題もでてくる。人材問題もその一つ。その点についてもうかがった。
「スタッフの採用・育成にはとりわけ注力しています。新卒採用はスタートして、もう15年になりますね。高卒から始めて、去年(2023年)から大卒が入り始めました。ヘッドハンティングの会社とも契約していて、そこから14人入社しましたが、殆ど辞めていません」。
そこが自慢と言いたげ。
長曽我部さんは、社員とのコミュニケーションを何より大事にしているという。「毎月2回程度、全国から社員を招いて、私を含め4人で食事をするのが、私の今のルーティンです」。スタッフを大事にするのはフィフィリピンパブで学んだこと。
しかし、今やアルバイトを含めると従業員数はグループ全体で600名を超えている。
「うちでは全員『さん』付です。パートさん、アルバイトさん、社員さん、これがデフォルト。上司でも、部下でも、○○さんです」。もちろん上席の皆さんは役職で呼ばれる事もありますが。これは、いい制度。「さん」をつけるだけで、親しみがわき、叱るにしても、心が籠る。
そういう文化を根付かせている。なんだか、長曽我部さんは、文化を生みだす達人のようだ。
ホームページのメニューページを開くと、「元祖辛麺」が登場する。もはや、宮崎以外の人間にもポピュラーになったビジュアル。長曽我部さんがPRに注力し「宮崎辛麺」をプロデュースしてきた結果である。
内ではスタッフを大事にし、外に向けては積極的なピーアールを行う。これが、長曽我部スタイル。
「株式の上場も一つの選択肢かなとは思っています」とのこと。
それにしても、足跡を振り返ると、益々、長曽我部という人が魅力的に思えてきた。
「宮崎辛麺」。
あの辛麺同様、深い、味のある社長である。
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