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第1082回 株式会社IFREA 代表取締役社長 曽根浩伸氏

update 25/02/04
株式会社IFREA
曽根浩伸氏
株式会社IFREA 代表取締役社長 曽根浩伸氏
生年月日 1991年7月9日
プロフィール アルバイトをきっかけに、大学在学中に飲食店事業を起業する。その一方で、経営コンサルティング事業にも注力し、高い評価を獲得。コロナ禍の下では、Uber Eats事業を開始し、一次代理店として「新規導入店舗獲得件数日本一位」を獲得している。
主な業態 「あそばれ」「KAMAKURA」「億万鳥者」「登牛門」「茶房 オクノシブヤ」
企業HP https://ifreagroup.co.jp/

エンジニア×事業家。

子どもの頃からプログラミングと格闘した。ロボット工学やAIに惹かれたのは、お祖父様の影響とか。
「祖父は、鉄器や陶器が主流だった頃に、プラスチックの将来性にいち早く目をつけ、電気炉など、プラスチックを加工する機械を大学などに納入していました」。
「祖父は事業と不動産で財を成します。私は、小さな頃から事業を継ぐことを刷り込まれていました。その一方で、ものづくりの遺伝子を引き継いだんでしょうね。小さな頃からゲームが大好きで、プログラミングを組むような少年でした」。
「家電が大好きだった」と笑う。ただ、話を聞いていると、エンジニアよりも事業家の遺伝子をより色濃く受け継いでいるように感じる。では、その話をもう少しつづけよう。

事業家、デビュー。

曽根さんは、1991年、千葉県の幕張に生まれている。2025年のインタービュー時で、33歳。先進的な研究に惹かれ、東京電機大学の未来科学部に進む。在学中に起業し、2015年、イフリアジャパンを設立している。
<事業に目覚めたのはいつ頃?>と聞くと、少し思案したあと、そういえば、「小学校の頃には、ともだちから不要なアイテムを集め、フリーマーケットで気づいたら売っていました。」と笑う。
「ただ、ある程度、ちゃんと、という意味では、高校の時ですね」。
<どんなビジネスだったんですか>
「ネットでの流通事業です。昔からゲームやパソコンが好きだったといいましたが、高校になっても、大好きなままで、その周辺の商品を中国から仕入れ、ヤフオクで販売していたんです」。
「あるとき、中国人から連絡があって、『中国からパソコンやゲームのアイテムを送るので、さばいてほしい』と」。
悪い話ではなかった。ただ、つぎつぎと段ボールが送られてくる。部屋中に段ボールが溢れ、庭にも山積みにされた。
「父親も母親もそりゃ、カンカンです(笑)」。
そりゃそうだろう。
「とくに母は、『やめなさい』の一点ばりです。でも、そう言いながら、届いた段ボールはちゃんと受け取ってくれていたんですが(笑)」。
曽根さんの部屋からは、1日中、パソコンのファンの羽音がした。曽根さんは、荷物と荷物の間で眠った。
ご両親が「やめなさい」と叱る気持ちもわからなくもない。ただ、曽根少年は、立派に事業家としてデビューを切ったことになる。

大学生が奔走。業績、V字回復す。

前述通り、大学に進んだ曽根さんは、高校時代のビジネスを進化させる一方で、大学1年時、今にもクローズする飲食店をV字回復させている。
実は曽根さん、高校生の時に飲食店でアルバイトをしていて、その時も社長賞を受賞している。
ちなみに、曽根さんは小学校時代から様々なコンクールに応募し、毎回、賞をかっさらっている。校内では、生徒会長などを務めるなど、リーダー的な存在でもあったそうだ。パソコンやゲームにハマったが、ただのオタクではない。
「これは、私の一つのターニングポイントです。たまたまアルバイトを始めたお店が、業績不振だったんです」。
新宿の雑居ビル。
上階には某大繁盛店があり、店から溢れる客もいた。
「それがわかっていましたから、溢れたお客様に声掛けして、満席の場合はうちに来てくださいと呼び込みをしていたのです」。
曽根さん曰く、戦略は、某繁盛店の徹底オマージュ。
「そんなに大きなお店ではなかったので、声掛けをすると30分で満席になります。そうなってから、店に入り、今度は食事しているお客様に声をかけます」。
再現する。
「お料理いかがですか?」「美味しいね。来てよかったよ」。
「でしょ。つぎも絶対、使ってくださいね。今日、オーナーが来て、もう潰れるっていってたんですよ」。
あっけらかんな、青年の声は耳に響く。連絡先を交換し、「新宿に来たら使ってくれ」と訴える。
「もちろん、タダでとはいっていません。ファーストドリンクと、最初の料理オーダーをサービスします。はい、前回、いらした時のオーダーを全部、記憶していますから。席に座ると、黙って、ドリンクと料理がでてきます」。
そりゃ、人気にもなる。もう一度、曽根さんの表現を借りれば、「バンバン来るようになった」とのこと。ついには、2時間待ちまでできるようになり、月商は1,000万円をオーバーする。
5倍強のV字だった。

社員たちに背中を押され、起業する。

「業績は絶好調だったんですが、本部が買収され、アルバイトはもちろん従業員さんも一部クビになってしまいます」。
従業員たちが、曽根さんに声をかける。
「曽根ちゃんについていくよ」。
1回りも、2回りも上の、キャリアも長い、昨日までの先輩からの人生を賭けたお願い。もちろん、その声をスルーできる曽根さんではなかった。
ホームページには、<『株式会社アクトグループ』より『株式会社あみやき亭』へ事業譲渡のタイミングで、大学在学期間中に独立を決意し開業>とある。
これが、すべての始まり。
ちなみに、曽根さんは、飲食にのみ傾倒したわけではない。ある意味、飲食店を材料に、自身の戦略を実験していたようにも映る。
「子どもの頃、体が小さかったんです。サッカーをやっていたんですが、どうしても体格で負けてしまう。じゃあ、どうすれば勝てるかと、抜け道を探してきたんで、抜け道的な、戦略作りに長けているんです」と笑う。
「それを、ビジネスでも応用します。もともと大学でロボット工学を専攻していましたので、情報で、当時まだだれも戦略化していない仕掛けをつくります」。
曽根さん、曰く、「地の利を生かしたマーケティング、YouTubeやTikTokでチャンネルをつくり集客する戦略」である。
誤解のないように付け加えておくと、曽根さんは、現在「あそばれ新宿東口店」「KAMAKURA新宿 かまくら個室ビストロ」「億万鳥者 新宿本殿」など。新宿を拠点に、渋谷・錦糸町・町田・藤枝(静岡県)に飲食店を展開している。
集客だけではない。料理も本格的。グルメサイトの評価はいずれも高得点を叩き出している。
戦略だけでは、こうはいかない。クオリティへのこだわりもハンパない証。さすが、すべてのコンクールに入賞する曽根さんらしい。

戦略家か、事業家か。

飲食店を経営する一方で、練り上げた戦略を横展開する。それが、飲食ともう一つの事業の柱であるコンサルティング事業。
「私の周りには、中国人の飲食経営者がたくさんいたんですね。彼らは、貪欲で何にでもトライします。スピードもはやい。それに、私も影響されています」。
無謀にトライするようにも映るが、そうではないらしい。「リスク管理も完璧だ」と曽根さん。
「彼らにしたら、私は使い勝手のいい人間です。広告や、情報戦略に長けています。しかも、彼らと深く付き合っていますから、中国人の思考で日本語を操る、貴重な存在だったのかもしれません」。
「彼は、中国人だから」と、なかば真剣に中国人の知人が、中国人に紹介したそうだ。
「日本にマッチしたコースの文面、写真のデザイン、流入の導線など、今度は日本人の習慣を知っている、中国人として、彼らにアドバイスしていきます」。
つぎつぎと、曽根さんの周りに実業家が集まってくる。その結果、飲食店経営と飲食店集客コンサルティングの二足の草鞋をはき、突っ走ることになる。
コロナ禍の下でも、戦略家の曽根さんは、下を向くどころか、もう一つの事業を驚くべきスピードで構築している。
「Uber Eats」事業は、その代表例。アウトバウンドコールセンターを設け、「Uber Eats」一次代理店として新規導入店舗獲得件数日本一位を獲得している。
それにしても、いかにも新世代の飲食経営者だ。手に職ではなく、戦略、マーケティングという言葉がよく似合う。
実際、ホームページには、<さらに不動産事業、人材派遣、人材紹介、インフルエンサーを活用したさまざまな業界のPR、映像作成やデザイン制作、撮影、芸能プロダクション事業など、毎日のように新規事業を設立>とある。
そういう意味では、戦略家という言葉ではなく、やはり、事業家という言葉がいちばんしっくりくる。
曽根さんのような若手経営者が描く、飲食の未来像は、単一的なアイデアではなく、多角的な戦略と手に職を追求してきた職人たちの技のコラボレーションでかたち作られるのかも知れない。
事業家、曽根浩伸が描く、未来の一つの姿でもある。

思い出のアルバム

 

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