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第1086回 株式会社ALL GRACE 代表取締役 羽染陽一朗氏

update 25/02/18
株式会社ALL GRACE
羽染陽一朗氏
株式会社ALL GRACE 代表取締役 羽染陽一朗氏
生年月日 1988年5月30日
プロフィール 東京都新宿区出身。大学卒業後に大手不動産企業を経て、日本酒・海鮮居酒屋を経営する先輩の会社に転職。そこで飲食店経営に関するノウハウを学んだ。2016年に独立、“日本酒を世界に広める”ミッションの成功に向け、日本酒専門店の拡大を目指す。
主な業態 「夢酒」「富士喜商店」
企業HP https://ltg-call.com/all-grace/

新宿生まれ・新宿育ちの野球少年。

東京都新宿区新宿5丁目は、新宿の総鎮守「花園神社」が鎮座する落ち着いた雰囲気の住宅街。羽染氏はその街で三代続く酒屋の長男として誕生した。
「母の実家は公務員で転勤が多かったようですが、父はずっと新宿ですね。ひいおじいちゃんの代に新宿で酒屋を始めて、今は父がやってます。僕は家業を継いでませんが、うちの実家(酒屋)に発注したり、仕入れで知り合った酒蔵さんに取次したりしています」。
日本最大規模の繁華街・歌舞伎町やゲイタウンが目と鼻の先に広がる猥雑な夜の世界。そんな環境とは対照的に、子供時代の羽染氏は清々しい丸刈り頭の野球少年だった。小学校時代はピッチャー兼ファーストを務め、中学進学と同時に神奈川県の某クラブチームに入団。しかし隣県のレベルがあまりに高く、早々に挫折感を味わった。
「もう試合を見ただけで、レベルの違いは一目瞭然でした。同級生でもプロ野球の一軍に入った人もいるくらいですしね。でも、たとえプロは無理でも甲子園くらいは出たいと思って、辞めずに頑張りました」。
自分でトレーニングメニューを考え、自宅から東京ドームまで毎日走り込むなど黙々と練習に励んだ。肩の痛みには悩まされたが、日々の努力が認められ中学卒業時には神奈川県4強に入る神奈川隼人高校からのオファーもあった。しかし実家を離れての寮生活が嫌で、いくつかの候補から専修大付属高校を選択。野球部では1年の夏にレギュラー入りしたものの、再び肩を痛めて2年の夏の試合を欠場した。「このまま無理をしたら、3年の春には出られなくなる」と考え大事を取っていた矢先、足の腫瘍が見つかり入院することになる。
「悔しかったですね。で、もう野球ができないのがつまらなくて、『病院へ行く』と嘘ついて学校にも行かなくなりました。授業も出てないし、テスト問題もまったくわからなくて、もういいやとふてくされて。追試もしてくれたのに、それも零点みたいな感じでした」。

悔しさと大切な人の死から学んだこと。

出席日数不足や成績不振がたたり内部進学こそ逃したものの、指定校推薦でなんとか大学に進んだ羽染氏。入学してもさしてやりたい事はなく、車の免許取得やアルバイトなどプライベート重視の学生生活を送っていた。そんなある日、彼のもとに訃報が届く。
「小学校の同級生のお父さんが野球チームの総監督で、その人に礼儀とか挨拶とか仲間が大事だとか、そんなことを教えてもらいました。でも僕が大学生の時に、病気で亡くなったんです。よく『人生には限りがある』なんていうけど、経験しなきゃわからないですよね。僕はその時に体験しました。だから『(本当にやりたい事があるなら)今すぐ行動しなければ』って。野球はダメだったけど、このまま悔しいだけの人生は嫌でした。高校時代に夢は破れた。でもそれが今につながってるって思うんです」。
野球が満足にできなかった悔しさ。人生に大切なことを教えてくれた人の死。そうした経験が羽染氏の独立心をかき立てていった。

新卒で不動産業、そして飲食の世界へ。

― そもそも飲食業を始めようと思ったきっかけは? ―
「実家の酒屋を継ごうと考えた時、これから個人の酒屋が生き残るにはどうしたらいいかって考えたんです」。
スーパーやコンビニに安価な酒が並ぶ今の時代、個人の酒屋は価格の面で負けてしまう。なら自分が日本酒メインの居酒屋を展開して、実家に発注すればどうだろう。実家には三代続く老舗店としての豊富な知識と経験がある。居酒屋なら新規顧客も開拓もできるし、若い人の嗜好もつかみやすい。それならどちらもWin-Winになるのではないか……と。
大学卒業後は大手不動産管理企業に入社し、独立のための貯蓄に着手。もともと「1つのことを2〜3年やったら、また違うことを1〜2年やる。その間に貯金して独立する」と考えていた羽染氏は、3年後に350万円を貯め予定通り退職し、海鮮と日本酒がメインの居酒屋を経営する高校・大学時代の先輩の会社に転職した。その会社はちょうど3店舗目をオープンしたばかりで、店舗に置く日本酒銘柄の選定を始め、新しいことにもどんどんチャレンジさせてくれたという。羽染氏は1年後を独立の目標に定め、仕入れから原価管理や採用など必要な知識をどんどん吸収していった。
「実はその会社に独立を持ちかけられて物件の契約までしたんですが、建物自体が消防法にひっかかってしまって。投資資金は全部返してもらったけど、結局自分で考えなきゃダメだなって思いましたね。でも独立については入社時に伝えてあったので、円満退職でした」。

開業1年半で売り上げ1.3億円!

2016年4月、新宿歌舞伎町2丁目に「夢酒 新宿本店」をオープン。全国47都道府県の日本酒がすべて勢ぞろいし、約100種類もの日本酒を安価で提供、グラスの種類も60ml、120ml、180mlと3種類あるので様々な銘柄を気軽に飲み比べしてもらおうというコンセプトの和食居酒屋だ。30坪50席(現在は56席)でテナントビルの2階。新宿駅からは少し離れた場所にあり、夜になるとホテルのネオンが通りを艶っぽく染める。知る人ぞ知るこの店は、開業からわずか1年半で1.3億円の売り上げを達成した。
― 日本酒に特化したのはなぜですか? ―
「前の会社で、『日本酒を飲みたいっていう層がいるんだな』って思ったんです。自分のこれまでの経験では『日本酒を飲みに行こうぜ』っていうのはあまりなかったんだけど、一定数いるんだって。あと競合もいなかったですしね」。
― 「夢酒」の勝因は? ―
「当時、『新宿×日本酒』でヒットする良い店がなかったこともあって、それでいつの間にか『新宿×日本酒=夢酒』がオススメとしてウェブに上がるようになって。あとうちはリピーター作りにこだわっているんで、それをコツコツと積み上げてきた結果って感じですね」。
チラシ配りやグルメサイトへの広告はもとより、友人・知人による紹介にも力を入れた。オープン当初の月商500万円のうち100〜150万円は彼らの来店によるもので、地元新宿における羽染氏の交友関係が奏功したといえよう。また路面店ではなく、ビルの2階(しかも2年間借り手がいなかった物件)を居抜きで安く借りるなど、初期投資や固定費を抑えたことも大きい。後にコロナで休業要請があった時も、これらの節約により「たとえ売り上げゼロが2年続いても生き延びられることがわかった」ため、落ち着いて次の手を打てたそうだ。
2018年1月に株式会社ALL GRACEを設立、その2か月後に「夢酒 新宿三丁目店」を出店した。「夢酒」で培ったデータと経験をもとに、満を持してオープンさせた「富士喜商店 代々木店」は、60種以上の日本酒が60分539円(税込み)で飲み放題の店だ。お通し代や料理2品オーダーなどいくつかのしばりはあるが、飲み放題なので普段は手が出ない高級銘柄も気兼ねなく楽しめる。日本酒ファンならワクワクが止まらないこのシステム、すぐにSNSで話題を呼び一気にブレイクした。
「『夢酒』で一人当たり何杯飲むかというデータを取っていたので、原価率は想定できていました。でも日本酒飲み放題にちょっといいお酒を入れてあげても、お客様にはなかなかお得感が伝わらない。ならもっとわかりやすい形にしようと、お通しをセルフにしたんです。『あそこで好きなだけ入れてください』ってすれば、お客様の満足感も高いし、スタッフの手間も削減できるので」。

日本酒文化を世界へ。

今後は「富士喜商店」を上野や秋葉原、品川、横浜あたりに出店していきたいという羽染氏。これらの店はFCではなく直営と考えているそうだ。
「東京だけで20〜30店舗はちょっときついかなって思ってるんですよ。かといって地方だとリピーターさんが利用しにくいし、スタッフを派遣できないし、自分も管理しにくい。ならいっそのこと海外でやりたいなと。日本酒の需要が伸びているアメリカや中国、台湾、韓国なんかでやってみたいですね。その時は僕が自分で行ってやろうかな」。
「5〜10年以内にできたらいいな」とほほ笑む羽染氏。その脳裏には、様々な日本酒に舌鼓を打つ異国の人々の笑顔が浮かんでいることだろう。“日本酒を世界に広める”ミッションを遂行するための戦いはこれからも続く。

思い出のアルバム

 

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