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第1088回 株式会社Visca 代表取締役 由利拓也氏

update 25/02/25
株式会社Visca
由利拓也氏
株式会社Visca 代表取締役 由利拓也氏
生年月日 1983年1月19日
プロフィール 京都府出身。目黒区の調理師専門学校を卒業後、フランス料理店に就職。3年後スペインに渡り、現地で本場の味を学んだ。帰国後スペイン料理店店長を経て、パエリアを作りながら日本を一周する旅に出る。2018年に独立、東京と福岡で5店舗を経営。
主な業態 「スペイン料理 Pablo」「囲炉裏バル カルボ」「カルボ渋谷店」「Carbo」「LA BRETXA」
企業HP https://www.instagram.com/pablo16131b/
https://www.instagram.com/carbo20191213/

料理人の気持ちがわかるオーナーに。

由利氏の故郷は“天女の羽衣伝説”で知られる京都市北部の小さな町。丹後ちりめん発祥の地といえば、その歴史と伝統の重みが感じられよう。しかし近くに大学はなく、地元の子供たちは高校卒業と同時に他府県の大学へと進学していく。
3人兄弟の末っ子だった由利氏は、大学生になった兄たちの姿を見て「大学で学ぶものなんて何もない」と進学を拒否。「お前はおじいちゃん子だから、福祉の道がいいのでは?」という両親のアドバイスに従い、大阪にある福祉関係の専門学校に入学した。しかし他者を介護する仕事は荷が重いと感じ、結局その道に進むことはなかった。
専門学校を卒業した後も、地元には戻らず京都市内のしゃぶしゃぶ店でアルバイトを始める。
「そこの店長というか、ほぼ社長みたいな人がすごく頭のいい方で。終業後はみんなでカードゲームや麻雀をしたり、スノーボードにも行きました。とにかくバイトが楽しくて、月30日くらい入ってた。飲食に進んだきっかけと言えば、このバイトですね」。
アルバイトは楽しかったが、その一方で「このまま京都にいてはダメになる。今の環境を変えたい」という想いもあった。フリーター生活が1年になろうかという2月、渋る両親を説得して今度は東京の調理師専門学校に進んだ。当初は経営を学ぶつもりだったが、講師に「経営は30歳からでも学べるから、とりあえず10年間は料理を学びなさい。料理人の気持ちがわかるオーナーになったほうが、後々絶対君のためになるから」と言われ、デザートもあるフレンチを選択。そこで料理の面白さに魅了されていった。

スペインで本場の味を学ぶ。

一つの料理を極めるより、世界の料理を広く学びたいと常々思っていた由利氏は、専門学校卒業後に3年間務めたフランス料理店を辞め、スペインを目指すことにした。必要部分を書き換えたスペイン語の履歴書を片手に単身渡西したものの、観光ビザで雇ってくれる店などなく、ビザが有効な3か月間を食べ歩きに充てることにした。ひと月ほど経ったところで「だいたいつかめた」と感じた由利氏は、出国前に紹介されていた日本料理店に連絡を取り、そこで残りの2か月間を過ごす。冗談を言い合うような同僚もでき、社長からは「就労ビザを出してやろうか」という言葉も貰ったが、由利氏はその申し出を断った。
「僕はこの店が好きだけど、やりたいのはスペイン料理だからここで働くのは違うと思うし、ビザだけもらってすぐ辞めるような、裏切るようなことはしたくない」。
そう答えた由利氏に、社長は「ちゃんとスペイン料理を学びなさい」と気持ちよく背中を押してくれた。その社長とは、今もいい関係が続いている。
日本に戻り学生ビザを取得した由利氏は、帰国からわずか3か月でスペインに戻り、バルセロナの語学学校に通うかたわら、ミシュラン一つ星の「ラサルテ」や「アルキミア」で研鑽を積んだ。人種差別でブチ切れることもあったが、ただ我慢するのではなく、がんがん言い返していたという。差別といってもその大半は悪気からではなく、無知や勘違いからくるものが多かったし、説明すればわかってもらえた。明るく大らかで屈託のないスペイン人や、彼らを育んだスペインという国が好きになっていった。
二度目のスペインで3年が過ぎたころだった。「あと1年だけ、自分が働きたい店で働こう」と思い立った由利氏は、ミシュランの三つ星に輝く「エルス・カサルス」の門を叩く。
「『給料はいらないから働かせてくれ』と言ったら、『いいよ』って。じゃあここを最後にして帰ろうと思いました」。

日本一周から独立へ。

日本への帰国を果たした由利氏に、前職のフランス料理店オーナーから「スペイン料理の店を出すからやらないか」と声がかかった。この社長とはあまりいい思い出がなく一度は断ったものの、店側の熱心なアプローチに加え、自分を表現する場が欲しかったこともあり、調理場からホールまですべて任せてもらうことを条件にオファーを受け入れることにした。
― すぐに独立しようとは思わなかったんですか? ―
「当時は独立願望ってそんなになかったんです。それにみんな簡単に独立って言うけど、やっぱり恐怖はありますよ。その一歩をなかなか踏み出せないってことはあると思います。彼のもとで一生働くわけじゃないし、なら今ここで働いてもいいかって」。
シェフ兼店長として采配を振るいつつ、「国際パエリアコンクール」日本大会に出場し2年連続で準優勝に輝いた。池尻大橋駅から徒歩10分、23席というこじんまりしたスペイン料理店はいつも予約でいっぱいだった。
「でもやっぱり社長とは合わなくてね。約束だった保険にも入れてくれないし、喧嘩別れしました」。
店を辞めた由利氏は、パエリア鍋と特注コンロ持参で日本一周の旅に出た。地方の民泊やカフェの庭先で、地元の食材を使ったパエリアをサーブして回る旅だ。地域活性化や地元発信に熱心なオーナーたちが、由利氏に快く場所を提供してくれた。店側が集客を受け持ってくれる点も都合がよかった。
「海外の人って、自分の国や故郷のことをよく知ってて、ちゃんと答えられるんですよ。でも僕は生まれ育った町の人口すら言えない。だから日本に帰ったら、あちこち行ってみようって思ってたんです。でも青森に行った後に和歌山とかって大変だし、だったら北から順番に回ればいいかなって。アポ取りは大変だったけど、やってよかったです」。
初めて口にするパエリアを、「美味しい、美味しい」と食べてくれる人々の姿を見るのは嬉しかった。1日1か所、料理を作ったらすぐ次の町へと移動する。そんな“ボヘミアン”スタイルを続け、最終的には57日間で52か所を回った。

一緒に働くスタッフがいてこその店づくり。

全国縦断の旅を終え東京に戻った由利氏のもとに、“中目黒で10坪ほどのスケルトン”という手ごろな物件の情報が舞い込んできた。親と銀行と公庫から1800万円を借り入れ、2018年4月にスペイン料理店「パブロ」をオープン。「国際パエリアコンクール2年連続準優勝」という経歴に、翌年の「日本タパス選手権優勝」という肩書きも加わり、オープン当初から大成功。坪月商70万円という数字を叩きだしている。その1年後には「囲炉裏バル カルボ」を学芸大学駅のすぐそばに開店、続く渋谷店、福岡店も順調で、2025年7月には恵比寿に「ラブレチャ」をオープンした。
これほどの順調さにもかかわらず、由利氏は「企業規模の拡大にはあまり興味がない」と話す。ただ会社を大きくするのではなく、「やりたい」という仲間がいたら、それに合わせて次の動きを考えるそうだ。
― 従業員が辞めない秘訣はなんですか? ―
「前職のように、『話が違う!』ってことはないようにしていますね。給料が欲しいのか休みが欲しいのかは、人によって違う。不平不満がでないよう、それぞれの希望にできるだけ応じるようにしています」。
例えば、独立心旺盛なスタッフには、一国一城の主といっても過言ではないくらいしっかりと店づくりを任せるという。給料という安心感がありながら、出来高次第でいくらでも上を目指せる。独立したのと変わらない環境だからこそ、リスクを冒してまで辞める必要がない。
一緒に働くスタッフありきの姿勢が、創業7年で独立1名・退職者わずか1名という素晴らしい結果につながっているのだ。

思い出のアルバム

 

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