麺JAPAN株式会社 代表取締役 坂田敦宏氏 | |
生年月日 | 1968年5月17日 |
プロフィール | 東京都東村山市出身。中学卒。21歳でハウスクリーニング業を起業。ビルメンテナンス業、リフォーム・人材派遣・業務請負・IT・芸能・コンサルティングと事業を拡大したが、40歳で倒産。43歳、今度は脳幹出血で倒れ、治療に専念。2年間のリハビリ生活を経たのち、「訪問看護事業」を立ち上げ社会復帰を果たす。その後、株式会社和僑ホールディングス代表取締役に就任。「新潟ラーメンなおじ」の事業譲渡を受け、社長を退任。麺JAPAN株式会社の代表取締役に就任する。SNSにも注力し、現在、総フォロワー10数万人。YouTubeの人気番組「事業再生版 令和の虎」にも出演している。 |
主な業態 | 「新潟ラーメンなおじ」 |
企業HP | https://men-japan.com/ |
「中学3年の時、日雇いのバイトで日給が3000円。悪くなかったから中学を卒業して、それを仕事にした」と、今回ご登場いただいた麺JAPANの代表、坂田 敦宏さん。
じつは、坂田さんには2020年、「飲食の戦士たち」にご登場いただいている。今回で2回目。以前の坂田さんがアップデートして、もどってきてくださった。そんな感じで話がスタートした。
「だから、中卒。こればっかりは何年経っても変わらないね(笑)」。
中学を卒業した坂田さんは、建設現場を転々とした。鳶職もしたし、塗装もした。基本は日雇いバイト。それでいて、21歳で起業しているからユニークだ。
<「成り上がり」ですよね?>
「そう。永ちゃんの本を読んでね」。
<きっかけはたしか、ダンプのなかの会話でしたね?>
親方がダンプのなかで言うんだよね。『坂田さぁ、学歴がない奴が金持ちになろうと思ったら独立しかないんだぜ』って。毎日のように聞かされていたから、刷り込まれちゃって。19歳の時に、今まで漫画本しか買ったことがなかったのに本屋に行って」。
「成り上がり」は、いうまでもなく、矢沢永吉氏のベストセラー。「独立しかない」×「成り上がり」。2つのワードが交錯する。
「20歳で起業しようと決意して、21歳でハウスクリーニングで独立します。バブルの時だったけど、あんまり儲からなかった(笑)」。
それでも、のちに法人化し、ビルメンテナンス業を中心にフランチャイズを展開。リフォームや人材派遣、業務請負、IT、芸能、コンサルティングと次々と事業を立ち上げ、11社のグループ会社を育てている。
<まさに「成り上がり」ですね?>
「21歳で起業して、30代前半までは、そうですね。たしかに、成り上がっていました。売上も、グループで20億円くらいあったからね」。ただ、不慮の事故をきっかけに30代後半から、舞台は暗転する。
その時の様子をもう一度、うかがった。
「40歳の時に倒産です。地元に戻ってタクシーの運転手を3ヵ月半しています。そして、43歳ですね。脳幹出血です」。
「幸い命は取りとめましたが、『半身不随は免れない』と言われました。当時あった仕事はすべてキャンセルして、2年間はリハビリに専念。ドクターから言語障害と半身不随といわれた絶望のなかで、看護師さんとリハビリの先生だけが『立てるようになれるかも』と励ましてくれたんです。それが、嬉しくて、力にもなって」。
今、坂田さんはYouTubeでも登場されているが、一般の人とまったくかわらない。「ここまで回復するのは珍しいです。以前にも言いましたが、NHKから取材も受け、珍しい症例としてテレビ出演しているんです」。
奇跡のような話は、それで終わらない。
<それからまた起業されますね?>
「リハビリが終わって、奇跡的な回復をするんですが、それは、支援してくださった看護師さんやリハビリの先生のおかげ。だから、そういう医療従事者の人に恩返しする事業を、と。もう一度、事業を開始します。今度は、リハビリをサポートしてくれた人たちに恩返しする事業です」。
2014年、坂田さんは「訪問看護ステーションリカバリー」を運営するRecovery International株式会社を設立する。訪問看護ステーション事業だ。坂田さん自身が、つい数ヵ月前まで利用者だったから訪問看護のニーズはだれよりわかっていた。
ちなみに、このRecovery Internationalは、2024年現在、東証に上場している。坂田さんは、当時、取締役会長職を経て、現在は株主という立場で事業を支援しているそうだ。
からだも、事業も、不死鳥のように蘇っている。
「そりゃ、つらかったよね。倒産でしょ。半身不随でしょ。天国から、真っ逆さまです。でもね。看護師さんとリハビリの先生の『立てるようになれるかも』って。あの一言のおかげで、からだはもちろん、事業まで復活することができました」。
「この数年で、性格も温厚になり、怒らなくなった」と笑っておられたのが印象的だった。その話をすると、「でも、実は温厚になったというより、怒ると血圧が上がるから注意しているだけ」と、笑った。
「からだが動くようになると、また忙しくなって。アパレルの会社を起業したり、様々な企業に出資したり、経営をサポートしたり。1時間ごとにミーティングのテーマが変わるんです。医療でしょ、アパレルでしょ、そして、飲食でしょ(笑)」。
常人離れした回復ぶりと、仕事ぶり。
<和僑はそのあとですね?>
「そう。創業者をサポートする立場で社長に就任します」。
<「なおじ」は、和僑のブランドの一つですよね>
「『なおじ』はもともと新潟のラーメンブランドだったんです。それを和僑が引き継ぎ、次に私が和僑から事業譲渡していただきます。麺JAPANも、もともとは私が出資していた会社で、『なおじ』のフランチャイズだったんです」。
<もともと麺JAPANに出資されていたってこと?>
「私は、筆頭株主です(笑)。現在は、麺JAPANを本部にして、直営6店舗、FC7店舗を運営しています」。
<坂田さんは現在、社長という立ち位置ですよね?>
「そうです。破産もしているので、なかなか社長になれなかったんです。だから、出資するほうにまわっていたんです。幸い、うまくいく事業も多く、ラーメン店でも、『なおじ』以外に、出資などして支援しているところがあって、けっこうな数にのぼります」。
<そういう意味では投資家ですね?>
「そうなんですが、やはり『もう一度、オーナー社長を』と思って、今はやっています。『なおじ』をすることになった動機はシンプルなんです。『なおじ』のラーメンが旨いから。それだけ。ただ、ただみなさんに知って欲しいんです」。
「ラーメンは一度、ブームが去ると、復活は難しいらしくて」と坂田さん。その難しいことを坂田さんは、やってのけた。
「『なおじ』も、じつは一時期ブームがあって、それが去った。言うなら終わったブランドでした。だから、復活は難しいと。でも、それを再生できたことで、私自身の飲食のプロデュース事業にもいい評価をいただけるようになりました」。
<メディアで発信するネタが尽きないですね?>
「いま、総フォロワーが10数万人いるんです」。
<え? 坂田さんの?>
「そうです。2021年からSNSをスタートして、バズることなく、地道にやってきた結果です。そのおかげで、私自身のブランド価値っていうのか、そういうのも少し評価も高くなって、『令和の虎』ってYouTube番組にも出させてもらいました」。
今や坂田さん自身が、一つのブランドになっている。事業家であるとともに、投資家でもある坂田さん。坂田さんに「再生を〜」「投資を〜」という人も少なくないのではないだろうか?
実際、あるラーメン店のリブランディングを仕掛けているそう。
「いろんな縁が重なってね。私自身の目標としては、4年後を目標に『なおじ』で国内100店舗体制をつくりたいですね。海外でも、台湾でオープンを予定しています。じつは、海外進出しているメーカーさんと組んでいるので、海外でのオープンでは圧倒的に有利です。すでに、フィリピン、タイ、アメリカ、フランスほかヨーロッパ、アメリカ、中国への進出を検討しています」。
これも、坂田さんなら簡単にやってしまうかもしれない。
「日本の麺文化を世界へ」が今のスローガン。ついに、「世界」というトビラをあけた格好である。
「日本のラーメンの潜在的なパワーはまだまだこんなもんじゃない。私はそう思っています。だから世界へも行きますし、国内でもたたかいます。ただ、単一ブランドで、っていのは難しいので、複数ブランドをもつことになると思っています」。
準備も万端、と言いたげだ。
YouTubeでも発信されている、坂田さんの復活劇はとにかく劇的だ。さて、奇跡の復活の、その先の先は、また、いつか坂田さんにご登場いただこう。
ところで、ダンプのなかで、坂田さんの背中を押した親方が、今の坂田さんをみれば、なんておっしゃるだろうか。「どうだった?よかっただろ。オレのアドバイスは!」と、おっしゃるかもしれない。
坂田さんの前に現れた、奇跡を起こす最初の神だったのかもしれない。
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