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第1093回 株式会社ミナト開発/株式会社モアナ 代表取締役 安田典弘氏

update 25/03/25
株式会社ミナト開発/株式会社モアナ
安田典弘氏
株式会社ミナト開発/株式会社モアナ 代表取締役 安田典弘氏
生年月日 1971年7月16日
プロフィール 小田原出身。33歳で建設会社を起業するも、コロナに感染したことから同社を売却。同じころ、女性アイドルグループ「ラストアイドル」のメンバーだった次女もコロナの影響でグループを卒業、昔から好きだった料理の道に進むことを決意する。父親として娘の夢を支えるかたわら自身も飲食業に参入、新たに株式会社モアナを起ち上げ、豚丼の店『もあちゃん食堂』でインバウンド需要を狙う。
主な業態 「安田食堂」「もあちゃん食堂」
企業HP https://www.instagram.com/yasuda_shokudo/

高校3年で350万円のスープラを乗り回す!

安田氏の父親は福島県出身。安田氏が生まれたころに妻の出身地である小田原へと移り、建設業に着手。個人事業主としてスタートし徐々に商売を拡大、下請けを使わず自らできる範囲で業務を受注した。事業規模はさほど大きくなかったものの、時代背景もあり仕事は順調だったという。マイホームを購入してからは朝から晩まで黙々と働き、ギャンブルや派手なことには一切手を出さなかった。そんな父の唯一の道楽は車で、車庫にはクラウンやジャガーが並んでいたそうだ。
安田家の次男として生まれた安田典弘氏は、地元で義務教育を終え、マンモス校として知られる相洋高校に入学。運動神経には自信があり、また部活が必修だったことからとりあえず野球部に入るが、2〜3か月で退部。その後は一転してアルバイトに精を出す日々を送る。レストランの厨房や旅館でのバイトに加え、週末には実家の仕事を手伝うこともあった。
車好きの父親に似たらしく、高校3年生の夏休み前に免許を取得。さっそく7年落ちの中古車を購入している。
「高校3年の暮れに就職が決まったんで、次は思い切って新車を買ったんです。スープラで、当時350万円くらいだったかな」。
− 就職が決まったとはいえ、そんな大金を返すあてはあったんですか? −
「就職先は、秦野にあるスタンレー電気でした。先輩に『工場勤務なら3交代で20〜25万になる』って言われて、僕もそれを希望してね。ところが、そういう話で入ったのになぜか定時(の部署)に配属されて、手取りは結局10万もなかったんですよ」。
「せめてガソリン代くらい」と週末には父親の仕事を手伝っていたが、勤務先から副業禁止を言い渡されてしまう。業務内容や給与に不満があった安田氏はスタンレー電気を退職し、そのまま父親の会社に就職。その後、高校時代からの彼女と結婚し3人の子宝に恵まれた。その末っ子が愛里さんだ。

33歳で独立するも、コロナを機に事業を手放す。

− 社長の人生に影響を与えた人物はいますか? −
「僕の父親と、あと同級生のお父さんですね。父はとにかく黙々と仕事をするタイプで、友達のお父さんは同業者だったんですが、結構派手に、手広く事業をされていました。同じ業種でもやり方が全く違うんですよ。その両方のいいところを見せてもらったっていうのは、良かったと思います」。
営業スタイルの異なる2人の経営者に触れるうち、父親との意見の違いが明確になってきた。父のことは尊敬しているし、喧嘩もしたくない。でもこのままでは衝突してしまう。
当時33歳だった安田氏は独立を決意。15年間勤めた父の会社を辞め、新たに建設会社を立ち上げた。同社はリーマンショックを乗り越え、最盛期には従業員20人超の規模に成長。小田原から東京に進出するなど、事業は順調に進んでいった。
しかし、2020年初頭以降のコロナ禍が安田氏を襲う。ワクチンの接種が始まるかどうかという矢先、新型コロナに感染してしまったのだ。
「肺炎を併発して、2週間ほど入院しました。結構重症で、エクモ(体外式膜型人工肺)の装着寸前までいったんです」。
一時は死を覚悟したという安田氏。一命は取り留めたものの肺機能の回復に時間を要し、後遺症にも悩まされた。いったんすべてを整理しようと部下に会社を譲渡したものの、旧知の取引先から再起を促され、建物の解体や造成工事、リフォームを手掛ける潟~ナト開発を設立。以前のような規模ではないが、これまでの経験と人脈を活かして業績は順調に推移している。

娘の夢を叶えてやりたい。

コロナ禍は、末娘の愛里さんにも大きな影響を及ぼした。ライブや撮影会の中止で活動が制限されたことから、所属グループ「ラストアイドル」は2020年5月末に解散。「学業に戻るか、留学するか……」芸能活動を終えた愛里さんは自分の進路について悩んでいた。
自宅にこもる生活の中で、今まで何気なく口にしてきた食に対する考え方が変わっていったという愛里さん。多忙で外食が多い父には、より健康的な料理を食べてもらいたい。母が収集した素晴らしい食器を活用したい……。愛里さんが出した結論は、「自分の店を持つこと」だった。もともと料理が好きで、自身のSNSに公開した手料理が評判だったことも背中を押した。
そんな娘の決意を全面的に支援したいと思うのが、親心というものだろう。仕事柄、物件探しやリフォームはお手のもの、地元小田原には絶品の干物やブランド豚の『和豚もちぶた』を扱う知人もいる。娘の目指す『身体に優しい料理』というコンセプトにピッタリではないか。安田氏はそう考えた。
そんな折、麻布十番駅から徒歩3分という好立地に新築物件が出た。10坪弱という広さは、娘が一人できりもりするのにちょうどいい。店のコンセプトや設計はすべて娘に任せ、安田氏は必要な部分だけ支援した。こうして2022年11月、母の味を前面に押し出す「安田食堂」がオープンした。
「料理はすべて娘が一人で作っていて、客回りは姪っ子が担当してくれています。え?姪ですか?あの子もかわいいですよ(笑)」。
これはもう食べに行くしかない。

株式会社モアナで、飲食業界に本格進出。

「愛里の店でも使っている『和豚もちぶた』の会社は、僕の知り合いなんですよ。その豚肉を使った店舗展開をと考え、株式会社モアナを設立しました」。
建設業から飲食分野への本格参入を決めた安田氏が選んだのは、調理人不要でオペレーションが容易な豚丼だ。この3月中旬にオープンするという店の名は『もあちゃん食堂』、第一号店は現在インバウンド需要急増中の浅草に開業する。元はバーだったというその物件はビルの2階で、4階はオーナーの住居。中古物件ということもあり、立地の割に家賃が控えめという好条件だ。こうした物件を“掘り出す”能力は、安田氏の本業(建設業)ならではの強みといえるだろう。
「実は今、目黒のクラフトビレッジ西小山で実験的な店を出してはいるんですよ。ここはスタッフ育成が主目的なので、大々的な宣伝は控えていますが。基本メニューは豚丼だけで、居酒屋風にはしません。今後はインバウンド客向けに展開していく予定です」。
安田氏にとって、飲食業と直接関わるのは高校時代のアルバイト以来だ。ほぼ未経験からの参入ではあるが、すでに信頼できる仕入先を確保し、好物件を探し出す力も秘めている。『もあちゃん食堂』が訪日客の人気を集め、浅草の新名所となることに期待したい。

思い出のアルバム

 

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