株式会社FTG Company 代表取締役社長 森川 誠氏 | |
生年月日 | 1983年8月6日 |
プロフィール | 学生時代に起業して、飲食店をオープン。だが、1000万円の借金つくることになる。1年で完済。「リベンジ」を誓う。飲食店の開業を支援する会社に就職し、その仕事を通し、27歳のとき、「大阪焼肉・ホルモン ふたご」の創業者である李兄弟に出会い、感銘を受ける。彼らの型破りな人間性に惹かれ、転職し、ハンドル役として、「ふたご」の成長に寄与する。2025年6月、李兄弟にかわり、社長に就任する。 |
主な業態 | 「大阪焼肉・ホルモン ふたご」「肉亭ふたご/肉割烹ふたご」「GREEN BROTHERS」「YAKINIKU FUTAGO 17th St.」「大阪餃子専門店よしこ」他 |
企業HP | https://ftg-company.com/ |
「もともとは三重県津市で生まれて、すぐに父親の転勤があって名古屋に移ります。だから、出身は名古屋って言っているんです」。
今回、ご登場いただいたのは、あの焼肉の名店「大阪焼肉・ホルモン ふたご」の創業者、李 純哲さんと李 純峯さんから社長に抜擢された森川さん。
李さんにもじつは、この「飲食の戦士たち」にご登場いただいている。李さんとの出会いは後にして、森川さんの話をつづけよう。
「3歳ちがいの兄が1人。兄は私とちがって堅実な人で、父は逆に仕事を転々とするようなタイプの人で、私は父似というか(笑)」。
小・中学校の頃はスポーツならなんでもできた。野球では花形ポジション。「でも、中学まで」と森川さん。高校の野球部には、野球とただしく向き合ってきた選手たちがいた。
「私はっていうと、練習しなくってもできたもんだから、ちゃんと野球に向き合ってこなかった。だから、ぜんぜん敵わなくて。1年の秋に辞めてしまいます」。
進学したのは、地元の公立高校。
愚問と思いつつ<勉強のほうはどうでした?>と聞くと、予想通り、「ぜんぜん」と笑う。そもそも、なにかに縛られるような人ではない。
「野球部を離れたことで、時間もできて、勉強もしないでしょ。だんだんグレていった」と森川さん。
ボクシングが流行っていた時で、少しだけジムにも通った。16歳から飲食店でアルバイトを開始。こちらは大学までつづけている。
進学したのは、愛知県で偏差値最下位クラスの某大学。「教師になりたかった」ということだった。
教師になりたいと思ったが、品行方正とはいかない。先輩に誘われ、夜のバイトもした。その店で知り合ったとある社長夫人といっしょに飲食店をオープンした。
「じつは、教師になりたいと、直談判までして入学させてもらった大学だったんですが、2年くらいからはもうぜんぜん行ってなかったですね(笑)」。
----仕事がいそがしかった?----
「そうなんですよね。いっしょに始めた社長夫人がオープンしてすぐいなくなって。私は、保証人にもなっていましたから。とはいっても、1年くらいで3店舗をオープンしたくらいですから、けっこういい感じで。ま、そういう感じにみせていたんですが。だんだんとボロがでて、支払いのサイクルが崩れちゃって」。
「結果、1000万円の借金ができてしまった」と笑う。<たいへんでしたね>というと、「そう、だからまた夜の世界にもどってね」と森川さんは苦笑する。
----借金はどうされたんですか?----
「それが、1年で、返済できて」。
----そいつは、すごいですね? たしかに大学どころじゃないですね----
「でしょ。もう、むちゃくちゃな大学生です。でも、いい経験にはなったし、飲食は楽しくて、あの時、もう一度、チャレンジしてやろうと誓ったんです」。
当時、森川さんは、プライドが高くナルシストだったという。だから、リベンジ。それ以外は頭になかった。
インターンの最中に、大学を辞め、ある会社に入社する。
「東京にでてきたのも、その時です。とにかく、飲食店をやろうと頭は、ぐるぐると、そればかりです。でも、一回、失敗しているでしょ。だから、お手本さがしのために開業支援の会社に就職するんです」。
森川さんは、開業支援のなかで不動産を専門に手がけることになる。営業成績は、創業のメンバー以外ではつねにトップだった。
その仕事を通じて、出会ったお手本の方々の話も聞いた。つぎつぎと有名店の社長の名が挙がる。そして、最後に李さんの名が挙がった。
「関西弁でね。とにかくパワーがあってね。ご存知のように李は、ふたごでしょ。でも、私は知らなかった。最初にお兄さんと名刺を交換して、しばらくして、また、名刺をだしてくるから、ちょっといかれてるんじゃないかって思うんですが、名刺をだしてくる李の向こうに、もう1人の李がいて。えーーーーって」。
ニコニコと名刺をだす李さんの向こうで、もう1人の李さんがおなじようにニコニコしていた。のちに最強のコンビとなる、李兄弟。
だがこのときはまだ、ただの関西弁のにいちゃん2人だった。
李さん兄弟は、兄が先に炭火焼肉トラジに就職する。23歳で入社。すぐに頭角を現し、店長、スーパーバイザーと駆け上がり、27歳でトラジの子会社代表に就任している。
その1年前に弟の李さんも入社。飲食の世界で、コンビ、結成となる。余談だが、李さん兄弟の実家には、トロフィーが山のように飾られている。
すべて、小学生時代のもの。兄弟はサッカーがうまく、大阪では、最強コンビとうたわれていた。兄の李さんの右足は、「1億円の右足」と言われたそう。「中学からブラジルへ」という育成計画も立てられていたそうだ。詳細は、やはり前回の飲食の戦士たちをご覧いただくことにしよう。
ともかく、話のつづき。
「私が李兄弟と出会ったのは、彼らが30歳で、私が27歳のときです。私は開業支援の一つとして、彼らに物件を紹介します。ただ、今だからいうんですが、もう少し安くしてあげればよかった。当時は彼らのことも知らず、やたらしゃべるのがうまい関西人くらいに思っていましたから」。
-----面白いだけじゃないですよね?-----
「ええ、もうはじめから彼らには度肝を抜かれます(笑)」。
「大阪焼肉・ホルモン ふたご」オープンの秘話。はじめて聞く話だ。
「とにかく、契約も済み、オープンもちかづいてきます。さて、どうなるかくらいにみていたんですが、オープンの前日だったかな、行ってみたらテーブルもなにもないんです。なんで?こっちの頭が真っ白です。李にどうしたんだ?っていうと、笑いながら、『お金がなくなってしもてん』っていうんです」。
お金がない。でも、テーブルがないと、オープンもできない。でも、お金がない。そうこうしていると、「李さんのお兄さんが茨城から冷蔵庫もってきて、どこからかベニヤを運んできて」と森川さん。
突貫工事で、その日のうちにテーブルと椅子ができた。「テーブルはもうぐらぐらです。これじゃ、あかんわ、と、オープン日にも顔をだすんですが。想像とは異なる別世界。喧騒と、雑然とした、それでいて、お客様すべてが笑っている、そんな世界が広がっていたんです」。
たまげた森川さんは、李兄弟に頭を下げる。「フランチャイズでいい。俺にもふたごをさせてくれ」と。
はみ出るカルビ、李兄弟の強烈なキャラ、鶴橋仕込みの焼肉。TVも放っておかなかった。森川さんは、すでに述べた通り、フランチャイズをさせてくれと入社している。だが、李兄弟のキャラが森川さんを魅了する。
「2010年5月、五反田にオープンします。これが創業店。翌年7月に中目黒。私はその年の11月にアルバイト入社して、3ヵ月後、新たにオープンした中目黒別館で店長を務めます。その頃ですね。TVでオンエアされて、それから年間10店舗のペースでオープンしていきます」。
-----まじかでみていて李兄弟はどんな存在ですか?-----
「そりゃ、あのキャラですからね。ケンカもします。昔から私もまじって口喧嘩なんてしょっちゅうです。でも、そういうのが、ふたりの、そして私のエネルギーになっていた気もします。彼らをみていると、天才とバカは紙一重って、ほんとそうだよなって思うんですよね(笑)。とにかく、まず行動ありきなんです。アメリカって口にしたなと思ったら、すぐにアメリカで店をオープンしますからね。どうでもいいことですが、今彼らは、年の半分はドバイで暮らしています(笑)」。
確かに行動力は、すごい。
「でも、それだけじゃないんです。テーブルの配置も数センチ単位で調整しますからね。とても繊細です。そのくせ経営には関心がないっていうか、兄は、いちおうブレーキももっていますが、弟はアクセルだけです」。
だからといって、身勝手な2人ではない。利他の精神もあるんだとか。想像しただけでユニークなタレント像が頭に浮かぶ。12年前に取材したときよりも、深く、李さんに接した気がした。彼らを友のように思う、森川さんから聞くからだろうか。
「2人をみているうちに、そのスケールの大きさや、その逆の繊細さに惹かれていくんです。とにかく、これでいいかって発想がない(笑)」。
「わくなんか、すぐにはみでる」と森川さん。じつは、森川さんも「はみでる」タイプ。
その森川さんは、どんな役割を担ってきたんだろう?
「2人がアクセルだとしたら、私はハンドルですね。だから、社長という立場になりましたが、役割は昔からそうかわってないんです(笑)」。
冒頭で抜擢と書いたが、じつは、森川さんのほうから社長就任を願いでたそう。そうすると、「せやんなぁ。森川のほうがええよなって」。
コロナ禍の下では、単月で、2億円の赤字を計上することなる。計画していた上場も、見送った。「でもね、マイナスばかりじゃないです。コロナでマスク不足だったでしょ。あのときね、アベノマスクより先にマスクを配ろうってことになって。会員さんがちょうど2万人いらしたんですが、2万人分のマスクを用意して、仕事のない新卒にメッセージを書いてもらって。『がんばれ、ニッポン!』とかね。それを全部、郵送したんです」。
これが、李兄弟と、森川さんのこころいき。ふつうなら赤字に目を向けるところだが、みる風景がちがっている。
「それでね。今度は、『ありがとう』って、多くのお客様がふたごを応援してくださったんです」。
このエピソードを聞いても、どこか、はみでている、気がした。でも、そこがいい。
森川さんは、学生時代のリベンジを果たしただけではなく、思いの外、高みにも登ることになる。今や100数十億円企業の社長だ。
責任も、重い。
お手本さがしのときを抜くと、社長になった今も、「他社の社長さんたちとは、案外、付き合いがない」という。「お酒が苦手で」と森川さん。李さんたちとも、「飯を食って、サウナに入って10時には解散」と笑う。
3人がならんでサウナで汗を流している様子を想像すると、どこか我慢比べをしているようで笑ってしまう。
こういう経営者がいる会社の従業員たちはきっと幸せだろう。森川さんは、従業員に目を注ぎつづけている。そして、ときにこうハッパをかけるんじゃないだろうか。「ちっちゃくなるな、はみでてみろ」と。
それが、自分たちの生き様だったと、彼らに諭すように。
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