株式会社ココロオドル 代表取締役社長 杉本健司氏 | |
生年月日 | 1983年8月11日 |
プロフィール | 高校中退後、カリスマ美容師に憧れ、美容師の道に進む。専門学校にも通いつつ技術向上に努めたが、無給がつづき、美容の世界が色褪せ、飲食業に方向転換。経験とスキルを積んだが、脇が甘く借金をつくることになる。借金返済には独立起業しかないと、のちに行列ができる「UMIバル」をオープンする。 |
主な業態 | 「UMIバル」「ATTACHMENT」「あなたに会いにゆきます。」「Ermitage」他 |
企業HP | https://kokoroodoru-inc.co.jp/ |
高校に数ヵ月通っただけで辞めている。
「当時は、さきのことは何一つイメージしていなかった」と、今回、ご登場いただいた株式会社ココロオドルの社長、杉本さん。
杉本さんは1983年8月、神奈川県の平塚で生まれている。
「中学からバスケットボールをはじめます。バスケというより漫画の世界にあこがれて。ワルい世界に憧れて、だんだんと目つきの悪い連中とつるむようになって」。
当時の平塚は「治安が悪かった」と杉本さん。ただ、高校を辞め、冷めた頭で未来をみようとすると、さすがに不安になった。
「悪くすればどこまで落ちていく気がして。さすがに、抵抗があった」と杉本さん。
「だから、つるんでいた仲間と距離を置こうと、美容室に就職したんです」。これが、杉本さん物語りの始まり。
「ぼくらの世代って、テレビドラマのビューティフルライフに影響されている人が多いんです。ぼくもその一人で(笑)。ファッションや音楽が好きだったところに、あのドラマでしょ。はたらくなら、美容師だって」。
はたらきながら、美容師の専門学校にも進んだ。
「何年か経って、当時勤めていた美容室の先輩に、代官山で美容室をオープンするからいっしょにやらないかって誘われたんです」。
<独立に誘われたのは、センスが認められたから?>と、質問すると、杉本さんは苦笑いする。
「イメージは頭のなかにあるんですが(笑)」。
まだ、ヘアスタイリストとは名乗れない。それでも、独立の舞台は代官山。心が踊った。
「でもね。競争がはげしかったからでしょうか。現実は甘くなかったです」。客が来ない。ハサミをにぎっても、髪を切ることができなかった。給料もでなかったそうだ。
当時の心境は、どうだったんだろう?
「そりゃ、困ったなとは思っていましたが、結婚していたわけじゃないし、それに資金をだしているわけでもなかったので。ただ、給料がないと生活できないでしょ。だから、ダブルワークしていいですか? って先輩に言ってみたんです」。
<答えは、もちろん、YESですよね?>
「そりゃ、だめと言えません(笑)。ただ、ぼくのほうも、真剣にやろうってわけじゃなく、給料がでるようになるまでと思っていたんで、軽い気分でバイトをはじめます」。
美容室が終わってからのダブルワーク。はじめたのは、飲食店でのアルバイトだった。
「で、はじめてみてわかったんですが、時給換算すると美容師と比べて、断然、飲食がいいです」と杉本さんは笑う。
しかも、いまは、無給。だんだんと美容師の世界が色褪せてみえた。
「お金がすべてじゃないですが、片や無給でしょ。こっちは、深夜バイトだったこともあって、断然いい」。
<それで、飲食ですか?>
「6年も美容師でしたから、そう単純じゃないですね。いま思うと、つづけるのもありだったかもしれません、ただ、当時のぼくは、さっき言いかけましたが、頭にイメージがあっても不器用だからうまく再現できなかったんです。だから、頭のどこかで、辞めどきかなって思っていたんです」。
「先輩に話をしてダブルワークを解消させてもらって、飲食のバイト1本に絞ります」。
若かったから体力は有り余っている。「深夜までバイトして、40万円」と杉本さん。
<美容師とは大違い?>
「ヘタをすると、ダブルスコアですね(笑)、仕事はともかく、お金を儲けるっていうのは、楽しかったですね」。
ただし、その日暮らし。カリスマ美容師という、一つだけあった目標はなくなった。
<お金はどうしました?>と、聞くと、「服が好きって言っていたと思うんですが、全力で買いまくりました」。
「服と酒」と杉本さん。トレンドには、敏感。アンテナが高い。インスタグラムで、好きなブランドを追いかけた。
のちに、この時の体験が、ある結果を生むのだが、それは、つぎの話。
「フリーター生活はだいたい2年です。メガネショップに勤めて、終止符を打ちます」。
<メガネショップ?>
「表参道にある、芸能人も贔屓にしているスタイリッシュなメガネショップです。アパレルもいいかなと思ったんですが、メガネってファッションのキーアイテムですから。それに、大好きなショップだったんです」。
お気に入りの服に、お気に入りのメガネ。杉本さんは、スタイリッシュなスタイルで表参道を歩いた。
ところが、ある日、上司ともめて、退職。高校と、おなじようなスピードだった。
「辞めたのはいいんですが、メガネを売掛で買っていたもんですから、そのぶん、給料からひかれます」。
残ったのはまともに生活できる金額じゃなかったそう。困り果てた杉本さんは実家に戻り、かつてアルバイトした飲食店に顔をだした。
美容師→飲食→メガネショップ→飲食。杉本さんの社会人歴を単純化するとこうなる。ところで、その飲食店、じつはレインズインターナショナルの直営店だった。
26歳のときである。
「特別、秀でたものは昔からなに一つありません。美容師だってテクニックがあったわけじゃないし、飲食でも、なにかが得意だったわけじゃない。ただ、変化に対応するのはうまかったんでしょうね。美容師のときも、飲食のときも、メガネショップのときだって、業種がちがっても売上だけは悪くなかったんです」。
むろん、レインズインターナショナルに入社してからも高い業績を残す。
「渋谷店で店長をしているとき、こういうのも縁なんでしょうね。コロワイドがレインズをM&Aするという話が流れだしたんです」。
<レインズインターナショナルが、コロワイドに>というのは飲食の世界で話題になった。
「渋谷の店長をしていましたが、レインズにも、コロワイドにも興味があったわけではありません。ただ、コロワイド化されていくと、ぼくとはちがう方向へ会社が進み始めるんです」。
「これもタイミング」と、杉本さん。そのとき、急成長中の飲食ベンチャーから声がかかった。
<転職回数でいうと、7回目?>
「それくらいになるかもしれませんね。ただ、そのベンチャーで仕事をしてしばらく経ったとき、美容師のときと同様、独立する先輩に誘われて、いっしょに飲食店をオープンします」。
先輩につぐ、ナンバー2だった。
<美容師のときと今回で、独立は2度目ですね?>
「そうですね。ただ、様子はちがいます。今回も、資金はだしていなかったんですが、名義を貸していたんです」。
<名義貸し?>
「独立っていうのは、むずかしいですね。今回も、業績が悪化。今回は名義を貸していたので1000万円以上の借金ができてしまうんです」。
「ロケーションに問題があった」と杉本さん。複数店舗をオープンしていただけに、赤字額も少なくなかった。
スタッフの給料が遅延する。
「家賃も未払でした。さすがにきついな、と。もう、自己破産するか、それとも、ぼくが経営者となって独立するか、です。経験上、独立してうまくいけば借金返済は可能です」。
ただ、開業資金はない。
「それで、ひとまず、ココロオドルの前身である『杉本フーズ』を設立して、ぼく名義だった西新宿の店舗を先輩から譲ってもらいます。というか、そもそもぼくの名義ですからね」。
「杉本フーズの事業目的は借金の返済」と杉本さん。
甘い誘いに乗ったことを悔やむような人ではないが、今回は、悩む時間もなかった。
<それで、『UMIバル』がスタートするんですね?>
「正確にいうと、UMIバルを継承したとなるんでしょうか?もともと先輩の下にいたときに、ぼくがオープンしたブランドだったんです」。
ロケーションが悪く、赤字ではなかったんですがトントンが精一杯。
「だから先輩も手放してくれたんでしょうが、その時点でスタッフの給料も未払でしたからマイナススタートです」。
「しかも、」と杉本さん。
「UMIバルは『牡蠣食べ放題』がメインだったんです」。
新生、UMIバルがスタートしたのは、春、3月。「牡蠣は、冬です。温度が上がると、業績は下降線を描きます」。
<ピンチですね?>
「ですよね。でも、つぎの冬を待っていられません」。
どうする? どうなる?
「問題をもう一つ挙げると、さっきもいった通り、西新宿といってもロケーションが悪かったんです」。
ブランドのパワーが落ちるタイミング。ロケーションは、依然、悪い。
「とにかく、ふたつの課題をクリアしないといけません。ただ、このふたつは別々のようで、クリアする方法は一つだったんです」。
「ロケーションは、そのままが前提です。だとしたら、なにかの方法で、お客様に知っていただかないといけません」。
「だから、マーケティングだった」と杉本さん。
「飲食でマーケティングと言ったら、食べログなどのグルメサイトを利用するのが一般的でした。ただ、影響力が落ちていたのも事実です」。
その一方で、飲食以外では、たとえば杉本さんが好きなファッションの世界では、インスタグラムやユーチューブをメディアに、登録者の多いインフルエンサーをもちいた、いわゆるインフルエンサー・マーケティングが主流となっていた。
「ぜんぶ独学」と、杉本さんはいう。人気店を分析し、人気のキーワードを紐解いていく。
前例が少ないだけに、成功するかはわからない。ただ、自身のファッションがインフルエンサーの影響を受けていたから、「これにかけてみよう」と。
杉本さんの頭のなかのイメージを単純化すると、以下になる。
ムービージェニックを意識した、牡蠣食べ放題にかわるメニューを開発する→インフルエンサーによって、拡散→感度が高い人たちが、来店すると同時に、今度は彼、彼女らが発信する→UMIバルがソーシャルの世界を駆け回る。
ムービージェニックな新たなメニュー。
「これが、できればふたつの課題は、この一つでクリアできる」。
ムービージェニックな料理。
「このとき、できたのが『チーズの大洪水シカゴピザ』です。チーズとピザと、『ピザの大洪水』」。
ネーミングがいい。流れでるチーズが、スマートフォンのカメラを占有する。そして、撮影されたムービーが、拡散されていく。
ホームページには<「どわ〜〜!」とあふれるチーズ!あっというまにチーズまみれ!あまりにも大量のチーズが流れ出てくるため、途中から笑いが止まらなくなります。これはテンション爆あがり!>とあった。
「インフルエンサーを招待して、マーケティングを開始したとたん、ぼくらのテンションも爆あがり!です(笑)。つぎつぎお客様がいらっしゃって、行列は地下から地上までつづきました」。
もともとUMIバルは、家賃50万円、月商500万円でトントンだったという。
<いくらになりましたか?>
「1200万円」と杉本さん。
お客様が、スマートフォンで撮影する。インスタグラムに上がった映像が、拡散されていく。「まるで、『サマーウォーズの世界』。いや今なら『竜とそばかすの姫』の世界ですね」。
ちなみに、「チーズの大洪水シカゴピザ」は、杉本さんのアイデアである。ファッション感度が高い杉本さんならではのアイデアでもある。美容師のときにうかがった話を思いだす。
「頭のなかにイメージはできあがるんです。でも、かたちにできない」。
杉本さんは、料理ができない。だが、今回は、イメージをかたちにする仲間がいた。
そればかりではない。突然、倍以上のお客様がきても、オペレーションに問題が起こらなかったのは、経験のあるスタッフが少なくなかったからだ。
むろん、そのスタッフたちは、杉本さんが給料の遅延から救うため、つれてきた部下たちだった。
「ぼくの借金返済はあと回しにして、スタッフの給料を遅延分も含めて支払います」。
スタッフから、歓声が上がる。とはいえ、まだ始まり。借金も、完済とはいかない。
「半年後に、今度は千葉にオープンします。新宿以外に千葉に店舗があったんで、街のこともわかっていたからです」。
「学生が多いから『チーズ』をキーコンテンツにすれば間違いない」。結果、家賃30万円で、初月から800万円のセールスを記録する。
<天狗にはならなかったんですか?>といじわるな質問をしてみた。
「ぼくの人生をみて、天狗になれると思いますか? それに、何より、借金返済中ですからね(笑)」。
そうだった。浮かれている場合じゃなかった。しかし、また、浮かれたように、すぐに新店をオープンする。
「浮かれはしませんでしたが、イノシシ生まれだから猪突猛進タイプなんです。とにかく、スタッフの給料がなんとかできたでしょ。だから、あとは、有り金はたいてスケールの拡大です」。
リスクがあるのはわかっていたが自信はあった。だから、アクセルをぐっと踏んだ。
ただ、アクセルを踏んだ先はコロナの世界だった。
分かれ道に立ったときには、「ココロオドル」ほうへ。そうは言わなかったが、杉本さんの人生は、そう語っている。
「3店舗目をオープンして、すぐコロナですからね。そりゃ、どうすんだ? ってタイミングですね」。
ただ、杉本さんは、立ち止まらない。
「幸いにして、損益分岐点くらいまでなら、ランチと、20時までの時短営業でカバーできました」。
しばらくすると、支援金も入り、融資を受けることもできた。
「立ち止まっていても、心は踊らないでしょ。だから、融資を受けたタイミングで、セントラルキッチンを買い取ってチーズケーキをつくります」。
オンラインショップをオープンすると好評で「500万円をセールスした」という。
<それだけじゃないですよね?>というと、杉本さんは頷く。
あらかじめホームページをみていたから、確認のための質問だった。
<2019年が始まりですよね>。
杉本さんといっしょに確認する。
2019年に、すでに述べた通り、新宿と千葉にオープン。年が明け、2020年に3号店をオープン。ただし、このあとすぐにコロナ禍となる。しかし、その年だけで、あと2店舗をオープンしている。
<2021年から2023年にかけても、15店舗オープンされていますね>
「店舗数でいうとそうなります。2024年に6店舗、今年2025年にすでに3店舗をオープンして、年内にあと4店舗オープンする予定です」。
コロナ禍で、オープンを重ねることができたのは、これも、タイミング。コロナ禍が逆に幸いしたことになる。
コロナがあけると、全店がいきおいづく。
「最初は、とにかく家賃が低いところを狙っていましたが、今は、ロケーションのいい物件も取得できるようになりました。コストかけ、スケルトンから、というのも」。
<イメージを再現されているんですね?>
「そうです。スタッフたちも、わくわくしてくれているんじゃないかな」。
設立から6年半。
それでいて、年商は「今期は30億円くらい」という。まず、愛知、つぎは大阪と戦略も描いている。
かつての、美容師志望の少年の面影はない。目標もハッキリとみえている。だが一つだけ、当時と同じ、ものがある。
迷ったら、ココロオドルほうへ。それが、杉本さんの生き様。
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