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第1111回 株式会社WAS 代表取締役 宇野優司氏

update 25/08/12
株式会社WAS
宇野優司氏
株式会社WAS 代表取締役 宇野優司氏
生年月日 1992年1月9日
プロフィール 大学で管理栄養士の道を進み、食と起業に惹かれ、食のベンチャー企業「Globridge」へ。オーストラリアで事業の立ち上げを経験したのち、世界的なIT企業の営業マンへ転身。その後、コロナ禍の下、日本の伝統とカルチャーを世界へ発信するため、株式会社WASを設立する。
主な業態 「O’denbar うまみ」
企業HP https://was-12.jimdosite.com/

大学進学までの、勘違いと気付きと。

「大きな勘違いだった」と笑うのは、今回、ご登場いただいた株式会社WASの代表取締役、宇野 優司さん。
「小学校って、学年順位も公表されないでしょ。私の通信簿はオールAだったし、スポーツでも、それ以外でも目立っていたから天才くらいに思っていて、将来は東大だと(笑)」。
宇野さんは1992年1月に静岡県の沼津市に生まれている。なんでも「沼津生まれ、裾野育ち」なんだそう。お父様は大手企業勤務のサラリーマン。ゴルフにもいそがしかったが、食べるのがお好きだったんだろう。土・日には家族を連れて外食を楽しんだ。
宇野さんが飲食に進む、背景の一つだという。
中学に上がった宇野さんは冒頭の話通り、大きな勘違いに気づくことになる。
「中学になると学年ごとに順位がでるんです。私は内心、将来、東大生だと思っていましたから、当然、1位だろうと。でも、結果は12位だったんです」。
愕然とした。
「でも、この時にはまだ、私にはサッカーがあったんです」。
12位でも凡人からすれば悪くはないが、宇野さんはあっさり東大の道は忘れ、今度は小学生時代トッププレイヤーだったサッカーにのめり込む。
「そんなにつよい学校でもなかったんです。だから、私がトップスターで、みんなをひっぱっていました」。
これも、勘違い。ただしくいうと、井の中の蛙。
「高校に進むと、サッカーもけっしてトップじゃないことに気づきます」。
<上には、上がいる?>
「そうですね。スポーツもそうですが、勉強が得意なやつもたくさんいましたし、サッカーも巧いやつがたくさんいて、レギュラーでもなかったです」。
ただ、サッカーで汗を流したことは無駄じゃなかった。
「サッカーを通し、食がスポーツのパフォーマンスに影響することを知って、それで『食』の世界に進むことに決めたんです」。
大学では「管理栄養士」の資格が取得可能な学部を専攻。勉強のためだといって、ドイツ・フランスにも渡っている。もちろん、無事、「栄養士」の資格を取得。これが、今の強みの一つとなっている。

Globridge入社と代表の大塚誠さんとの出会い。

宇野さんは大学時代を、「濃厚で、貴重な4年間だった」と表現する。
「じつは、サッカーを引退してからの半年間、初めて猛勉強したんです」。
なんでも1日10時間が日課だったそう。
「それでも、国公立は落ちちゃったんですが、勉強がふつうになり、勉強する体力がついたと思うんです。だから、大学に進んでも勉強が苦にならず、わりと勉強熱心な学生だったと思います」。
アルバイトでも、学んだ。
「バイト先は4年間おなじで、フレンチ出身のオーナーから、食のイロハ、料理の哲学を教えていただきました」。
  たぶん、新鮮だったのだろう。栄養学と料理を真摯に学んだ。
当時の話を聞くと、少しずつ、今の宇野さんがリアルなカタチになっていく。
「大学では、8割が女子ということもあって、例えばバーベキューをしようとなったら私に声がかかるんです」。
みんなのリーダー。今度は、勘違いではなかった。ちなみに、現在、WASの副社長は大学時代の友人、スタッフには、当時の後輩が5人いる。
「大学時代に飲食を経営するノウハウまですべて頭に刻みこんだと思っていました。これも、勘違いといえば勘違いだったんですが」。
宇野さんは、起業をめざす学生たちに人気の、先進的な飲食企業「株式会社Globridge」に就職する。(Globridgeについては、コチラを御覧ください。)
当時、採用に注力していたGlobridgeには、新卒50人が入社する。起業家をめざす、野心のある学生たちだ。
そのなかでも、当然、トップランナーをめざして走り出した宇野さんだったが、ふたたび挫折を経験する。
「成績は配属に左右されますし、いくらでも言い訳はできるんです。実際、分析もできています。ただ、楽勝だと思っていたのにトップじゃないことに愕然としました」。
宇野さんはそういうが、トップか、トップではないことにどれだけのちがいがあるのだろう。宇野さんは飲食に進んだ最終的な理由を、「私の生活の横にはつねに食があったから」と言っている。
栄養士の資格を取り、食品加工系の研究室では、素材から缶詰をつくる研究もしてきた。深い知識をもとめ、大金をはたいてドイツ・フランスに渡り、学んでいる。
もとフレンチのオーナーから教わったことも、トップになることではなかったはずだ。それでも「トップを取れなかった」と悔しがる宇野さんは、狙わなくても、トップを穫れるくらいに思い込んでいたのかもしれない。
それとも、宇野さんがいうトップとは、比較対象として位置づけられるトップではなく、登るべき山の頂きのようなものなのだろうか。
ともあれ、悔しがる宇野さんを評価した人がいた。 Globridgeの代表である大塚誠さんだ。

Globrideの5年間と、世界のDELLと。

<Globrideには、合計何年いらしたんですか?>
「5年です。最初の3年間は正直、消化不良でしたが、4年目からオーストラリアの新事業にタッチさせていただき、状況がいっぺん」。
異国での事業の立ち上げ。
宇野さんともいっしょにオーストラリアに渡り、現在、オーストラリアでも事業を行っている、現「株式会社REBEL」の代表取締役、堀場健太さんにも、この飲食の戦士たちにご登場いただいている。
「5年目、堀場さんは、そのまま向こうに残りますが、私は帰国し、今度は、大塚さんの下で新事業にかかわります」。
すべてが勉強だった。
「私の人生のなかで、大塚さんとの出会いはやはり大きい。 もちろん、1年ですが異国での経験もいい勉強になりました」。
「オーストラリア人は、はたらかない!」と、宇野さん。「でもね、ビジネスはちゃんとまわっているんです」と笑う。
国民性の違いだけで片付けてはいけないが、スタッフも、お客さんもただひたすら楽天的で、明るかった。
「日本じゃ、とくに飲食は、24時間365日はたらくという印象があるでしょ。それが、全然違った。でも、そのなかでも、私たちは日本の飲食人の代表選手のように、24時間365日はたらいていました。そのギャップのおかげで、私のなかに芯のようなものができた気がします」。
5年のうち、最初の3年は、凹みつづけた3年。その後の2年は、「思ってもいなかった世界へ、代表の大塚さんが連れて行ってくれた」という。
「辞めるときも大塚さんと食事をして、叱られるんじゃなく、逆に激励していただいて」。
起業家を育てるという大塚さんにとっても、望むところだろう。ただし、宇野さんは起業に走らず、転職する。その先がユニークだ。
世界のDELLである。

異文化での挫折と、起業。

「当時はまだ、飲食で起業しようとは思っていなかったんです。ただ、BtoBの経験がなかったもんですから、そのピースを埋めようと。それに、今からは何をするにしてもITを知らないといけないと思って」。
「食がつねに私の隣にあったので飲食で、今仕事をしていると言いましたが、ビジョンは、日本の文化を世界へ発信すること。これが、テーマです」。
<だから、世界のDELLだったんですね?>
「そうです。内定いただいたなかで、いちばんスケールも大きかったこともあって」。
<このあと起業ですね? これは既定路線ですか?>
「もともとは30歳までDELLで勉強するつもりだったんですが」と宇野さんは苦笑する。
「私にとっては、DELLもまた異文化だったんです。まわりとの歯車が噛み合うことがなく。不本意でしたが28歳で退職します。そのあと、じつはアメリカの企業からオファーを受け、海を渡る予定だったんですが、コロナ禍となり、アメリカ行きが実質上、不可能になりました。これが、今、飲食の世界にいる直接的な理由です」。
<どういうことだろう?>
「アメリカ行きを断念しなければいけなくなって、どうしようかと迷っているときに、オーストラリア時代の上司、現在はREBEL社長の堀場さんにオファーをいただいたんです」。
<それが、飲食だったんですか?>
「そうです。堀場さんとREBELの日本国内事業の立ち上げを、3か月(2020年の4〜6月)取り組みました。コロナでの緊急事態宣言下のバーチャルレストラン事業でした。そして、私自身、起業の思いがあったので、同じくコロナ禍の下でしたが、2020年の10月14日に株式会社WASを設立します」。
ホームページで宇野さんはつぎのように、創業の背景を語っている。
<株式会社WASは、“温故知新”の理念のもと「日本の伝統を世界に発信し、未来へ感応させる。」という想いで創業しました。>
その日本の伝統とは、「UMAMI」である。

おでんを食べる幸せは、世界共通。

<なぜ、おでん?>
話が進むなかで、気になっていたことを、直さいに言葉にしてみた。
「さきほど、飲食に絞っていないということを言いましたが、オーストラリアではたらき、また世界的な企業でもはたらき、改めて、はたらき方を含め、飲食にこそ私が世界へ発信できる、日本の伝統や文化が凝縮されていることに気づくんです」。
栄養士の宇野さんがいうだけに重みがある。
「つまり私が行き着いたのは、日本のだし文化です。なかでも、『おでん』という分野はブルーオーシャンだったんです」。
だしと旬の食材が織りなす、複雑な『うまみ』の世界。「しかも、オペレーションが簡単です」と宇野さん。
ブランド名は、<おでんと酒の「O’denbar うまみ」>。宇野さんがブルーオーシャンという、地平線に投入する、日本の伝統とカルチャーのコンビネーションブランドだ。
宇野さんはホームページで以下のように語っている。
「O'denbar うまみでは、四季折々、旬の素材を活かした“たね”、昆布と鰹節から生まれる洗練された“だし”、全国各地の職人が造る“さけ”が織り成す、 日本文化の粋を凝縮した、ささやかな、しかし極上の「至福のひととき」を皆様へ提供します」。
おでんがメインなのは当然だが、「おでん屋さんの豚角煮」「漬けサバ〜名前はまだない〜」「マダイ麹漬け」(こちらは期間限定)「うまみ流ポテトサラダ」など、だしを活かしたメニューがならぶ。
じつは、「O’denbar うまみ」では、合計6ブランドで、宅配を行っている、だしをベースにしたカレーやうどんなどのブランドがあるそうだ。
最後に今のビジョンもうかがった。
「世界一のおでんや」。
明確に一言。
そして、「15年間で世界一のブランドを作ろうと思っています。じゃぁ、世界一ってなに? ってなると、一つの基準にすべき数字がグローバルに1000店舗だろうということで、今、単一ブランドで世界1000店舗を目標にしています」。
登るべき頂きは高い。
ケンタッキーはフライドチキン、マクドナルドはハンバーガー、サブウエイはサンドウィッチ、ドーナツならダンキンドーナツ。
日本からは、まだ、世界的な知名度をもつ単一ブランドは生まれていない。「UMAMI」は、今や世界的な食のキーワード。「おでん」が、世界へと旅立つ環境は整っている。
だしをたっぷり含んだ大根、たまご、はんぺん、厚揚げ、ちくわ、すじ、こんにゃく、餅きんちゃく、かわりだねならトマトやウインナー。
それらを箸でつまみつつ、いっしょに冷酒をいただく。
いずれ、それは、世界の至るところで、至福のひと時を生むだろう。

思い出のアルバム

 

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