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第139回 株式会社絶好調 代表取締役 吉田将紀氏
update 10/06/22
株式会社絶好調
吉田将紀氏
株式会社絶好調 代表取締役 吉田将紀氏
生年月日 1976年6月19日、茨城県の下妻市に生まれる。
プロフィール 姉2人の末っ子で長男。父親は一般的なサラリーマンだった。小学生の時に観たTVドラマ「スクールウォーズ」の影響を受け、「教師」をめざし、日本体育大学に入学。だが、在学中に始めた飲食業のアルバイトで、方向転換。「飲食」を志すようになる。卒業後、「株式会社ダイナック」に入社。経験を積み、「有限会社てっぺん」の創業メンバーに加わったのち、31歳に「絶好調てっぺん」を独立開業。「理念経営」を打ち出し、日本一をめざす強力な組織を作りあげる。現在、4店舗展開。その一方で、飲食店を中心にした多数の企業から講演依頼を受けて、業種や企業に合わせた講演やセミナーを行っている。
主な業態 「絶好調てっぺん」「炙縁」「渋谷ワヰン酒場」
企業HP http://www.z-no1.jp/

ガキ大将が一転、ナイーブな少年に。

1976年6月19日茨城県の下妻市に生まれる。3人兄弟の末っ子で、姉2人の長男である。小学生の頃はガキ大将で、勉学も運動もスポーツも得意な少年だった。父は一般的なサラリーマンで、単身赴任も多かったという。家には母と姉2人。女性たちに囲まれ、吉田は育っていく。父の勧めで、小学生時代にはリトルリーグに所属。吉田はピッチャーを務めていたという。ところで、下妻といえば2004年に映画化された下妻物語で有名だ。吉田は高校時代までこの街で過ごしている。中学生になった吉田は、ガキ大将から一転、大人しく、ナイーブな一面をみせるようになる。女の子とも意識するあまり普通にしゃべることができなくなってしまう。思春期の心がゆれる。中学時代まで野球を続けたが、レギュラーからは外れた。もともと野球好きの父に勧められ、始めた野球。レギュラーを外されても特に悔しくはなかった。

教師をめざし、「日本体育大学」に進路を絞る。

吉田に一つの意志が芽生えるのは高校に入ってすぐ。学生時代に観た人気のテレビドラマ「スクールウォーズ」に触発され、主人公のような教師になろうという思いを抱くのだ。それが吉田の進路を決定付けたといっていい。1年生の段階で、早くも日本体育大学に標準を絞っている。一方、高校ではテニスクラブに所属。メキメキと頭角を現していく。この時、吉田は、両親にテニスの熱心な学校への転校を願い出ている。「たいていのことは自由にさせてくれたんですが、こればっかりは許してもらえませんでした」と吉田。さすがにテニスのために、高校を移ることはありえないだろう。しかし。当時の思いつめた様子が伺える。練習一つするにしても周りの連中との温度差を感じたに違いない。吉田の純粋な性格が伺えるエピソードだ。思い通り日本体育大学に入学した吉田は、今度はスキーサークルに入部する。だが、もともと体育大学に進学してくる連中だ。運動神経は、飛びぬけている。子どもの頃からスキーをやっている連中が多く「これはかなわない」と1年で退部した。

飲食業との出会い。教師を超えた存在をめざす。

クラブを退部した吉田は、アルバイトを始める。個人経営の鮨屋だった。その店の大将と出会うことで、一つの転機が訪れる。「親方は『厳しくも、あたたかい』という言葉がぴったりの人でした。叱られもしましたが、誉めてもらえることも多く、それが嬉しくて。はたらくことの意味やたのしさを教えてくれたのもこの店の親方です」。何より、この親方と出会ったことで、吉田は「教師」にならずとも、「人にものを教える道」があることを知る。教壇の上からではなく、同じ立ち位置で肩をならべ、共に一喜一憂することで、教育の濃度が増すことも覚えた。「お客様を喜ばせる」という共有の目標があればなおさらだ。教師よりも、むしろ教育者でいられるのではないか、と吉田は飲食に惹かれ始める。ところで、飲食店の経営者にはいろいろな出目があり、飲食業に惹かれていく過程もまた千差万別だ。だが、興味を抱くきっかけだけを辿れば、大差ない。そのようななか、「教育」という観点から興味を抱き始めた、吉田のような例はきわめてめずらしいケースといえるだろう。大学2年、教師になるはずだった吉田は、教師ではなく、飲食の道に進むことを決断した。父は「自分の人生だから自分で決めろ」と言ってくれたそうである。

「1」が並んだ。「てっぺん絶好調」、オープン。

大学卒業後、吉田はいよいよ本格的に、飲食の道へ入る。株式会社ダイナックへの入社である。入社2年後の24歳にして店長に就任。200席のダイニングバーを大繁盛店へと導いた。このダイナックで吉田は、大組織のあり方を始め、大型店舗を運営するノウハウを学んだ。それから3年、27歳の時には「『有限会社てっぺん』の創業に参加し、『てっぺん自由が丘』店長に抜擢される。以降、初代『てっぺん総店長』を務め、新店舗の立ち上げや社員採用、店長育成を任されるなど、社長、大嶋啓介氏の右腕として活躍。その後、31歳の時に新宿に「絶好調てっぺん」を独立開業する。日本一になるとの思いを込め「1」がならぶ11月11日11時11分11秒にオープン! 店内はスタッフと招待客で盛り上がり、絶好調最初の、夜が更けていく。この時、吉田はどのような思いに捉われていたのだろうか。理念として掲げた「夢とありがとう」を届ける日本一の企業、日本一に向かって第一歩が記された時でもある。ちなみに、この店舗は、初年度から年商8500万円、経常利益1200万円を叩き出す繁盛店になっていった。

「夢とありがとう」の溢れるお店づくり。これが理念だ。

この後、「絶好調」は、その名の通り、快調に業績をのばし、多店舗展開も始めていくのだが、その後については、みなさんも良くご存知かも知れない。吉田は「理念」を経営の根幹に据える。簡単にいえば「理念」にこだわることである。その理念とは? ホームページから引用してみよう。<私たちは、「夢とありがとう」の溢れるお店づくりを目指しています。より多くのお客様に元気になってもらいたいという思いがあります。そして、この理念に共感してくれるたくさんの仲間がほしいと思っています>。その理念に続き、ビジョンも明確に打ち出している。<2010年、売上10億円を目指しています。飲食事業を柱として、居酒屋・ダイニングバー・レストラン・カフェなどのさまざまな業態を造っていき、海外出店も予定しています。今後は飲食事業以外にも、宿泊事業、ブライダル事業、教育研修事業、業務委託事業、コンサルタント事業、独立支援事業、農業なども行いたいと考えています。なぜ多くの事業展開をしていきたいかというと、たくさんの笑顔が見たいからです。自己実現し、幸せになっていってもらいたいのです>。

「理念経営」を確立。感謝の2文字が「絶好調」の原動力。

飲食店には、さまざまなタイプのお店がある。カタチやスタイルだけではない。素材にこだわるという店もあれば、値段にこだわる店もある。エンターティナー的な空間をつくりお客様に驚きや感動を与える店もあるだろう。経営者によってこだわる部分はたしかに違う。違うからこそ、消費者の我々は、店をチョイスする楽しさを味わうことができるのだ。だが、「絶好調」のように「理念」にこだわる会社は、あまり聞いたことがない。とはいえ、吉田同様、「理念の大事さ」を痛感する人は少ないないだろう。吉田はホームページのビデオで次のように語っている。「夢が持てないのが悪いことではない。夢を追いかけている人を応援できないことがいけないんだ」と。この言葉に吉田の思いが凝縮されているように思えてならない。自分だけではなく、お客様はもちろん社員一人一人にまで感謝し、その人が描く夢を応援する。それが吉田という男である。教師というには、元気すぎるきらいもあるが、社員、アルバイトを問わずスタッフ全員が吉田の薫風を受け、吉田に惹かれている。新店がオープンするときには、取引関連だけではなく、スタッフの親御さんたちも集う。いまここにいるのは、誰のおかげか。吉田は、両親はもちろんのこと、いままで出会った多くの人たちに頭を下げ、感謝すると共に、スタッフたちを産み、育んでくれた人たちへも、同じように感謝の気持ちを持っている。「ありがとう」は人の心を動かし、そして「夢」に続いていく。

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