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第140回 有限会社アズザクロウフライ 代表取締役 小林信秀氏
update 10/06/22
有限会社アズザクロウフライ
小林信秀氏
有限会社アズザクロウフライ 代表取締役 小林信秀氏
生年月日 1974年12月19日生まれ。
プロフィール 射手座のB型。吉祥寺の繁華街を遊び場所に育つ。某大学付属の私立高校に進学するが、3ヵ月で退学。16歳からバーテンダーの仕事に就き、20歳で独立し、バーを開業。以来、15年間(2010年5月現在)、「BAR」をこよなく愛する仲間たちと共に事業を行い、出店を重ね、現在、9店舗を展開している。数年前から「開業コンサルティング」業も行い、無理のない出店をサポートしている。
主な業態 「vision」「vane」「晩餐バール」など
企業HP http://atcf.jp
「いまから店を開業する」という人なら、今回、ご登場いただく有限会社アズザクロウフライ 代表取締役である「小林信秀」の名前は覚えておいたほうがいいだろう。ともかく開業には金がかかる。その開業時のコストを小林は、効率的に低く抑えるノウハウを持っている。たとえば一昨年、小林は、都内に3店舗の「BAR 」を新たにリリースした。3軒の出店にかかったテナント取得から販促までのイニシャルコストは、わずか900万円。通常なら3000〜4000万円のところを3〜4分の1以上に抑えている。小林は、「BAR」を経営する一方で、数年前から「開業コンサルティング」にも乗り出した。上記の例は、力量を十分に証明するものだったといえるだろう。

吉祥寺、この繁華街を勉強相手に、少年は、青年へと育っていく。

吉祥寺の繁華街。地元、吉祥寺で生まれた小林にとっては、この繁華街が慣れ親しんできた町である。父は水商売、母はブティックを経営するなど両親とも商売をやっていたが、早くに離婚。小林は、母の手で育てられる。少年時代はともかく友だちとつるんで、遊んでいた。15歳の頃からは、友だちと酒を飲みに街に繰り出した。太陽の下よりも、ネオンの灯りの下が小林を安堵させたのだろう。母はそんな小林をどういう風にみていたのだろうか。「飲んだ後は、友だちが泊まりにうちに来ることも少なくなかったんです。それでも母に文句を言われたことはありませんでした」と小林は当時を振り返っている。高校にも進学したが、わずか3ヵ月で、退学。早朝からレストランの洗い場でバイトをしつつ、16歳でバーテンとしてデビューする。父親がいなかったせいか、大人たちが集うところが好きだった。いろいろな店でシェイカーをふる。ちなみに小林は、いったん高校を退学したが、バーテンの仕事をやりながら、再度、入学し、1年遅れの19歳で無事、卒業している。

開業資金、100万円。20歳の独立は成功するのか。

1995年、ハタチの時、小林は、初の店をオープンする。雑居ビルの5F。8坪の店だった。資金はアルバイト時代に貯めた100万円のみ。普通なら断念すべき金額だったかもしれない。実際、普通のテナントでは、無理な額だ。だが、小林は、事務所物件に目をつけ、交渉し信じられないコストで開業した。吉祥寺の駅から数分。家賃は16万円程度だった。ともかく、そういう風に小林の1号店はオープンした。本音というと、「ただ友だちと飲みたかった」だけだった。当時、店主のかたわら、アルバイトも続け、昼間はレストランの厨房でアルバイト。夕方5時〜1時までが、「BAR」の店主兼、バーテンダーだった。「最初はともかくお金がなかったから、前日の売上金を持って、新しいお酒を買い増した」。それでも初月の売上は46万円。雑居ビルの5F。1Fに看板もないバーの初月の売上と考えればたいしたものではないだろうか。飲み友達が、お客様だった。実は、店の内装も、友人たちが行なっている。小林はたしかに店主なのだが、仲間内でつくった、最初は、そんな店だったといっていい。ところが、オープン月を起点に右肩あがりが続き、8年後には最高月商300万円の店に育っている。いまも基幹店の一つだ。

多店舗展開に舵を切る。有限会社アズザクロウフライ設立。

「100店舗! 10億円!」、掛け声を上げて、目標をめざす。そういうのはちょっと苦手。無理な背伸びをすることなく、好きな「BAR」で仕事をしていきたいと小林は、そう思っていた。ところが5年近く経った頃、小林はパートナーとなる人物と出会い多店舗化に舵を切る。1999年、2店舗目をオープンさせ、翌2000年には会社設立。その後、毎年1店舗ペースで出店を行い、現在、9店舗にまで広がっている。「BAR」以外の業態は?と尋ねると、「あまり興味がない」という答えが返ってきた。それよりも、「BAR」という業態を掘り下げていきたい、という。どういうことだろうか? 「BARはお酒を楽しむ店であるのはもちろんですが、さまざまな大人の社交場でもあるんです。たとえば、お店で、お客様同士のネットワークが生まれると、それが実際の仕事にフィードバックされることもあるんです。そういうのも『BAR』の一つの魅力だし、可能性じゃないでしょうか」。と小林は語る。とはいえ、それだけでもなさそうだ。

人が出会い、育つ、「BAR」というスタイル。

「人、それに尽きます」。「BAR」だけではなく、飲食店の経営は、「人」に尽きることは明白だ。だが、小林がいうのは少し意味が違う。「BAR」という業態を通し、何をしたいのか。その一つが「人」に対すること。小林の言葉を借りれば「発掘と育成」というのである。「弊社のスタッフは、お客様から高い評価をいただくことが少なくありません。たぶんお世辞ではないでしょう。この業態は、お酒を提供するという行為を通し、気配りはもちろんですが、人間性を高めていくための訓練の場所にもなるのです。人脈も生まれます。こうしたBARの人を育成する機能を活かしていきたいのです」と小林。飲食店のなかでも、採用という点からいえば「BAR」の人気はダントツである。一度、採用広告を出せば100名近い応募が来るという。それを何とかしたい。「せっかくいただいた応募をもっと活かすことができないか」。それも、「経営者」小林に与えられた宿題である。「他と同じような道は歩まない」と小林。社内に営業企画・販促を行なう企画室も設置した。オリジナリティをいかに育てるかがいまの課題。今後、採用したい人は?と尋ねると「固定概念で動かず、野心を持って仕事に臨める人。面白いと思ったら、すぐに反応できるような人」という答えが返って来た。その答えを聞きつつ、たしかに「BAR」が、人を育成するプレイスになってもいいのではないか、と思った。

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