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第143回 株式会社カトープレジャーグループ 代表取締役 加藤友康氏
update 10/06/29
株式会社カトープレジャーグループ
加藤友康氏
株式会社カトープレジャーグループ 代表取締役 加藤友康氏
生年月日 1965年3月18日、大阪市天王寺区生まれ。
プロフィール 5人兄弟の3男。父親は商売熱心で洋装店をはじめ、レコードレーベルを立ち上げたほか、ホテルやうどん屋なども次々、開業している。それらの事業を20歳で引継ぎ、23歳で茨木に所有していたホテルをリニューアル。成功を収め、プロデュース事業に着手。1989年に開業し21年目を迎えた「麺匠の心つくし つるとんたん」を始め、以来今日に至るまで、ホテル、レストラン、また公共施設の再生を含め、数多くのプロデュース実績を残している。
主な業態 「SPACESHOWER TV THE DINER」「PLEASURE PLEASURE」「カフーリゾートフチャク コンド・ホテル」など
企業HP http://www.kpg.gr.jp/

住み込みの縫い子さんたちと囲む、にぎやかな食卓。

今回、ご登場いただくカトープレジャーグループ代表取締役 加藤友康は1965年、大阪市天王寺区に生まれる。父親は、西成区で加藤洋装店を営み、それを足がかりにホテルやうどん屋なども開業した。ユニークな事業ではレコードレーベルも立ち上げている。両親は仕事に追われる毎日だったが、兄弟の仲は良く、加藤は何不自由なく育っていった。食卓は、住み込みで働いていた縫い子さんたちと一緒。大皿に盛られた料理を分け隔てなくつついたのが子どもの頃の記憶である。昭和40年代の、ほがらかな食卓が目に浮かぶ。

ドラムに熱中した少年時代。20歳で父の後を継ぎ、社長の椅子に座る。

レコードレーベルを立ち上げた父の影響か、10歳年の離れた長兄の影響か、加藤は小学生の頃からドラムに熱中、練習に明け暮れた。15歳になる頃には、プロ級のレベルにまで達していたそうだ。高校、大学と進むにつれ、加藤は裏舞台に回るようになるのだが、音楽やイベントに関わる仕事は楽しくてしかたなかった。だが当時、加藤家には暗雲が垂れ込み始めていた。「父が病気になり、入退院を繰り返すようになったんです。とたんに商売も上手くいかなくなりました。うどん屋も、洋装店もだめ。気づくと借金しか残っていない状態でした」。そのとき、父親の商売を引き継げるのは3男の加藤しかいなかった。それは同時に20億円の負債を引き継ぐことも意味した。楽しい仕事を続けるか、それとも家業を引き継ぐか。選択を迫られた。苦悩の日々が続く。迷いに迷った結果、加藤は、「どちらが必要としてくれるのか」で選ぶという結論に行き着いた。加藤、20歳のときである。

命と引き換えても、の気持ちで取り組んだ事業の再生。

20歳の青年が20億円の負債を抱えた。その決断は断崖から飛び込むほど勇気がいったに違いない。1986年、時代はバブルに向かって走り始めた頃。加藤の事業再生という冒険が始まった。加藤は、就任後、経営に関わる全ての事項を精査し、事業も峻別する。23歳。事業の再生は次の段階に。メインとなる事業への資金のシフトである。
24歳の加藤は、「うどん店」の再生に着手する「麺匠の心つくし『つるとんたん』」の始まりである。加藤の父は讃岐うどんの香川出身。だが、父の「うどん店」は、どこにでもあるうどん屋とかわりなかった。この店を、このコシのある讃岐のうどんと大阪のダシをあわせた「うどん店」につくり変えたのである。これが月商1200万円を売り上げる人気店になる。大阪府茨木市で再生したホテルに続き、うどん屋の見事な再生に注目が集まる。加藤は、ホテルのオーナー、うどん店の店主ではなくプロデューサーとして認知されていく。デザイナーやプロデューサーといった人たちとも交友が広がった。少し違和感があった。加藤は自ら融資を受け、また自ら資金をかき集め、生き残るためにリニューアルを行ってきた。その資金には命と同じ重さがあるはずだった。だが、自らの資金でない彼らのなかには託された何億ものお金を軽く扱う風潮がみて取れた。「何でこんなに気軽にやってんだ」、思わずそんな言葉が口をつく。

収益が上がらないなら、お金もいならい。すべてに責任を持つプロの決断。

いくら綺麗な箱をつくっても、オペレーションが悪ければ流行らない。当然のことだ。逆もまたあるだろう。だから加藤は、やるからにはすべてをトータルにやるべきだと考えた。事業の依頼を受けたクライアントに「利益が上がらなければお金もいらない。収益の保全もする。だからオペレーションから、収益にいたるまですべてに責任を持ちます」と言い切った。29歳、年商は30億円に達した。事業を引き継いだときに目標とした数字に30歳手前で到達した。ようやく一息ついたのはこの時ではなかったか。20歳で社長の椅子に座ったときには、金がすべてだったといっていい。負債をどう返済するか。人間の奥底まで覗いた気がする。だが、30歳になったとき振り返ると苦しかったはずの道が、まったく違う風景に見えた。金銭的に余裕ができたから。それだけではなかった。縁があり、仲間になってくれた社員たちがいた。クライアントからの信頼も、信用もいただけた。慕ってくれる仲間がいる。それが嬉しくて、楽しいことだったんだと気づいた。そんな仲間たちが、30億を達成し、一息つく加藤にこういった。「社長、100億円をめざしましょうよ」。新たな命をかけた冒険が始まった。

事業を成功に導く、チーム、「カトープレジャーグループ」。

それから15年経った現在、カトープレジャーグループは、250億円超の売上を誇るグループになった。総合的なレジャー事業開発を基幹コンセプトに、ホテル、フードサービス、スパ、リゾート、高級旅館、公共リゾート施設など、多岐に亘る施設を展開している。それらの事業は、個人投資家、大手金融機関、デベロッパー、外資系投資銀行、地方公共団体など数多くのクライアントからのオファーである。事業計画からオペレーション、そしてクライアントの収益に至るまで全てのプロジェクトを一貫して進行し、責任を持つという「トータルプロデュースシステム」という手法によって遂行され、これまで全てのプロジェクトにおいて目標収益をクリアしている。
創業以来、一貫してサービス事業の開発に取り組み、顧客へ対しダイレクトにアプローチする運営の姿勢が、顧客の動向とニーズを的確に捉えると共に、正しい方向性を導き出してきた。この経営方針により「KPGならでは、KPGだからこそ、KPGにしかできない」事業の確立を目指し、既存の業態に決して満足する事なく、常に革新的な試みを大胆に取り入れ実行している。だが、実績だけではない。事業を成功に導く、チーム、「カトープレジャーグループ」。このチームの存在こそが、加藤のこれまでの戦いの成果を、何よりも雄弁に物語っているような気がする。

最後に、カトープレジャーグループが、新たなコンセプトモデルとなる事業として新規出店した店舗をご紹介しよう。

■SPACESHOWER TV THE DINER (2010年3月オープン)
http://www.spaceshowertv-thediner.jp/
「食と音楽の融合をキーワードとした日本最大級のミュージックレストラン」
渋谷のランドマークであるSHIBUYA109に隣接する「ザ・プライム」5階に、「SPACE SHOWER TV」とのコラボレーション。TV番組の定期的な公開収録や、毎日行われるアーティストライブとともに、フードやスイーツがビュッフェ形式で楽しめる350席。

■SHIBUYA ENTERTAINMENT THEATER PLEASURE PLEASURE(2010年3月オープン)
http://www.pleasure-pleasure.jp/
「劇場スタイルで楽しむ大人のためのライブシアター」
渋谷「ザ・プライム」6階で音楽やパフォーマンスなど様々なエンタテインメントに適したスペースとして、アーティストと観客が最良の時間を共有できるエンタテインメントシアター。

■カフーリゾートフチャク コンド・ホテル(2010年3月グランドオープン)
http://www.kafuu-okinawa.jp/
「ホテルとコンドミニアムが融合した新コンセプトホテル」
沖縄の西海岸、恩納村で約23,500平米の広大な敷地に、ホテル棟とコンドミニアム棟で構成される全室バルコニー付平均70uの全249室。
ホテルとしてのサービスや利便性の高い共用施設と、コンドミニアムの特徴である長期滞在の為の高い居住性が融合した「コンド・ホテル」というコンセプトで、新しいリゾートライフを提案。
客室はオーナーシップ制により、全室を分譲。ホテル棟は購入したオーナーが利用しない期間をホテルとして運用する事で、賃料としてペイバックする「ペイバックシステム」を採用している。
施設としては、沖縄の豊かな食材と国内外から選りすぐった素材を使用した「レストラン無垢」「Wine&Dining The Orange」や、テイクアウトもできるデリ、カフェ&バー、屋外プールやランドリー、スパや東シナ海の大パノラマを望むブライダル「KAFUU WEDDING」などがある。

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