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第18回 株式会社アスラポート・ダイニング 代表取締役社長 山口伸昭氏
update 08/06/24
株式会社アスラポート・ダイニング
山口伸昭氏
第18回 株式会社アスラポート・ダイニング 代表取締役社長 山口伸昭氏
※2011年9月末現在 代表取締役 檜垣 周作氏
生年月日 1947年、大分県生まれ。
プロフィール 関西大学を卒業後ダイエーに入社。“食肉のスペシャリスト”をメインキャリアとしてチーフバイヤーを勤めた後、ダイエーの外食事業部門での事業立ち上げ、再生事業に取り組む。ビクトリアステーション、神戸らんぷ亭、フォルクスなどの取締役、代表取締役を歴任後、株式会社アスラポート・ダイニングの代表取締役社長に就任。
主な業態 「おだいどこ」「とりでん」など
企業HP http://www.asrapport-dining.com/
大学時代、体育会自動車部に所属し、乗用車ラリーやフィギュア(乗用車コースでのトラックによる競技)に熱中していた山口氏。ダイエーに入社したのは「麻薬と女性以外は売る」と独特の小売事業のビジョンを語る中内社長(当時)との面接が決め手になった。「将来、自動車販売業にも進出する」という確約を得たからだった。就職活動をしていた1969年当時はまだ外食産業という言葉すらなかった時代。自動車販売に携わるキャリアしかイメージしていなかった山口氏が飲食の世界に足を踏み入れ、経営者へと昇りつめた経緯とは…。

トップになる難しさを学んだ学生時代

 戦後間もない昭和22年、山口氏は大分県で生まれた。男ばかりの4人兄弟の長男。戦地から復員してきた父は、青春時代に叶わなかったプロ野球選手になる夢を息子たちに託した。
 「毎日(現ロッテ)の選手宿舎によく連れていかれ有名選手にだっこされていました。」父はなんとか山口氏に野球に目を向けて欲しくて、幼いうちから刷り込みをしたのだろう。しかし、体力的にも素養的にも絶対かなわない。そんな仲間が中学でも高校でも必ずいた。重過ぎる父の期待から逃げ出したい山口氏を夢中にさせたのが自動車だった。
 大学に入ってからは、特に大型トラックを狭い乗用車コースで走らせ、タイムや滑らかな走行技術などを競うフィギュアに熱中した。
 「俺がいちばんうまい。」自分の居場所を見つけた山口氏は、大学を回り道場破りをするほど自信満々だった。しかし出場した競技大会でのこと。関西地区優勝者として出場した全国大会で5位という結果に終わる。悔しさと挫折。トップに立つ難しさを痛感した。


ダイエー中内社長との出会い

 「ダイエーへの入社は縁としか言えない」。山口氏は大学時代の就職活動をそう振り返る。ちょうどラリーの全国大会で破れ頭を丸坊主にしていた時期。就職ガイドをパラパラと捲り、目に止まったダイエーという社名。浮かぶのは野球チームと映画のイメージ(大映)のみで、兵庫に小さなスーパーがあるだけの事業にそれほど魅力を感じたわけではない。しかしなんとなく気になってハガキを送ったところ、「採用するから面接に来い」と通知が来たという。「おかしな会社だな」。資料請求したつもりが採用だという。半分興味本意で面接に臨んだ山口氏を待っていたのが、創業者の中内社長だった。
 「丸坊主なんて君、変ってるねぇ」。そう微笑む中内社長は「ウチは小売業だから麻薬と女性以外は何でも売るよ」という。自分の好きな自動車もいずれ商売にするという約束が山口氏に入社を決意させた。
 山口氏が実際に携わることはなかったが、その後ダイエーはトヨタビスタ兵庫を立ち上げ、国内有数の販売実績を挙げる。


食肉のスペシャリストとしてのキャリア

 ダイエーの入社者は、全員が平等にすべての売場を経験する。食品、婦人服、家電、家具…。しかし山口氏が興味を持ったのは、入社2年目で経験した食肉の加工センターでの仕事だった。実は一時期獣医になる夢を抱いていた山口氏は動物の知識があり、センターで働くプロの職人たちの知識と技術に刺激を受けていた。さらに「食肉産業を近代的にしたい」と業界全体で取り組んでいる竹岸高等食肉技術学校での研修の機会を得て、その意欲は増々高まっていく。
 全寮制で6カ月。大手スーパーの食肉のエリートが集まって行う研修は刺激的だった。知力・気力・体力。食肉学校で培ったすべてを会社に持ち帰り、バイヤーとしてのキャリアがスタートする。養豚、牛肉の輸入、牛の売買。良質な食肉を仕入れるために昭和49年から53年は沖縄に住み、日本全国、そしてオーストラリアなどの海外にもバイイングのための出張は頻繁だった。
 そんなある日のこと、山口氏は本部へと戻される。待っていたのは中内社長だった。「これからは素材を売るだけの商売ではダメだ。外食の時代だ」「食肉の知識を外食に生かして欲しい」。ダイエーはプライムリブ・ステーキを提供する米国のチェーン店「ビクトリアステーション」を国内で展開する計画を進めており、その第一号店の経営を山口氏に委ねた。それが外食事業のキャリアのスタートであった。


新規事業立ち上げと赤字企業の再生

 外食がそれほどスタンダードなものでなく、レストランの種類、店舗数も少なかった時代。六本木に一号店を出店した「ビクトリアステーションジャパン」は外食ブームの火付け役の一端を担った。その経営手腕が評価された山口氏は、ダイエーが行う海外外食チェーンの日本上陸、定着、店舗拡大を続々と任されていく。ミラノの高級レストラン「ジャンニーノジャパン」、北海道で展開する「ステーキヴィクトリア」。各社代表を勤めると同時に、ダイエー本社のレストラン事業担当商品企画部長としても外食事業の展開に注力した。
 「最もやりがいを感じる」という再生事業に関わるのはその後の平成10年から。山口氏が48歳のとき赤字で立ち行かなくなっていた「神戸らんぷ亭」を、53歳のとき「フォルクス」の代表取締役社長を勤める。
 従業員の悩みを聞き、やる気を奮い立たせる施策を導入していく。それまでの経営者と違った手法で、消沈していたレストランを元気にしていった。


従業員の要望を聞くから会社の要望も受け止めてくれる。信頼関係なしに成功はない。

 「何か困っていることはないかい?」。山口氏は神戸らんぷ亭の赤字店舗を回っては店長に問いかけた。しかしこれまで叱られるばかりの店長は、ただただポカンとしてしまうという。「何かあるだろう?」じっくりと膝を突き合わせるうちに「時給が低いのでアルバイトが辞めてしまう」「エアコンの効きが悪い」などの悩みが出てくる。山口氏は即、それらの問題を解消した。
 と同時に、従業員のモチベーションアップのための施策にも注力した。牛丼作りと盛り付けの技を競う競技イベント、売上げ目標達成時のインセンティブ支給、そして「みんなで黒字にしてアメリカの外食を見に行こう!」と夢を示す。
 やる気のあるプロパー社員を増やしたことで、店長たちの表情がみるみる変っていき、それはBSE問題も乗り切るパワーとなりどん底から黒字化を実現した。
 フォルクスも同様だった。売れ筋だという日替わりハンバーグメニューを定番商品へと変え、ステーキについては、職人にしかできないと思われていたブロック肉のおいしい所をとりだす「小割り」や「筋ひき」を店内で行うようにした。これにより、アイドルタイムを有効活用し、従業員の働く機会、スキルアップの機会を創りだした。また、カートを導入してフロアスタッフの負担を減らし、サラダバー・スープバー・ドリンクバーなどの新しい形態を展開していった。
 こんな実話もある。人間の胃袋が一杯になり満足感を味わえる量は1ポンド(450g)。そのステーキを出そうという提案だ。そんなの売れないという従業員の声に、山口氏は「売る店であることが大事なんだ」と諭した。日経新聞にも取り上げられ話題となった1ポンドステーキはヒットし、なんと焼き時間30分を待ってでも食べたい商品となった。
 日本初のベーカリーステーキハウスもそう。「オリジナルのパンを開発するには、10店舗増やさなければ採算がとれない」という社員に「だったら増やそう」と即決回答。ガラス張りでパン作りを見せ、換気扇の位置を変えパンの美味しい匂いを店内に広げるようにした工夫はNHKで取り上げられた。
 店の刷新、話題性によって大きく変ったのは売上げだけではない。従業員が笑顔で誇らしげに働く姿。それは山口氏にとって心から嬉しいことだった。


週1のメッセージ発信。仕事の原点はやはりコミュニケーション。

 どこにもない商品を作り、話題性として世の中に発信していく。人気店を作るにはその工夫が欠かせないという。そして経営者がそれを押し付けるのではなく、店舗を運営するスタッフがその新しいチャレンジについて考え、実践することを楽しんでいくことが重要だと。経営と従業員が一体化すること、信頼し合うこと。それなしに飲食業界の企業の業績アップはないと山口氏は言う。
 現在山口氏は事業会社である(株)プライム・リンク、(株)フーディアム・インターナショナル、(株)ゲンジフーズ、(株)とり鉄の持ち株会社、株式会社アスラポート・ダイニングの社長を勤めている。
 ここでも活きているのは過去に培ってきた“再生”の手法だという。「とにかく従業員と対等な目線で会話し、心を通じ合せ信頼関係を築いていく。」従業員が困っていることを解決し、経営としての要望を伝え実現してもらう。やはり成功の原点はコミュニケーション。山口氏は週1回、必ず全社員に向けてメッセージをメール送信している。「私が責任をとるからいい事・悪い事すべての声を聞かせて欲しい」。メッセージの文面のベースには、いつもその気持ちが込められている。

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