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第236回 株式会社サイバック 代表取締役社長 橋本朋郁氏
update 11/09/06
株式会社サイバック
橋本朋郁氏
株式会社サイバック 代表取締役社長 橋本朋郁氏
生年月日 1960年7月生まれ
プロフィール 福岡県久留米市に生まれる。4人兄弟の三男。大学進学時に上京。アルバイトに精を出しつつ充実した学生生活を送る。卒業後、福岡に戻り中堅の薬品卸問屋に就職。スグに頭角を現すが、8ヵ月で退職。税理士になろうと決意し、事務所の門を叩く。この後、数回の転職の末、株式会社サイバックの社長に就任。株式会社サイバックは<インターネットカフェ「CYBAC」>などを運営する会社である。昨年、譲受し、実質的にオーナーとなり、2011年2月28日には同社初の飲食店「立呑み 博多流。(はかたながれ。)」を港区新橋にオープンさせている。
主な業態 「CYBAC」「立呑み 博多流(はかたながれ)」他
企業HP http://www.cybac.com/

日本で5番目の住みやすさ。

大手タイヤメーカーがある福岡県久留米市は、ゴム工業の町として知られている。「小さな町だったが活気があった」と、今回ご登場いただく株式会社サイバック 代表取締役社長 橋本朋郁は目を細める。「日本でも5番目に住みやすい町と言われていたんです」。1960年といえば昭和35年。日本がいよいよ経済発展を遂げていく時に橋本は産声を上げた。
「もともと父は三井鉱山で働いていました。それを辞めて、叔父と共同で土木建設の会社を興しました。兵隊に志願したそうですが、頭は柔らかでした。お風呂も一番最後で文句も言わなかったし、服や食にも気を使う洒落た人間でした。私はいまもできませんが、英語も、中国語も話せていました」。
一方、母親は、専業主婦。音楽好きだった。そんななか三男坊の橋本は、元気に少年時代を過ごす。小学5年生までは草野球、5年生からはサッカーに熱中した。たまたま担任がサッカー好きだった、そんな先生の影響を受けたようだ。ただ、「性格的には大人しく、それほど目立つ存在ではなかった」という。

長男とは14歳、離れている。

「長男とは14歳、二番目の兄とは12歳離れていました。私の下に妹がいたんですが、生まれてスグに亡くなりました。なので、私は4人兄弟といっても遊び相手はいませんでした。わりと年の近い従兄弟がいて、どちらかといえば彼から影響を受けて育ちました。いま思えばいい影響ばかりではなかったようですね。女の子をナンパしたり、タバコを吸ったり、中学時代から悪ガキの仲間に入っていました(笑)」。当時は不良仲間とつるむ事も、タバコも、ファッションの一つだった。不良のレッテルも、ファッションの一つだったといえば乱暴すぎるだろうか。
高校時代もファッションと音楽に傾倒する。目標のないその日暮しの高校生。ところが高校2年になって初めて目標ができた。「そうだ。東京へ行こう」。

ビルの高さに目を回す。4年後、少年は青年になり、帰郷する。

在来線と新幹線を乗り継ぎ、花の東京に着いた。ビルの高さに驚き、目が白黒する。だが、すぐに慣れた。バイトをした。バイトが橋本を強くする。「パブでしょ。パチンコ店、警備、喫茶店、飛び込みの営業もしました」。実は、この時の営業のアルバイトがのちのち生きてくる。
4年間が過ぎ、少年は逞しい青年になって福岡に戻ってきた。「資生堂とかも受けたんですが、落ちましてね。それで薬品の卸問屋に就職したんです」。
入社3ヵ月半で早くも頭角を現し、営業成績はトップ5になった。だが、逆に成績がよかったことが、辞めるきっかけになる。ただしく、評価されなかったからだ。
「それで8ヵ月ぐらいで辞めるんです。辞めて税理士になろうと。数字には強かったですから」。ところが、ここから苦労する。決意したものの未経験を雇ってくれるところはない。結局、片っ端から電話を入れようやく一つ、未経験を雇ってくれる危篤な事務所に出会った。
入社はできたが、今度は何を喋っているのかわからない。まるで異国に来た気分だった。最初の2ヵ月は怒られてばかり。1年半がんばったあと「やっぱり学校で基礎から勉強しよう」と決意するに至った。

転職する度、レベルアップ。

橋本は、いままで何度も転職している。この年代の人間でいえば多いほうだ。だが、税理士などの専門職になると、転職もまたスキルアップに必要なプロセスとなる。だから、転職の回数は、少ない方がいいと言い切れない。
実際、橋本も転職の度にパワーアップを繰り返した。ところが36歳の時、税理士を目指す事を辞めようと思うようになる。税理士事務所は、個人企業であり出世も収入も限界がある、資格を取っていなければどんなに顧客から信頼をうけても開業は出来ない。
「それで税理士事務所は辞めて、不動産会社に経理責任者として入社しました。でも今度は、社長とケンカして辞めてしまうんです。その後、しぼらくは税理士の知り合いに懇願され、事務所で働いたんですが45歳になって息子たちも大学に通わせなければならないから、もう少し割のいい仕事を、と思ってヘッドハンティングの会社に声をかけたんです。」
「自分のチカラを過信していたんでしょうね。だから、オファーを受けたとき、希望年収を聞かれ1200万円と。ちょっと言い過ぎました(笑)。結局、一度不採用になり、2度目に<800万円+アルファ>で話がまとまりました」。

サイバック社長へ。今後はネットカフェと飲食との二本柱で会社を大きくする。

その会社は、九州・関東にパチンコ店フェスタ24店舗を展開する株式会社テンガイ。ここが、次のステージとなった。「経営者が素晴らしい人でした。この業界は同族経営が多いのですが、スパッと否定し、自身も55歳で引退しようとされていました。ところが実際には、そううまくいかず60歳まで引退は伸びてしまったんですが」。その際に、橋本は同社の関連会社だった株式会社サイバックを引き受けることになった。
「さすがにパチンコのほうは規模が大きいので、まだオーナーは創業者ですが、私が譲受ました。インターネットカフェはまだまだ魅力が尽きない業態です。ただ、一方で、今年2月に初めての飲食店を新橋にオープンさせました。<立呑み 博多流(はかたながれ)>というお店です。インターネットカフェを出店するのと比べ、ずいぶん投資額を抑えられます。そういうこともあって、今後は、この飲食店にも注力していきたいと思っています」。
<立呑み 博多流(はかたながれ)>。オープン告知のページには、<私たちの郷土には、「うまかもん」があるから。その味をより多くの人に届けたい。私たちが愛する博多の風流を、一人でも多くの人に感じてほしい。その想いを伝える出発点が「博多流。」>とある。さて、福岡生まれ、元敏腕税理士の社長が展開する飲食店。その味も、サービスも、気になるところである。

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