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第266回 ヨツヤエンタープライズ有限会社 代表取締役社長 四家公明氏
update 12/02/21
ヨツヤエンタープライズ有限会社
四家公明氏
ヨツヤエンタープライズ有限会社 代表取締役社長 四家公明氏
生年月日 1964年12月28日
プロフィール 千葉県船橋市出身。両親は、料理店を経営。兄弟は兄が1人。小・中ではサッカーをやり、高校ではバイトに明け暮れる。県立高校卒業後、パスタ専門店で修業を開始。7年間勤め、1992年9月武蔵小山に創業店となる『スパゲッティ&PIZZA・WINE とすかーな』を開業。現在、創業店をはじめ、代々木、吉祥寺、経堂、六本木、神谷町に「イタリアンバールTOSCANA」を展開している。2012年で創業店オープン以来、20年になるが、その間、1店の閉店も、撤退もない。
主な業態 「スパゲッティ&PIZZA・WINE とすかーな」「イタリアンバールTOSCANA」
企業HP http://www.toscana-pasta.jp/

店とひとつづきの家。

四家が生まれた頃には、すでにお店があった。父が自動車整備工を辞め、数年前に焼鳥屋を始めていたからだ。
「遊郭の1階を借り、店にしていました。店の奥が住まいです。父も母も店に出て忙しくしていましたが、扉のスグ向こうなのでさみしく思ったことはないですね。父も、母も中卒で苦労人です。代わりに息子2人には苦労をかけまいと頑張ってくれていたのでしょう。忙しい仕事の合間を縫って、旅行にも連れて行ってくれたりしました」。
「けっして広いお店ではありませんが、私とっては、冒険するようなものでした。とくに厨房に立つのが好きで、さかなを捌いたり、天ぷらを揚げたりしていました。これがいまの私の原点です」。

スポーツも、勉強も苦手な少年。

小・中学生の四家は、身長もいまほど高くなく、どちらかといえば小柄なタイプだったそうだ。現在の184センチからは、想像しにくい。
「高校に入って一気に20センチ伸びたんです。それまではクラスでも小さな方で、勉強も、運動もイマイチな少年でした。小学校からサッカー部に入っていたのですが、万年、控えです」。「中学生になると、2つ違いの兄の影響でビートルズを聴いたり、ギターを弾いたりするようにました。でも、ギターも、サッカー同様、全然うまくなりませんでした。つまり、料理以外はぜんぜんダメ。そういえば、小学校の理科の実験で鯉の解剖があったのですが、あれはピカイチでした(笑)」。
スポーツも、勉強も苦手だったが、クラスでは人気者だったようである。特に女子生徒から好かれ、人気投票ではナンバー1か、悪くてナンバー2。女子は、良く見抜いている。

高校進学、アルバイトに熱中時代。

「入試の半年前から家庭教師が付き、県立高校に滑り込むことができました。もっとも進学校じゃありません。進学校じゃなくても、勉強しなければ入れなかったんです(笑)。高校の思い出は、喫茶店でやっていたアルバイトの思い出が大半です。一方、兄を追いかけるように、16歳からバイクに乗り、ディスコに通い、彼女もつくりました。おかげでアルバイト代は、バイクやデート代に消えてまるで残っていません」。
四家が16歳といえば1980年。日本経済が、バブルに向かってひた走る時代でもあった。

行列のできる店で修業。

中学を卒業する頃には、すでに起業を志していた。父母を見習い「飲食」と決めていたから、アルバイトは勉強にもなった。とはいえ、卒業後、すぐに起業は無理だ。
「カフェ・バーをしようと思っていました。でも、資金もないし、経験もない。バーといえば、お酒ですが、私はお酒だけで勝負できるとは思えなかったんです。だいたいまだ18。お酒を大っぴらに飲める年齢でもない(笑)」。
「そんな時、アルバイト雑誌で行列ができるパスタ専門店をみつけました。昼間でも行列ができる名店のパスタなら、カフェをするにしても強みになるはずだと勇んで応募しました。平日でも2時間待ちの日があるぐらいの超人気店です。ランチで24万円、夜で20万円。25坪32席の店で日商が40万円強ですから、いかに人気があったかがわかります」。
希望を抱いて、就職した。だが、高校時代のアルバイトのようにたのしくない。それどころか、「毎日、辞めたくてしかたなかった」という。
「とにかく、先輩が絶対の、まったくもって理不尽な世界でした。お客様にも『食べたらとっとと帰ってもらえ』です。そんな先輩のいる中ですから、反抗してお客様を大事にする私の態度が気に入らなかったのでしょう。毎日、殴られ、蹴られいじめられました。それでも辞めなかったのは、相手が間違っているのに、これでオレが辞めたら、オレのほうが間違っているということになってしまうと思っていたからです。逆にいえば、そのおかげで、10人入ってもスグに9人は辞めると言われていたスパルタ教育の店で止めずに店長になることができました」。
もちろん、起業への強い思いがあったからだろう。
せっかく名店に入ったのに中途半端で辞められるか!

四家の改革。

「なかなか打ち解けないままだったんですが、少しは賢くなって、態度を改めていきました。ペーペーが、何を言っても無駄だと気づいたんです。社歴も少しずつ長くなり、発言力も高まります。ミーティングを開催し、マニュアルを作成しようという意見も通るようになりました。もっとも評価してくれたのは、社長だけだったかもしれませんが…」。
社長の評価だけではなく、だれもが実力を認めないわけにはいかない出来事が起こる。
「蒲田に4店目がオープンしました。私が4年目の時です。いままでの店舗は、目立たないことがかえって評判になっていたんですが、この店舗は、レストラン街の店です。2時間も行列ができる店ですから、自信があったのでしょう。ところが蓋を開ければオープン月から月商300万円しかいきません。既存店の8日分にもならないんです」。
「私が入店した時は、レストラン街の店長会議にでると売り上げは下から2番目でした。中学の時、成績で下から2番を取ったって悔しくもなかったんですが、この時は、辛かった。オレたちは行列ができる店なんじゃなかったのかって」。
従来の店と立地も違えば客層も異なる。同じことをやっていては、ダメだ。四家の改革がスタートする。
マニュアルには関心のなかった先輩たちだが、彼らは経験則というマニュアルを手放すことはできなかったのだろう。四家は従来の経験則を捨て、ゼロから店作りを再開した。
「ディスプレイも、メニューも、ポスターも、接客方法も全部変えました。それが功を奏し、1年後には、月商1000万円の優良店に育てることができたんです」。
レストラン街での成績は上から2番目。席数からしてまったく違う、断トツの1番店の売上だけはさすがに抜けなかった。だが、四家の成功体験になったのは間違ない。
独立の日が近づいてくる。

起業。そのスタート。

もともと26歳で独立しようと考えていた。26歳で、武蔵小山に創業店の『とすかーな』武蔵小山総本店を開業する。
「でも、全然、知識がなくって。1階ですが8坪、坪2万8000円、保証金800万円で契約してしまいます(笑)まあまだ世の中がバブルがはじけてるのにまだ気付いて無い時でしたから」。むろん料理に対する自信はあった。「おいしい」、その一言に勝るものはあるまいと、売上を上げる自信もあった。
「ただ、19年前です。当時の武蔵小山では、パスタといえば350円のミートソースやナポリタンぐらいしかなかった。いくら旨いって言っても1000円以上のパスタを食べてくれるだろうか、と。それだけが、不安でした」。
幸いなことに四家の心配は、取り越し苦労に終わった。わずか8坪17席の店で初日から8万円の売上を叩き出す。月商300万円前後。次の出店のための原資も毎月、蓄えることができた。ところが、6年かかった。

2店舗目の挑戦。

「なかなか採用がうまくいかなかったんです」。求人誌に広告をだしても、反応がない。あったと思ったら採用基準に合致しない。「ようやくこれはと思う人に出会えたんですが、今度は、一度に2人も来てしまった(笑)。落とすのがもったいないので、私の取り分を半分にして2人とも採用しました」。
この決断が功を奏す。2店舗目の出店ばかりか、法人化を推し進めることもできた。
2店舗目は、代々木。24坪、広さも十二分に確保した。
ところが、計算が狂う。
「昼はまだしも、夜が全然駄目だったんです。照明を落としてムーディにすることも、粋なカクテルも用意してなかったんですから、当然ですね。そうか、いくらパスタが旨くっても、これでは駄目なんだと気づき、スタッフたちを含めて、みんなでもう一度料理や接客・サービスの研究を開始しました。私もイタリアに飛んで、パスタ以外の料理を勉強しました」。
過去の成功体験にとらわれない。四家の本領が発揮される。
「おかげさまで、数ヵ月後には300万円月商が600万円ぐらいになり、希望が持てるようになりました。もう、12年ぐらい前の話です。ありがたいことに、いまでは『代々木でおいしい店』といえば、いのいちばんにTOSCANAを挙げてくださる人が少なくありません」。今では800万円を超える売上です。

料理に心血を注ぐ。

気づいたら起業から19年経っていた。当初、人の採用に苦労したこともあって、いまもスタッフを大事にする。
「いまでは毎年、専門学校から数名入社してくれるようになり、採用の心配はなくなりました。ただ、スタッフにすれば、毎年、下が入ってくるわけですから、ほっておけば態度が横柄になる。それでは、私がもといたパスタ店と同じです。下ができても、わがままを言わせないのが、うち流です。先輩のほうが社会人経験も多いんですから。理不尽な要求も、当然NGです。結果的に、10人入れば、9人は残る組織になっています」。
「私は、人に使われるのがイヤだったし、店を出すのが格好いいと思っていた。それに、子どもの頃から、料理をつくって食べてもらうのが好きだった。おじいちゃんにホットケーキをつくってあげたり、ハゼを釣ってきて天ぷらにしたり。そういうのが好きだから、店をつくったんだと思います」。
「その結果、おっちょこちょいで出来の悪かった私が、人に喜んでもらえる仕事ができ、まして人の教育までさせていただくようになった。もう、これだけで十分です」。
欲がない。料理バカだ、という。そういうだけあって、いまも料理に手を抜かない。食材も無農薬で農家から直接仕入れ、魚介類も漁港から直に取り寄せている。
店長には毎月1万円、店長代理には5000円の研究費が支給される。好きな店で食べ、その店を研究してレポートする、それが条件。社員教育にも「料理」という二文字がテーマとなる。ちなみに何度かTVにも登場している。贔屓にしてくれている芸能人たちがTVで紹介してくれるのだと言う。いろいろなところで食べ歩いている芸能人たちが紹介するぐらいだから、味の良さは保証済みだ。

流行りは追わない。「幸せ」を提供する。

「料理を通じて人を幸せにする」。これがヨツヤエンタープライズの社訓。四家のブレない思いが表現されている。この社訓を軸に、行動する。人材の育成も、食材のこだわりも、この「幸せ」を追求するための手段であって、それ自体が目的ではない。
「独立したいっていう社員が入ってきていますので、いま『のれん分け』のしくみをつくっています。1ヵ月目から利益がでるようなパッケージをつくり、FC化も検討していく予定です」。
まだ6店舗といえば6店舗に過ぎない。だが、店舗の数だけで成功の大小は決められない。まして、経営者の良し悪しは図れないだろう。「ブームに乗るのは好きじゃないんです」。四家は、いたずらに利を追いかけない。そこがいい。
とはいえ、出店を拒否しているわけではない。むしろ積極的だ。要は「料理を通じて人を幸せにする」ことに適っているかどうかが、大事なのである。
「料理を通じて人を幸せにする」。
それは、飲食の戦士四家が戦う意味にほかならない。

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