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第267回 株式会社サンクチュアリ 代表取締役 渡邉裕樹氏
update 12/02/28
株式会社サンクチュアリ
渡邉裕樹氏
株式会社サンクチュアリ 代表取締役 渡邉裕樹氏
生年月日 1985年7月14日
プロフィール 岐阜県に生まれる。大学時代に起業を志、仲間と2人で21歳の時に、焼鳥店を開業。卒業と共に法人化。現在は直営6店舗、FC3店舗。30歳までに100店舗展開という大きな目標を追いかける注目の若手経営者。
主な業態 「炭火串焼 鶏ジロー」
企業HP http://fctori-jiro.com/

1985年、生まれ。

渡邉が生まれたのは、1985年。2012年から逆算して、27年前。ちょうどバブル経済が日本中を躍らせようとしていた頃だ。「父はJAの職員です。母は専業主婦で、兄弟は3人。私のあとに妹が2人います」。JAの職員というイメージのまま、父は堅実なタイプ。母は、どちらかといえばおおらかなタイプだった。
渡邉は、小学生の頃から活発な少年だった。小学生の時から野球を始め、中学ではシニアリーグで、硬球を追いかけた。一方、学校でのブカツは、陸上。足も速かった。
「大学進学を意識していましたので、野球の強い学校ではなく、進学校に進みました。もちろん野球部に入ります。学校へは、自転車で20分ぐらいでした」。
3年間、ペダルを漕いで通った。大学進学が近づいてくる。
「東京の大学に行こうと思っていました。でも、父は、反対です。東京に行けば何をするか分からないと思っていたんでしょう。そんな父を母が説得してくれます」。
息子を東京に送り出す。ひょっとすれば、子どもより親に勇気がいることかもしれない。春になると、渡邉は、東京での一人暮らしを始めた。進んだのは、日本大学、商学部。思い通り東京に来たものの、安穏とはしていられない。学費も、生活費もかかるからだ。上京早々、アルバイト探しを始めた。

バイト三昧。

大学の友人の紹介で、渋谷の焼肉店に入る。月に20日以上の勤務もザラ。飯も食べられる。授業のない時は昼から入った。
「1年半ぐらいその店でバイトをしていたんですが、カラオケのキャッチが儲かるという話を聞いて、バイトを移ります。私がいた店は、時給プラス歩合だったので、結果をだせば、収入も増えます。年末になると40〜50万円の稼ぎになりました」。
「お金もそうですが、もう一つ収穫がありました。もともと私は人に話しかけるのが苦手だったんです。ところが、キャッチなので声をかけないわけにはいきません。どんどん話しかけていているうちに苦手意識を克服することができました(笑)」。 少年が、東京に出て逞しい青年になっていく様子が伺える。

就職するか、それとも起業するか。

そのバイトも1年ぐらい続けた。すると、大学3年。そろそろ就職活動の時期である。
「就職するのか、起業するのか。そういう選択が、最初にありました。友人の何人かに起業する人間がいましたので、自然と『起業という選択もありだな』と思うようになっていたのかもしれません。もっとも起業すると言っても、みんな分野は違います。私と、もう一人、いまの取締役ですが、私と彼だけが、するなら飲食で起業しようと思っていました。その彼といろいろ話をするうちに、『じゃぁ、2人でやろうか』ということになったんです」。
「彼はずっとバーテンダーをしていましたから、お酒はわかる。じゃぁ、フードはどうするとなって、私が修業に出ることになったんです。最初はアルバイト経験のある焼肉屋も考えましたが、焼肉は設備投資にかなりのお金がかかります。それで、設備投資が少なくて済む、焼鳥業態に絞り込みました」。

職人技を半年の修業で盗む。

TVで観た焼鳥店に、実際に食べに行って、旨いと実感。スグに「働かせてください」と頭を下げた。理由も、「独立のため」とハッキリと言った。もっとも半年後に独立しようと決めていたとは、さすがにマスターも想像していなかったようだ。
「マスターはだいたい2年ぐらいかけて、教えてやろうと思っていたそうです。だから、なかなか肝心の仕事をさせてもらえません。最初は、つくねやうずらを刺したり、野菜を切ったり。これでは店を開けないと思って、マスターに『焼き』もさせてほしいとお願いするんです。でも、さすがに、素人に大事な『焼き』をさせるわけにはいきません。当然のことです。代わりに、12時に店が閉まってからなら練習してもいいということになり、真夜中に練習し、少しずつ営業に支障がない時間帯にも焼かせてもらうようになりました。何といっても行列ができる繁盛店でしたから、1本ずつ焼くのとは意味が違います。多くの注文をこなして、尚且つ、上手に焼く、まさに職人の技です。ただ、期間が短かったので、私は基礎だけ学び、後は店を開けてからだと決め、いよいよ開業に踏み切ります」。

21歳の、学生2人のお店。

21歳。卒業をまえにいよいよ、独立開業1号店が中野にオープン。2人で貯めた資金に、知人のオーナーから借りたお金、合計500万円をもとにしている。内装も手づくりだが、初期仕入れや保証金を入れるとカツカツのスタート。「最初は公庫にも借りようと思っていたんですが、さすがに学生には貸してくれなかった。それで、いったんは卒業を待ってからと思っていたんですが、知人の先輩経営者から240万円をお借りすることができたので、ようやく開業することができたんです。でも、店作りも素人です。だいたい中野に店を開いたのも、人通りが多いからです。新宿や渋谷だとちょっと無理だけれど、中野ならと思っていたんですね。」
7坪で家賃は14万円。当初は200万弱の売上を予定していた。
「ところが、蓋を開けると、100万円、いい時で150万円です。それで、ひたすら呼び込みです。呼び込みはカラオケのキャッチでやっていましたから。しばらくすると目標の200万円に何とか届くようになり、ひとまず1年で借金も返済することができました」。
「ただ、当時は一緒に立ち上げた友人との間がかなり最悪でした。2人で、懸命に励まし合って、お金を貯めてスタートしたんですが。当時は、6畳1間のマンションに2人住まいです。端と端に布団を引いて真ん中にTVを置いて。寝るのも、まだ2人とも学生だったので学校もいっしょ。もちろん仕込みもいっしょにします。それだけいっしょにいるのに、ぜんぜんしゃべらなくなっちゃいました」。
ただ、互いを思いやる気持ちは忘れていなかった。無言の励まし合いが続いた。

大学卒業、FC店も開業。30歳まで100店舗をめざす。

2号店をオープンさせ、日々、顔を合わせなくなると、不思議と仲も戻った。2号店は、32席。1号店とは違って、そのままズバリ焼鳥屋にした。それが功を奏し、快調なスタートを切る。この店がいまの「鶏ジロー」のモデル店舗となる。
開業から6年。2人は大学を無事、卒業し、店も9店舗に増えた。うち3店は、FC店である。
「2012年で6年目になるんですが、2011年、去年から一気に店を増やしました。たまたま大学時代の同級生が飲食をやりたいというので、うちのFCになればと言ったんです。その店も順調にスタートしましたので、FCのしくみを作り、少ない資金で開業できるようにしました」。
ホームページで確認すると、キャンペーンで今なら100万円で開業できると謳っている。加盟金、保証金、研修費が組み込まれているようだ(2012年2月現在)。開業までの流れなどが丁寧に掲載してあるので、独立開業に興味のある人は覗いてみてはどうだろうか。
焼鳥店は、それほど大きな坪数を必要としない。「鶏ジロー」も基本、15坪以下だ。これなら初期投資が少なくて済み、その分、早く投資分を回収できる。客席数が少ない分、経験が浅い人にも、管理がしやすいというメリットもあるのだろう。
「あと3年後までには、100店舗を出店したいと思っています。小さな店ですから、開業資金も少なくて済みますし、小商圏で成立しますから、複数店の出店も可能です。ですから、FC希望者にもどんどんチャレンジしてほしいなと思います。しっかりバックアップはさせていただきますから」。
上京の際には、まさか東京で「焼鳥のチェーン店」を興すとは、思っていなかっただろう。だからこそ、人生はおもしろい。まだまだ現時点で、27歳。3年後、100店舗を達成した時に話すことになる、次の目標もぜひ、伺ってみたいと思った。

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