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第300回 ワイエスフード株式会社 代表取締役社長 緒方正憲氏
update 12/07/24
ワイエスフード株式会社
緒方正憲氏
ワイエスフード株式会社 代表取締役社長 緒方正憲氏
生年月日 1969年11月24日
プロフィール 福岡県田川郡香春町に生まれる。3人兄弟の長男。柔道を極めるため中学から親元を離れ、東海大学の付属高校に進学。同校卒業後は、柔道整復師となるべく東北柔道専門学校(現・仙台接骨医療専門学校)に進み、いったん整骨院に勤務するが、父の要請もあり「山小屋」に入店。「山小屋」の成長と共に、自身も経営者としての頭角を現し、副社長、経営管理本部長兼総務部長を経て2007年6月、代表取締役社長に就任する。
主な業態 「山小屋」「ばさらか」など
企業HP http://www.ys-food.jp/

トラックの運転手だった父が開いた小さなラーメン店。

博多湾から東に向って道がまっすぐつづいている。地図で確かめると、福岡インター近辺で201号線となり、何度も蛇行しながら半島を横切り、周防灘に抜ける。福岡市、飯塚市、田川市、行橋市など、福岡県内の主要都市を通ることもあって、山間部が多いにもかかわらず交通量は多く、大型車の行き来も多い幹線道路となっている。
この201号線沿いに、一軒のラーメン屋が産声をあげたのは、1970年のこと。1970年といえば万国博覧会が開催された年であり、ファストフードやファミリーレストランが次々誕生する、飲食産業にとってはターニングポイントとなる年でもある。
日本マクドナルドが銀座に華々しくオープンする一方で、201号線沿いにオープンしたラーメン店は、当初、店名すら決まっていなかったそうだ。「もともとトラックの運転手をやっていた親父が、22歳で開業したお店です。全部、手づくりでトタン屋根だったそうです。たまたま坂を上がる峠のてっぺんにあって、お客様が山小屋みたいだ、といったことがきっかけで、『山小屋』と命名したそうです」と2代目社長である、緒方はそういって笑う。
オープン当初こそ、客数は少なかったが、運転手の口コミなのだろう。「山小屋」は、次第に繁盛店となり、本場博多や久留米のラーメン通たちの間でも評判になる。ところで緒方が誕生したのは1969年だから、「山小屋」オープン1年前。店を開いてからは、父も、母も交替で店にでた。ときには母の背に負われ、緒方も店に顔をだしていたそうだ。

至極の一杯を追い求めて。

「2号店がオープンしたのは私が中学生の時」というから、2号店開業まではずいぶん時間が経っている。しかも、直営ではなくのれん分けだったそうだ。父であり、創業者の正年氏に店舗展開という発想はなかったのだろうか。時代は、飲食産業の勃興期であり、チェーンオペレーション理論を軸にチェーン店が次々生まれた時代である。繁盛店であれば、チェーン展開を試みてもいいはずだ。ちなみに、ラーメンチェーン店のパイオニアである「幸楽苑」は、いち早くこの理論を取り入れ上場を果たしている。たしかに風は吹いていた。しかし、いま振り返れば、逆に店舗展開せず十数年に亘りひたむきに旨いラーメンづくりと格闘してきたことが、「山小屋」にとっても、正年氏にとっても良い結果につながったのではないだろうか。
「父は、何より旨いラーメンづくりに心血を注ぎました」。もともと素人から始めた正年氏は、客の声を取り入れることで、いまの味を確立している。一方、経営についても十分な知識があったわけではない。「父が子どもの頃、祖父が餃子店を開いていたらしいのですが、父の飲食経験といえば、そのとき、を手伝ったぐらいですから(笑)」。
店舗運営の経験も、ノウハウもない正年氏にとっては一杯のラーメンの味が、すべてだったのではないだろうか。だからこそ、博多や久留米といったラーメンに負けない「筑豊ラーメン」というカテゴリーが誕生したともいえる。出店を焦っていては、こうはいかなかったはずだ。
「山小屋のラーメンはとんこつです。おなじとんこつでも、博多ラーメンはあっさりで、久留米ラーメンはこってり。会長がめざしたラーメンは、その中間」と、会社設立時より、緒方とともに歩んできた原氏が解説してくれた。
「山小屋のラーメン」を食べるために、わざわざ博多や久留米からも、客が押し寄せてきたのも、どちらにもない味を真摯に追及した結果に違いない。

柔道との出会い。そして、柔道一直線。

さて、店が繁盛し、従業員も増えるなかで、緒方を筆頭にした兄弟3人は、従業員とともにまかないごはんを食べ、奔放に育っていった。定休日である水曜日には、正年氏が自らバスを運転し、従業員を遊びに連れていったりもした。そのなかには兄弟たちの笑顔もあったはずだ。店は、緒方ら兄弟にとって、日常の生活空間でもあったわけだ。
その店で、いつものようにTVを観ていた少年の目がかがやいた。小学2年の時。これが柔道との出会いだった。「山下さんが戦っているのを観たんです」。緒方が山下さんというのは、柔道家である山下泰裕氏のことである。「親父に柔道をしたいといって、翌日から道場に連れて行ってもらいました。小学校2年生の時です」。もともと格闘技のセンスがあったのだろう。柔道にのめり込んでいくなかで、6年生の時には、団体戦で全国優勝を果たしている。「私が柔道を始めると親父も初めて、団体戦ですが、のちに県大会で優勝しています(笑)」。正年氏のバイタリティを示すエピソードだ。「柔道に関して父はきびしかった」と緒方がいうのも頷ける。
そんななか、中学に進学する緒方は、柔道で有名な学校を選択した。「東京の学校と、北九州の学校を親父が教えてくれて、私は北九州の学校を選び、親元を離れました」。高校は、更に柔道で有名な東海大学の付属高校に進んでいる。「ところが高校時代は、ケガで悩まされつづけるんです。しょっちゅう整骨院に行っていました」。この整骨院通いが、緒方につぎの道を開いた。「院長が高校の先輩だったということもあって親しくなりました。それで、私もいずれ整骨院を開き、子どもたちに柔道を教えていこうとそう思うようになるんです」。教師の反対を押し切って、大学には進学せず、宮城県にある東北柔道専門学校(現・仙台接骨医療専門学校)に進んだのも、この目標があったから。その時点で正年氏の跡を継ぐとは露とも思っていなかったそうだ。

家業を継ぐ決心。

「人手が足らない。店を手伝ってくれ」。宮城県からUターンし、地元の整骨院で勤務していた頃の話。正年氏がそう言った。「まだ研修中でした。仕事が終わってから店を手伝っていたんです。さすがに研修の最中にウトウトするようになって。店の人手不足が解消するまで、研修はお預けにしてもらったんです」。
ただし、まさかその一時のヘルプがきっかけで、ラーメン店の経営にどっぷりハマっていくとは、緒方にも想像がつかなかった。
「最初は、仕方なくでした。でも手伝っているうちに、だんだんラーメンに惹かれるんです。お客様が、私のつくったラーメンを食べて、美味しかったよといってくださる、食べ終わって満足げに帰っていかれる、そんなシーンに心がときめくようになり、もっと多くのお客様にうちのラーメンを食べてもらいたい、そう思うようになったんです。家業を継ぐ決心をするのも、この時です。もっとも、この段階で、将来、株式を上場するとは思いも寄りませんでした」。
ただ、一方で緒方が正式に店に入った頃、正年氏は出店を増やすなら、株式上場を視野に入れると語られていたらしい。だが、従業員にも、緒方にも壮大な絵空事という風にしか思えなかったそうだ。ところが、店に飛び込んできた一人の広告の営業マンが、状況をいっぺんさせる。

運命をかえた小さな広告。

「スポーツ紙の広告営業マンでした。小さな枠でいいから、と。ちょうどFC展開を考えていたこともあって、彼が言う通り、小さい枠でFC募集の広告を出稿したんです(笑)」。期待はしていなかった。ところが、掲載されるととたんに問い合わせが殺到する。「山小屋」が、資本家や起業家にとっても魅力的だったことを物語る。パートナーとなるFC店である。FCオーナーの選択も厳選を極めたことだろう。緒方にとっても、店に入り初めて手腕を試されたのではないか。希望者のなかから、これはと思う人と契約し、9店舗を次々出店することになった。その9店舗も人気化することで、絵空事に映っていた株式上場も現実的な目標になったのではないだろうか。いったん時系列で、緒方が入店してからを追ってみよう。
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1991年、緒方が筑豊ラーメン山小屋に入店する。
1992年、FC本部開設。
1994年5月、ワイエスフード株式会社設立。緒方は取締役副社長に就任する。
2001年4月、経営管理本部長兼総務部長に就任。-
2002年、100店舗を達成。九州だけではなく、中国、四国、関東、東北へも進出。500店舗へ安定供給が可能な新工場を新設。
2005年、ジャスダック証券取引所へ上場
2006年5月、大陽製粉(福岡市)と、タイの現地法人などと共同出資し、合弁会社ヤマゴヤ株式会社(タイ)を設立。
同年9月にタイ1号店をオープン。
2007年6月、創業者である正年氏が代表取締役会長に退き、緒方が代表取締役社長に就任することになる。
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緒方が山小屋に入店してからわずか14年。正年氏が語っていた株式上場が実現する。それどころか、国内はもとより海外まで山小屋の味は広がっていくのである。2006年のタイ1号店を皮切りに、2012年現在ではタイ10店舗、中国4店舗、台湾1店舗、インドネシア・マレーシアに各1店舗の合計17店舗を展開している。現在、海外の店舗はすべてがFC店ということだ。

具材の一つまで吟味する。チェーン店でありながら個店の良さも追求。

FC展開を行いつつも、どの店においても直営店同様、「味に対する妥協のない姿勢」が貫かれている。自慢のスープ、秘伝のタレ、中華麺をはじめ具材の一つまで美味しさを追いかけた逸品ぞろいである。「チェーン店ありながら、個店の良さを取り入れた、当店でしか出せない美味しさを提供する」ことが、ワイエスフードのこだわり。緒方自身も、味に対する妥協は一切しないと言い切っている。
「その一方で、お客様に食事を楽しんでいただくことも忘れてはいません。そのため全店でいごこちのいい店作りに取り組んでいるのです」とのこと。
味に対する純粋なまでの姿勢と、客に対するひたむきな姿勢が「山小屋」をはじめ、ワイエスフード全店の魅力を生み出しているのだろう。どの店も根強い人気を誇っている、そのワケが分かった気がする。さて、最後に今後の方針もうかがってみた。

山小屋のラーメン、海を渡る。

「知名度の向上と市場の開拓を目指し、未開拓地域へ直営店を核にしてFC店舗を出店し、一層、全国各地に広げたい」と緒方は語る。一方、「国内では一時のラーメンブームが去った」と冷静に分析。「いままで以上に慎重な姿勢で臨む」ということだ。これとは対照的に、経済発展が著しいアジア地域には、まだまだ出店の余地があると判断している。すでに17店舗の出店を行っている同社だけに、現実に即した判断に違いない。
その海外では今後5年間に100店舗出店を目標にしているそうだ。むろん十分な勝算はある。ただ、店舗展開だけが緒方の狙いではない。ラーメンを通し、多くの笑顔を生む、それこそが狙いだろう。そのなかにはむろん地域貢献も含まれている。1970年、筑豊で生まれた一杯のラーメンが40年の歳月を乗り越え、世界に笑顔の輪を広げていこうとしている。味に愚直に生きた、言い方を変えればお客様に喜んでもらう、それだけを追求してきた親子2代の思いが、結実していこうとしているのかもしれない。
最後に一つ。緒方はいまも柔道を愛し、社内には、「山小屋柔道部」なるものがある。部員数13名ほどおり、西日本実業柔道団体対抗の女子の部で2度優勝している。心と志は引き継がれていく。

思い出のアルバム
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2〜3歳の頃 10歳の頃 中学生の頃
 
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