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第330回 株式会社ビート・インターナショナル 代表取締役 渡邊剛志氏
update 12/11/13
株式会社ビート・インターナショナル
渡邊剛志氏
株式会社ビート・インターナショナル 代表取締役 渡邊剛志氏
生年月日 1971年6月28日
プロフィール 横浜市旭区出身。高校を卒業後の数年間は、フリーター生活を送る。
25歳で医療機器メーカーに就職し、セールスエンジニアとして千葉を担当後、そのディーラーとして独立。しかし物足りなさから新たな道を模索し、2007年にビート・インターナショナルを設立して現職。イタリアレストランの経営をはじめ、現在では千葉の豊富な地元食材を用いて他店との差別化も図る。ちなみに店名にある「ボッソ」とは、千葉の「房総」から取ったものだ。飲食業でのキャリアがないまま成功をおさめる異色の人物である。
主な業態 「Pizzeria & Gelateria BOSSO」「PIZZERIA E BAR BOSSO」「BOSSO」「Trattoria Bosso」「Trattoria Bocca Buona」など
企業HP http://beat-itn.com/

心が揺れ動かなかった少年

現在、千葉と東京で6つのイタリアレストランを展開する(株)ビート・インターナショナル。社名の『ビート』は、ハートビートが由来だ。お客様の心震わせたいという願いと併せ、自分たちの心も奮わせたいという思いが込められている。
そんな同社を率いる渡邊剛志社長だが、自身がエンジンをかけて心を奮わせはじめたのは、実はそう遠い昔のことではない。「なにごともデビューが遅かったから、今はいろいろなことが新鮮です」と笑う。
渡邊は横浜市旭区で生まれ育つ。平凡なサラリーマン家庭で、長男ゆえにのんびり育った。中学や高校でなにかに没頭し傾倒した経験はない。高校時代にはテニス部に在籍していたが、勝ち進むべく汗まみれ泥だらけになったこともなく、平々凡々と日々をすごしたという。
しかし、飲食店は社長の生き写しのようなもの。その生い立ちや生き様、信念が宿っているものである。『トラットリア ボッカ ボーナ』をはじめとする同社の店舗もまた同様であろう。控えめで淡々とクールな渡邊の、その静かなる情熱と戦士ぶりを今回は追ってみたいと思う。

7年のフリーター生活の末に就職

高校の卒業を目前に控えても、まだエンジンはかからなかった。「進学、就職、いずれもピンときませんでした。まだ目標が定まらずに、プラプラとアルバイトをしていました」。渡邊は淡々とそう話した。
それならアルバイトを通して飲食業に目覚めたのだろうと想像するだろうが、そうでもない。トラックで配送をしたり、建築現場の外構工事でタイルを貼ったり。飲食店で働いた経験など皆無なのだ。
この時期、現在の渡邊へと繋がるものがあったとすれば、それはイタリアへ旅行しパスタを食べて、イタリアンの良さを知ったことくらいだろうか。当時は電機メーカーに勤める父がイギリスに赴任。時折、新しい実家となったイギリスへの『里帰り』がてら、欧州を回っていた。
そんな渡邊であったが、25歳で結婚。周囲から紹介された医療機器メーカーに就職した。そこでは透析関連の機器の営業とメンテナンスを行い、3年が過ぎると今度はそれらの機器のディーラーとして独立する。

未経験で遅咲きデビューも、散々なスタート

医療機器ディーラーとして、間もなく一定の基盤ができた。しかしさらなる拡大を目論む渡邊に大きな壁が立ちはだかる。「医療機関は古い商習慣のある世界で、価格やサービスなどの企業努力が実りにくい。『御得意さん』の間柄を崩せず、完全に伸び悩んでいました」。
そこで新ビジネスの構想に入る。最初に、頭にパッと思い浮かんだのがイタリアレストランであった。「医療機器では千葉が営業エリアのメインでした。ある時、よく行き来していた現在の1号店の場所でテナントを募集しており、すぐさま契約に向かいました」。
晴れてビート・インターナショナルが誕生し、千葉市に1号店『トラットリア ボッカ ボーナ』が開店した。しかし、この時点でも渡邊に飲食の経験や知識は皆無。呆れるほどの即決と行動だ。「面識のあった方を店長に迎え入れ、さっそくピザの釜も手配し、内装も決めた。新店効果もありお客様の入りはまずまずでしたが、店長に1ヶ月で辞められるなど、もう滅茶苦茶。やはり素人でした。甘かった…」と、当時を振り返る。
ちなみに初年度は約1000万円の赤字。これでようやく渡邊は本腰を入れる。真剣に企業理念やスタッフマネジメントを考えはじめた。「お恥ずかしい限りですが、ここで初めてFLも学びました。FL比率、つまり売上に占める材料費と人件費の割合が異様に高かったです」。これを境に、食の戦士・渡邊が生まれたのである。

飲食の魅力は、フェアな勝負ができること

2年目以降、ビート・インターナショナルの経営は徐々に改善に向かう。そんな中で2店目をオープンするが、やはり期待したようには上へと突き抜けない。比較的高額であった賃料が重石になっていたのだった。
仕事を楽しむ渡邊であったが、それでも不安で眠れない夜もあったという。「真剣に飲食業について学びました。本を読み漁り、人の話を聞いて回っていた時期です。FLを改善し、出店時の立地やコストの相場観も少しずつわかるようになってきましたね」。
そして3年目。今度はワインバーで東京・神田に進出すると、これが思いのほかヒットした。今でこそ界隈にはバーをはじめとした飲食店がひしめくが、2010年当時ではまだ懐疑的な業界人が多かったようである。そんな先駆者となったことでも、ようやく渡邊は手ごたえをつかみ、ビート・インターナショナルの歯車も急速に好転しはじめた。
「飲食業の魅力は、フェアに戦えるという点です。お客様一人ひとりに対し同じ価格で料理を提供し、同じサービスでもてなします。もちろん様々な工夫や努力がいりますが、それはとても公平であり、また素早く結果に表れる。そこに大きなやりがいと感動を覚えます」と言うように、今では大きくその心を奮わせている。

自力で確固としたポジションを築く

どこかの店で修行をしてきたこともない。また、高名な誰かに師事してきたわけでもない。だからこその柔軟さが渡邊にはあるのだろう。だからといって安易に真似のできることではない。
「店を出店するにも、物件オーナー様や金融機関との交渉があります。食材などの仕入れもまた同様。バックボーンもなくネットワークやコネもない自分をいかに信用して頂くかということで、もう毎日がプレゼンテーションです」と言う。
しかし現在では、ディベロッパーから出店の打診が相次ぐようになった。「接待をしたことはありませんが、逆に依頼を頂けるようになったのは信用されている証しとして、非常にありがたく思っています」。補足すると、渡邊は現在トライアスロンに挑戦しているそうだ。これからに向けた体力づくりを目的としているのはもちろんのこと、「見た目がだらしなくなるとプレゼンや交渉に説得力がなくなりますから」と、そのストイックさを覗かせる。
最後に、同社の今後の展開を訊いた。「昨年は新たに3店舗を出しましたが、いつまでに何店舗とは決めず、いい場所があればそこに当社ができる最良を形にしていく考えです。ですから改めて組織づくり、人間づくりが急務。自分自身の甘さもどんどん切り捨てて、みんなを先導したいと思っています」とした。千葉県産の新鮮な食材を主力にした料理でブランド力を高めつつある同社が、さらにどれほどのハートビートを生み出していくのか。業界では、いま大きな注目が集まっている。

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