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第354回 株式会社アルカサバ 代表取締役 貞方邦介氏
update 13/03/26
株式会社アルカサバ
貞方邦介氏
株式会社アルカサバ 代表取締役 貞方邦介氏
生年月日 1967年12月20日
プロフィール 福岡県久留米市生まれ。國學院大學在学中にマーケティング・広告代理店を起業。飲食業のスタートはその後オープンする「たこ焼き店」が始まり。学生パーティの企画・主催、社会人対象のパーティの企画・主催なども行い、事業を拡大。ニューヨーク旅行をきっかけに、朝5時まで営業する「リラックスボディ」を展開。夢だった「ホテル」を熱海に開業する。現在、ホテル事業「Relax Resort Hotel」、エステ事業「Relax body」、飲食事業「遊庵」「福ヤ」「NINE」「石鍋」と多角的な経営を展開。空間プロデューサー、経営コンサルタント、「くるめふるさと大使」という横顔もある。日本ではまだまだ少ない自家用ジェットのオーナーでもある。「リゾートホテルを作ったのをきっかけに、スローライフにも目覚め、本社を熱海に移し、熱海をモナコのような国際観光都市にするために活動している」とのことだ。
主な業態(飲食) 「遊庵」「福ヤ」「NINE」「石鍋」
企業HP http://www.alcazaba.co.jp/
スーパーカーブームだった時代がある。当時の子どもたちはポルシェ、ランボルギーニ、フェラーリに憧れ、運転席に搭乗するジブンを想像した。ミニカーは、年を取るたびにラジコンになったりして、だんだんとホンモノにちかづいていくのだが、逆に、現実は想像からはかけ離れていくことになる。結局、少年のおおくは憧れていたことさえ忘れてしまっていることだろう。しかし、今回ご登場いただいた株式会社アルカサバ代表取締役、貞方邦介氏は違う。「夢」を実現した数少ない一人なのだ。学生時代には、早くもベンツに乗り、いまでは自家用ジェットまで所有している。むろん、ゼロからの起業である。何が違うのだろうか。その違いを探るつもりで、改めて氏の生い立ちから伺った。

福岡県久留米市にて。

福岡県久留米市といえば、ゴム工業が有名だ。タイヤの世界的なメーカーである「ブリジストン」も久留米市で創業している。この久留米市に貞方氏が誕生したのは、1967年のこと。久留米市はまだまだ田舎町で、貞方氏ももっぱら野原を駆けて遊ぶ少年だった。
父は長崎出身のサラリーマン、母は鳥取県出身。貞方氏は一人っ子で大事に育てられた。スイミングスクールに通っていたからだろうか。からだは丈夫で、病気らしい病気はいまだしたことがない。学校では人気者で、小学時代はリーダー的なタイプだった。それだけ聞けば、いまのリーダー像と重なるが、小学、中学、高校と「やすき」に流れていったこともある。
ところで、冒頭のスーパーカーの話は小学生時代に登場する。中学は、地元の学校に通いつつ、いつかはフェラーリに乗ると誓う。

悪ぶるのも、ファッションだった。

「遊ぶこと、反抗すること、それ自体がファッションだった」と貞方氏は高校時代を振り返る。バンドブームに乗り、エレキギターやバイクにハマり、学校にもバイクで通学した。学食で食べるなんて格好悪いとうそぶいて、学校を脱走したこともある。
お金が欲しくて、バイトを開始するのだが、バイト先選びの基準がいかにも貞方氏らしい。この時、貞方氏は大手のハンバーガーチェーンと地元のチェーンで悩むのだが、マニュアルに沿って教育されるのが大手のほう。「いまなら、間違いなくそちらに行くが」と断りつつ、当時は、「そういう発想がまったくなかった」と言って笑う。たぶん、マニュアルを必死で覚える姿を想像して格好悪いと思っていたのだろう。こういうのが当時の貞方氏の生き様だった。しかし、不格好な生き様ではない気がする。この当時から、しっかり物事を分析しているようにも思えるからだ。

3浪の果てに。

勉強には興味がなかったが、進学するのは当然だった。ただ、進学しようと思っても相手のあることである。2回、断られた。費やした日数、約700日。「まるでニートだった」と貞方氏は笑う。3回目に突入。
ともかく東京の大学に進学したかったが、このままでは3回目もダメかもしれない。なら、いっそう予備校で東京へ、と思った。
「都内はまだまだ敷居がたかかったので、相模大野に住み、町田の予備校に通いました。なにしろ、田舎者ですから。いきなり都内というのは刺激が強すぎると思ったんです(笑)」「予備校に入るなり彼女をみつけて…半同棲みたいな感じになって。あの当時がいちばん楽しかったなぁ。勉強もしました。私一人じゃ、またまた勉強もしないままだったと思うんですが、彼女といっしょなので勉強することもできたんです。好きだったTVドラマ「とんぼ」をいっしょに観て、ああいう世界に憧れて過ごした1年間でした。結局、3年かけて合格したのは國學院大學でした」。
3浪までして、國學院。本人曰くレアなケース。たいていは現役。浪人生さえ、探すのがやっと。3浪ともなれば、皆無だった。「3年も年下の人間からタメ語で貞方なんて言われるんですよ。そりゃ、気分がいいわけがない。だから、大学とは疎遠になっていきました」。
この國學院大學時代に、貞方氏は早々と起業する。この起業につながったのは、ある種の疎外感だったのかもしれない。

起業の構想固まる。

「浪人までして國學院にくる人間自体少ないんですよね。99%まで現役です。しかも、私は3浪だから、もう21歳です。いまなら3つ違いなんてあってないようなものですが、当時の3年は違いますからね」。
それで、というわけではないが、学校に慣れる以前にアルバイトに精を出すようになる。「当時は、黒服全盛期です。ディスコのマハラジャに行きたかったんですが、相当厳しいという噂があって、それで同じマハラジャでもグループのレストラン・バーで仕事を始めました。オープニングスタッフです。このバイトのおかげで次の事業を思いつくんです」。
高級カーに乗りたいという思いは、忘れていない。乗るためには会社の社長になるしかない。そのためにはまず起業だ、という思いがつねに頭の隅にあった。だから、仕事もアルバイトという観点ではとらえない。ジブンにもできるのではないか、というみかたをする。これが貞方氏の凄いところ。3浪したとはいえ、まだ大学1年生だ。
いよいよ貞方氏流のビジネスがスタートする。
「最初は大学生相手のパーティです。大手のメーカーなどにスポンサーになっていただいて。いわゆる協賛ですね。協賛してもらうために片っ端から電話をしました。断られるのが大半です。ただ、いくつかの企業からOKをいただいて物品の支援をいただきました」。
しかし、金銭の支援はない。なんとか収支はトントン。ビジネスとしてかろうじて成り立っているに過ぎなかった。これじゃ、車も買えやしない。どうすれいいか。貞方氏は、ある企業に電話をかけた。

広告代理業、開始。

「教えていただいたのは、広告のしくみでした。費用対効果という観点でとらえた場合、学生向けのパーティにわざわざ資金をだす理由はなかったんですね。それなら雑誌にだすほうがよほどいいと言われ納得しました」。しかし、それでは終われない。「そこで、いくつかのグループをまとめて、パーティの規模を巨大化し、口座をつくってもらえるように法人も設立しました。それがいまの会社の始まりです」。
大学2年。恵比寿に学生向けマーケティングルームを開設、広尾に月18万円でオフィスも借りた。いっぱしの社長になった。企業も学生たちとのコミュニケーションを模索していたのだろう。法人登記すると口座ができ、次々、契約が舞い込んだ。貯金通帳に次々とお金が振り込まれる。TV局の取材も受け、時代の寵児に。大学2年でベンツをキャッシュで買ったりもした。念願の車、購入。思えば、あっさり手に入った。時代はバブル真っ盛り。魔法にかかったように青年の夢は叶った。
しかし、この時、ナンバー2と思い、信頼していた部下に裏切られ、メインクライアントを奪われてしまう。

新事業、模索。

「スグに広尾のオフィスは畳みました。腹が立ちましたが、そうは言っていられない。ただ、いまのようにネットがあるわけでもなく、携帯電話も普及していない。そういう時代でしたら、なかなか次の事業といっても気軽に始められません」。
大学生相手というのも、なにか違うと思い始めていた。そんな時、思い付いたのが社会人向けのエグゼクティブパーティーだ。おもしろいことに同時期に「たこ焼き」の店もオープンする。これが飲食業の始まり。
「博多出身なんで、やるならラーメンなんですが、ラーメン店は投資もバカになりません。たこ焼き店なら、テイクアウト中心だからスペースもいらず少額で済みます。ただ、それだけ。ほかに理由はなかったんです(笑)」。
エグゼクティブパーティーの主催とたこ焼き店。2つ合わせても、以前のようには儲からない。でも、それで良かった。少しずつ、いままで広げてきたネットワークも機能する。正直に言えば、いままでは「誰かのせい」にしていた。親が金持ちじゃないから…と思ったこともあった。しかし、いつのまにか、すべて一人で背負うこともできるようになっていた。起業や経営を通し、困難をチャンスにかえてきた青年はたくましい心を手にしていく。
「いままで一度も就職したことがないんです」と言って貞方氏は笑う。事業が成功し続けたことの裏返しとも言えるが、これもまためずらしいケースである。

夢をあきらめない大事さ。

いまを起点に振り返れば、これだけ飛び抜けた成功を収めた人もめずらしい。その後も事業を広げた貞方氏は、現在、熱海にホテル「Relax Resort Hotel」も所有している。
エステ事業では「Relax body」を。飲食事業では「遊庵」「福ヤ」「NINE」「石鍋」を出店。空間プロデューサー、経営コンサルタントとしても活躍している。
行動派だからだろうか、日本ではまだまだ少ない自家用ジェットのオーナーでもある。
「いままで物欲に動かされてきましたが、いまはちょっと違うなぁ、と」貞方氏。
リゾートホテルを作ったのをきっかけに、スローライフにも目覚め、本社を熱海に移している。
成功と失敗は、人間につきものだ。むろんだれもが成功者になることを望むが、そう簡単に成功者になれるわけでもない。
ただ、貞方氏の成功をみて、その秘訣を学ぶとすれば、それは一度、抱いた夢を忘れないことだ。それが、物欲だっていい。
あきらめず、戦い抜けば、夢は、人を思い描く通りの人にする。これが貞方氏の生き方から発せられるメッセージのような気がした。

思い出のアルバム
 

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