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第380回 有限会社リヨンブルーアンテルナショナル 代表 安生 浩氏
update 13/00/00
有限会社リヨンブルーアンテルナショナル
安生 浩氏
有限会社リヨンブルーアンテルナショナル 代表 安生 浩氏
生年月日 1969年10月19日
プロフィール 日大卒。旅行代理店に就職するも、サーフィンに熱中し、退職。30歳までと期限を決めて、波に乗り続ける。期限を迎えたことで断念し、飲食店の開業を次の目標に据える。実家の酒屋を継ぎ、それをベースに飲食店をオープン。1店舗目のオープンから2013年で9年目になるが、常に右肩上がりを実現。気取らないで、フランスワインが楽しめるお店など、一度は、訪れたい店をリリースし、続けている。
主な業態 「Vin de Table Pont du Gard」「Gare de Lyon」「curry et les vins PAUL」「Ginza Termini」「Pont du Gard 2 Deuxieme」「Brace e Vino Gigino」
企業HP http://www.lyonbleu.jp/

少年の趣味は、映画観賞。

1969年10月19日、東京都足立区北千住に男3兄弟の次男として生まれる。「兄とは2違いだから、良くケンカもしました」と幼少の頃を思い出して笑う。一方、弟は5つ違い。3人兄弟は、父の影響で、3人とも剣道を習い始める。
「父親が道場を開いていたんです。多いときには100人も生徒がいました。私たち兄弟も習いに行くんですが、私は中学になるとバスケットボール部に入り道場には通わなくなりました」。
実家は、「足立区でいちばん売れていた酒屋」だったそうである。店でもそうだが、家のなかにもいろんな人が出入りして、父親と食卓を囲んで酒を酌み交わしていたそうである。にぎやかな食卓が想像できる。
食卓、同様、自由奔放な家庭だったようである。「両親からは『勉強しろ』など口うるさいことは何一つ言われたことがない」とのことだ。
小さな頃のことを伺うと、「ちょっとかわった奴」という言葉が返ってきた。なんでも、映画も独りで観に行くような少年だったとのこと。高校までこの傾向があり、もっぱら洋画専門だった。
中学ではすでに述べた通り、剣道から、バスケットボールに転向。中学最初のテストは散々だったが、悔しくて、次のテストからは学年で10指に入るまでになる。「金髪の女性と結婚する!」。洋画好きもあって、そういう淡い思いを抱いていたそうだ。

サーフィンにハマった青年時代。

日大一高に進学した安生は、アメリカンフットボールを始める。部活動に明け暮れる毎日だったそうだ。そのまま日大に進み、こちらでもアメフトをつづけた。
日大の「三島校舎」は、静岡県三島市にある。三島校舎を選択したのは「国際関係学部」があったから。当然、独り暮らし。バイトもすぐに始めた。この時のバイトが、外食との出会いだったと言ってもいい。
「宅配ピザの走りみたいなお店でした。ご夫婦で運営されていたんですが、バイトの私たちにも優しく接してくださって。大学の4年間ずっとご厄介になりました」。
大学時代にはアメフトとバイト、そしてもう一つ、サーフィンにも熱中した。次第にサーフィンがいちばんになる。20歳の時には10万円を握りしめて、オーストラリアに飛んだ。向こうでもサーフィンに明け暮れた。
波にハマった飲食店経営者は、案外、多い。この「飲食の戦士たち」のなかでも、何人かいる。共通しているのは、仕事より、何より、「波乗り優先」だったことである。
「私は、大学を卒業して、旅行代理店に就職するんですが、社会人になってサーフィンを封印するどころか、むしろいままで以上にのめり込んでいきます。自宅とは別に鵠沼にわざわざ部屋を借りたほど。社会人5年目の時についに決断して、会社を辞めます。そうです。サーフィンで食っていこうと、腹をくくったんです」。
「30歳まではサーフィンやる!」と決めた。アルバイトで生活費を賄い、四六時中、波に乗った。試合にも出場した。だが、その度に、上には上がいることを思い知らされた。

フランスへ。

予定の30歳になった。サーフィンを辞め、陸に上がって就職した。山梨にある「カリフォルニアワイン」の会社だった。1年でリタイアし、35歳で店を出すと決め「不動産会社」に転職した。「青年社長」を読み、1年間で300万円貯めると決意する。資金と同時にキャリアを積むため、「鉄板焼店」で2年半、料理を学んだ。鉄板焼の店を選択したのは、すでに「鉄板焼とワイン」という店のコンセプトが出来上がっていたからだ。 34歳の時に3ヵ月、フランスで生活する。ホームステイ先にも恵まれ、さまざまな国の人々と交流を持つ。みたかったワイン畑も訪れ、感銘を受けた。わずか3ヵ月だったが、思った以上の収穫があった。現在の「リヨンブルーアンテルナショナル」の原点は、この時、観たフランスにある、と言ってもいい。そして、帰国。

家業の酒屋を引き継いで。

父親が重篤だと知り、実家の酒屋の経営を引き継いだ。
「兄も、弟もいましたが、いちばん自由が利くのが私だったんです。その時、売上などの数字をみて、初めてうちの家が赤字だったことを知るんです。むかしの蓄えがあったから、なんとか持ちこたえているような状況でした」。むろん、手をこまねいているわけにはいかない。そんな時、ある雑誌で、手書きで値段が書かれたワインボトルが、店に並んでいる光景を目にする。「これだ、と思いました。まるで雷に打たれたような衝撃だったといってもおおげさじゃないぐらいに」。「すぐに物件探しを開始しました。もともと酒屋ですから、酒も、ワインも安く入ります。絶対的な勝算があったわけではありませんが、酒屋というベースを活かせば、と決意したんです」。
「オープン初日には父も、祖母も、母も来てくれました。親孝行ができたと思っています」。そういって満面の笑みをたたえる。

ガブ飲みワイン。気取らないから、みんなに愛される。

ホームページを観れば、安生のつくりたかったお店のことがおよそわかる。グルメサイトの評価もすこぶる高い。酒屋ベースだから、ワインの価格も安く、リーズナブル。「フランス自然派ワイン100%だからどれだけ酔っても翌日残っているのは楽しい記憶だけ」とホームページに記された一言にも惹きつけられる。
気取らない。「たらふく食って、たらふく飲む」。そんな店をイメージすれば、喧騒も聞こえてきそうだ。たくさんのお客様に支持されるスタッフたちの笑顔も想像できる。
「店を持って9年になりますが、今月が売上MAX。ありがたいことに、会社全体ではずっと右肩上がりを続けています」。
姉妹店、合わせて6店舗がいまの陣容だ。だが、ますます店舗数も増えていきそうな気配である。注目すべきはスタッフの独立もしっかり支援している点。組織自体が店同様、窮屈じゃない。そんな気がする。
儲かってしかたない? そんな質問をしてみた。「ところが、そうでもないんですよ」と安生。何でも、フードコストだけで45%もかけているそうだ。さすがにこれでは、大儲けということにはならないだろう。
しかし、逆に考えれば、回転率や、集客数で利益を担保できているといえる。何より、多くの笑顔が集まることで、客が客を呼ぶ、そういう風に、成り立っているのだろう。このおおらかさがいい。

人生に無駄なし。

もっとも、安生本人も、「もう少し会社らしくしないと」と言って笑う。「まるで部活みたいだから」とも。海外出店もいまのところあまり考えていないし、店舗数の拡大も、優先順位でいえば下のほうになる。
いまは、今後の戦略も含め社内整理をしているところ。F/Lコストも、もう少し見直さなければ…、とのこと。しかし、理念はかわらない。
その理念とは、
「スタッフを大切に」
「お店は、お客様のために、スタッフのために」である。
安生はこんなことも言っている。「サーフィンにハマって、仕事を辞めた段階で、もうふつうの仕事には戻れないですよね。できることも、限られてくる。だけど飲食は、そんな私たちも受け入れてくれる数少ない仕事なんです」。
たしかに、堅いサラリーマン生活だけを経験してきた人には、想像しにくい道のりである。サーフィンに熱中し、寒い日も海に出かけることもそうだし、わざわざ海外に行くことも、趣味のために仕事を放棄することもそうだ。しかし、それを無駄とは言い切れないだろう。
何故なら、そういう人生を送ってこなければ、こんな素敵な店をつくることはできなかったと思うからだ。 人生に無駄はない。改めて安生から教えられた気がする。

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