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第394回 株式会社First Drop 代表取締役社長 平尾謙太郎氏
update 13/09/17
株式会社First Drop
平尾謙太郎氏
株式会社First Drop 代表取締役社長 平尾謙太郎氏
生年月日 1976年1月25日生まれ
プロフィール 神奈川県茅ヶ崎に生まれる。日本大学経済学部卒後、イトーヨーカ堂に入社。魚のバイヤーをめざし、鮮魚部門を希望。5年間、鮮魚に関わったのち独立。1号店の「はなたれ 長者町本店」は、オープン初月から100万円の利益を叩き出す人気店に。その後も出店を重ね、現在8店舗を経営。スタッフ全員で、売上目標10億円をめざしている。ちなみに店名の「はなたれ」は、焼酎を蒸留する際にいちばん初めにたれる香り高く希少な液体の名称だそうだ。「First Drop」という社名はいうまでもなく、その最初の一滴を表している。
主な業態 「はなたれ」「saka蔵」他
企業HP http://firstdrop.jp/

生まれも、育ちも神奈川県。

「姉の影響が大きかったですね」と「First Drop」社長の平尾は振り返る。小・中・高すべて姉とおなじ学校に進み、音楽や塾までいっしょだったそうだ。
平尾が生まれたのは、1976年、神奈川県茅ヶ崎である。10歳の時に、祖父母が暮らす東戸塚に引っ越している。
東戸塚が、ちょうどベットタウンになる頃だそうだ。教育熱心な家庭が多かったのだろう。友人たちは受験に向け、勉強ばかりしていたそうだ。
平尾はもっぱら野球に専念。勉強は二の次という少年だった。勉強をした記憶はないが、高校の偏差値は「中の上」といったところ。まずまず悪くはない。
ただし、高校時代も机に向かうことは少なかった。それよりもバイクで走り回ることが好きだった。免許を取って、250CCのバイクを購入。暇さえあればバイクにまたがった。一方、週5〜6日の飲食店でのアルバイトには精をだした。ここでも姉の影響があったのだろうか。周りより、多少、大人びた少年を思い浮かべてしまう。

生活費はスロットで。

「進学するか、どうか」で迷ったそうだ。結局、父のアドバイスを聞き入れ、大学進学を決めることになる。父は、折に触れ大事なアドバイスをしてくれる存在だった。
「初めは、『行くなら農学部』だと思っていたんですが、卒業ぎりぎりで受験を決意したもんですから、準備不足というか、勉強不足で失敗し、結局、日大の経済学部に入ります。理由は、単純に『楽に卒業できる』と聞いていたからです(笑)」。
大学時代もバイトに明け暮れた。その一方で、スロットにハマッたそうだ。何でも、法則があったそうで、法則通りに打てば、月に相当なお金が手に入ったらしい。貯めたお金で海外に出かけ、1人旅も楽しんでいる。いかにも当時の若者らしい、学生生活を送っている。ただ、一つかわっているものがあった。平尾は、「魚好き」だったのである。

イトーヨーカ堂、入社、そして独立。

「もともと魚が好きだったこともあって、魚のバイヤーをしようと思っていました。商社なども考えたのですが、父親がこれからは『小売の時代』というもんですから、たしかにそうだと「イトーヨーカ堂」を受験しました」。
「イトーヨーカ堂は、部門が13に分かれているんですが、たいていの学生は、アパレルなどを希望するんです。でも、私は最初から『鮮魚』。13部門のなかでいちばん不人気な部門です。それが幸いしたのか、無事採用してもらって鮮魚部門に配属してもらいました。ただ、5年間、勤めましたがバイヤーにはなれませんでした。店舗を離れるのは、7年目から。そういうルールがあったようです。しかし、この5年間は、けっして無駄にならなかったと思います。原価率などの数字を叩き込まれたことは、独立後も特に役立ちました。とはいえ、私たちの立場では、仕入れルートも知りません。そういう意味では、賭けに似た独立だった気もします。いま振り返ればですが(笑)」。
独立を考えたのは、3年が過ぎた頃。2年で500万円を貯め、それを元手に独立開業をめざした。しかし、飲食の経験はアルバイトしかない。果たして、成功するのだろうか。

「朝網」の魚をもとめて。

平尾27歳。同僚も誘って独立。1店舗目は現在の「はなたれ 長者町本店」。現在は、増床しているが、オープン当時は13坪、21席。いまでは笑い話だが、2人して始めたが、2人とも料理ができなかった。フライヤーも知らなかったそうだ。
一方、食材の仕入れも手探り。唯一、イトーヨーカ堂時代に、朝、獲れた魚を仕入れ・販売する「朝網」という企画があり、その漁港を知っていた。そこに出向き、直売所で魚を仕入れた。料理は知らなかったが、魚はさばけた。これも5年間鮮魚部門にいた恩恵だった。「獲れたての魚」を刺身にして食べる。どんな料理より旨いに決まっているが、お客様の評価がいかがなものだったのだろうか。
「11月にオープン。それで12月の月商が、目標の300万円に届きます。2人の給与を除けば、損益分岐点は200万円。ですから、100万円の利益がスグに出た計算です」。
オープン効果があったわけではなかった。翌年1月からも好調が続き、2年後には25坪、31席に増床。売上は700万円になり、200万円の利益がでるようになった。
「いまでは8店舗になりますが、どの店も、いい数字を叩き出してくれています。幸いにも躓いたりすることもなく、順風満帆といえばいいのでしょうか、20坪40席程度の店が基本ですが、どの店も、連日、満席です。勝因は、『魚に助けてもらった』ことでしょうか。いま、私どもでは『生しらすプロジェクト』を行っていますが、これも魚に対する恩返しの一つです」。
8店舗になったいまも朝から仕入れに出かけ、魚も、野菜も、卵も「獲れたて」を提供している。これでまずいわけはない。グルメサイトの評判も上々だ。

独立、開業支援。

現在、8店舗で社員は26人。社員比率だけみれば多いほうだろう。平均年齢32.3歳。イトーヨーカ堂の出身者も数名いる。会社としての目標は、売上10億円。あと5店舗オープンすればみえてくる数字だ。
しかし、単体でという考えはない。すでに4人が独立していが、そのうち1人は実験的にはじめた「業務委託方式」を採り入れた独立である。
「独立するには、リスクもある。せっかくうちの店があるんですから、それをゆずる。そういう方式で独立を支援できればと始めました。業務委託というスタイルですから、まとまった資金もいりません。食材のルートもあるから、完全に独立した後も、互いに協力しあっていければ、いいんじゃないかなという発想です。このスタイルを確立していきたいから、とにかく第一人者にはがんばってもらいたいですね」と平尾。
そういう独立組も合わせ、10億ということだ。
「就職」「転職」いう観点からみても、二重丸を付けたくなる会社である。平尾もまだ若い。これからまだまだ、さまざまなことに挑戦していくことになるだろう。
たとえば海外、また新業態ということもあるだろう。その挑戦の「First Drop」、最初の一滴となる、そんな人材が待たれている。
最初の一滴をもとめて。まだまだ平尾の旅は続いていく気がする。

思い出のアルバム
 

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